毘沙門天の使者 3 ★
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灯はない。開け放たれた堂の扉と、それから、破れた屋根のあちこちから零れる月の光だけが光源である。石寿丸は目を瞬いた。
「誰だ、おまえは?」
「まんまと姿を現したな? 〈毘沙門天の使者〉とやら」
ありがたい〈授かり子〉を抱いて立ち上がったのは田楽師の、こちらは兄の狂乱丸。頬に曳かれた一筋の赤い傷でそれとわかる。艶やかな垂髪を扇のように揺らして一歩前へ踏み出した。
「石寿丸、おまえの魂胆はお見通しじゃ。観念しろ!」
「はて? 何のことでしょう?」
同じく漆黒の髪を揺すって石寿丸、訝しげに首を傾げる。
「では、言おう。俺の抱いているこれ。毘沙門天の授かり子などとは真っ赤なデタナメ。これはおまえの盗んだ金塊だろうが?」
稚児は全く動じる気配がなかった。
「これはまた、妙なことを言う」
狂乱丸の豪奢な装束──今日は花兎文様の水干が蘇芳色、袴は青の萩経青の色目──を目を細めて眺めながら、
「ふむ? おまえもどこぞの稚児と見えるが? 同業ならわかろうというもの。我々稚児が金塊など目にする機会など金輪際ありえぬ。まして、盗むなど、それこそ夢物語も良いところ……」
破れた天井に稚児の玻璃のような笑い声が響いた。
「やれ、〈観音の化現〉だ、〈一稚児二天王〉だ、などとありがたがれ、天童に持幡童にと持て囃されても……所詮、稚児は稚児。稚児灌頂を受けし日より、その聖教に則り心身を砕いてお仕えしても、歳をとれば惨めに放り出され、何処で野垂れ死のうが顧みられることもない。真実、我等は憐れな運命よ」
大阿闍梨や僧都に仕える稚児は元々生まれも良く、強力な後ろ盾を有す一握りの例外である。
実際、ほとんどの稚児は歳をとって稚児をやれなくなった後、他の生き方を知らず、現実社会に適応できないまま世を儚んで自死する者が多かった──と古書は伝えている。
「フン、生憎だな? 俺は田楽師。稚児じゃあない。従って、おまえたちの恨み辛みに与する立場にはない」
狂乱丸はピシャリと言い切った。
「おまえがどんな理屈を捏ねようと、この金塊を盗み取ったのは紛うことなき真実じゃ! お望みなら説明して見せようか?」
そもそも、仕える僧侶に捨てられたと言うのからして偽りだろう、と狂乱丸。
「おまえは、その仕える僧侶とやらを殺めて、金塊を奪い取ったのじゃ。そして、取り敢えずの安全な保管場所として、こっちの──見るからに貧しい僧に目をつけた」
傾いだ扉の前で震えながら成り行きを見つめていた遍快を狂乱丸は振り返った。
「遍快殿、最初出会った時、こいつの水干が血塗れだったと言っていたよな? さもあらん。水干を汚していた血は虐待の痕ではなくて──主人殺害の際の返り血じゃ!」
絶句する遍快。
「……まさか」
構わず、視線を稚児へ戻すと狂乱丸は続けた。
「おまえは血塗れの姿を道行く人に不審がられる前に、取り敢えず身を隠し、且つ、懐に入れている金塊を保管する場所を思案して……ちょうど行き当った貧しい僧をまんまと利用したのさ!」
「よもや、こんな荒れ寺にお宝が眠っていようとは誰も思うまい。ここなら未来永劫、押し入る酔狂な賊もおるまいよ!」
「?」
新たな声がした方を眺めやって稚児は一瞬、硬直した。
これは妖しか、幻か? そっちにももう一人、全く同じ田楽師がいるではないか……
水干の文様も同じ花兎──だが、色目はこちらは萩重ね、上は紫、袴が二藍である。
双子の弟、婆沙丸は兄の横までやって来ると並んで立った。
兄弟は歌うように声を重ねて言い切った。
「この策略、中々どうして上手く考えたものよ……!」
「おまえ等……双子かよ? まさか、人を誑かす天狗や狐狸の類ではあるまいな?」
謎の兄弟に対峙して、流石に石寿丸も狼狽し始めた。額には汗が滲んでいる。
「き、聞けばさっきから、さ、さも見て来たような嘘ばかり並べ立ておって──」
「おや? 見て来たのさ!」
また、別の声。
今度、沙弥壇の陰から現れたのは、二天にも見紛う屈強な体に黒摺りの蛮絵を纏った検非遺使である。
「この中原成澄が、おまえの殺めた僧侶の死骸、この目でしっかと見届けたぞ!」
「あ!」
「処は二条、二つの川の流れる河原。頭をぶち割られて果てたその僧の懐には守り袋が残っていて──陸奥国は浄念寺、圓貞と墨書してあった……!」
「……もはやこれまでか」
先刻までのたおやかな微笑は消えて、稚児は険しい目で舌を鳴らした。
「チェッ、京師に死骸は珍しくもない。誰も毛ほども気に留めるまい、と思ったのは誤りかよ? こうまで一人ひとり気を配っていたとは知らなんだ!」
この皮肉に中原成澄は紅潮した。
剛直なる検非遺使は心底恥じ入って、認めた。
「確かに。死体放置は我々検非遺使庁の怠慢である。京師に山成す死者の身元を一々確認することなど到底できかねる」
当時、『獄前の死人、訴えなくんば検断なし』と言う諺があった。たとえ使庁の門前に死体が転がっていても訴える人がいなければ放って置かれた、その現実を言っている。
が、気を取り直して検非遺使慰は言う。
「ただ、今回ばかりは特別に助言してくれた者があってな。意識的に捜したから見つけ出せたのだ。そうして──全てが明白になった。奥州は陸奥国の僧・圓貞は造仏の志を持って、遥々都へ上って来たのであろう」
時は末法の世である。 ※末法=釈迦入滅後到来する混乱と破壊の期間。一万年続くとされた。
浄土の教えは今や都に留まらず津々浦々まで浸透し始めていた。
遠く鳥が鳴く東の地から陸奥奥州まで、昨今、寺の建立が相次ぐ。
とはいえ、いくら寺を建てても肝心の本尊が足りない。いきおい仏像を求めて都にやって来る遠国の僧が多くなった。中でも、東北は金が地中に埋まっているという噂。
彼等僻奥の僧たちは仏に変えようと黄金を携えてやって来るのだ。
「そこまで読まれてしまっては仕方ない」
大きく息を吐いて石寿丸は項垂れた。
☆寺院童・稚児の図……こんな風だったらしいです。




