双子嫌い 12
引っ立てられていく際、寛誉は今一度、足を止めてその像を振り返った。
まさしく……昨夜、修法した双身像と瓜二つであった。
見れば見るほど、あの田楽師兄弟の容貌──
だから、寛誉自身、生身のそれを仕舞い忘れたかと、一瞬焦ってしまった。それほどそっくりだった。
(だが、そんなはずはない。そんなはずはないのだ……!)
よくよく見れば、像は木の肌から成り、昨夜の双子のようにその内側に熱い血は巡っていない。
更に、もっと近寄って見ることができたなら、それが今さっき彫り出したと思しき鑿痕も荒々しい榧の彫像だということを、寛誉も容易に知り得たであろう。
成澄が屋敷に踏み込むのが夕刻になった理由はまさにここにある。
言い方を変えれば、夕刻までにそれは仕上がったのだ。
信じ難い早業ではある──
この〈双身毘沙門天〉像を彫り上げた者こそ、天衣丸。南都出身のあの少年仏師だった。
天衣丸が心血を注いで一心不乱に彫り上げた像を成澄は屋敷に乗り込む際、配下の衛士の群れに紛れさせてこっそり邸内に持ち込んだのだ。必要以上に荒々しい屋敷への突入はこのためであった。
狂乱・婆沙の兄弟は法橋寛誉の捕縛より遅れること半日。払暁の頃に至って、漸く屋敷内の隠し部屋より救出された。
有雪が推量した通り、二人とも唐渡りの秘薬によって意識がなかった。
兄弟が完全に覚醒したのはその日の昼遅くなってからである。
この種の秘薬の調合法を寛誉は熟知していて、私兵として使っていた何十人もの男たちは、食い詰めた浮浪の徒から屈強な者を撚りすぐり集めては薬を与えて自在に操っていた。双子を拉致する際の恐れを知らぬ戦い方は薬による高揚感から来ていたのだ。
惜しいかな、天衣丸が一日にして彫り上げた〈双身毘沙門天〉像は今に残っていない。
これには更に込み入った事情があった。
法橋寛誉は前記したように現関白・藤原忠通の実父である前関白・藤原忠実の信頼厚く、寺を統制する補佐役に任命されていた。
その寵愛の僧の、影の悪行に激怒した忠実は、彼を登用した自らの名を汚さないためにも公の場で裁くことを望まず、内密に断罪した。
実父故、現関白も抗し難く、結果、今回の騒動に関わる一切は公式に残すことを許されず悉く廃棄された。天衣丸の像然り、中原成澄の検非遺使記録文書然り……
唯一、処刑当日、忠実のもう一人の息子、次男の藤原頼長の日記に簡単な記述が残るのみである。
《 台記 》より。
久安三年(1147) 十月二十四日の条
禅閣、法橋寛誉を殺す。世を持って刑罰法に卓るとなす……
【 抄訳: 父忠実が法橋寛誉を殺した。
刑法などより自分の意思が優先とは、何と言う驕りであろう! 】
同日、寛誉に与していたとして、検非遺使・藤原盛房なる者も処刑された。
この二人が双子の兄弟であったことは公然の秘密である。
二人の父、前大蔵卿・藤原為房は当時貴人によくあった双子嫌いの因習から、生まれるとすぐ弟の方を寺に預けた。母たる人の反発もあって兄弟はこっそり行き来して父の仕打ちを恨みつつ育ったと言う。
成澄は屋敷に押し入った際、寛誉を一目見てその事実を了解した。(一瞬の身動ぎはそのせいだったのだ)僧衣と蛮絵装束の違いはあれど、寛誉と盛房は生き写しであった……
かくのごとくそっくりで、仲が良く、一緒に育ちたがっていた二人が同じ日に死を賜ったのは皮肉というより他ない。それとも──
せめてもの救いだったのだろうか?
以下、蛇足ながら。
天衣丸はその後、安元二年(1176)、父との合作の大日如来像でその実力を世に示した。
しかし、彼が天才としてその名を不動のものにするのは東国を巡って後──彼の地で数多の傑作を彫ってからである。
阿弥陀如来像(願成就院)、毘沙門天像、勢至観音像(浄楽寺)……
京師の貴族に変わって勃興して来た武士たちの清冽で端整、豪放な風合いが天衣丸の資質に能く合致した。言い換えるなら、時代が彼を必要としたのだ。
尤も、その頃にはもう仏師は壮年になり、天衣丸という名では呼ばれなくなっていたが。
運慶というのが歴史に残る彼の名である。
今回、多大な災難を被った狂乱・婆沙の兄弟だが、周囲の心配をよそに存外ケロッとしている。
像にされていた時、薬によって記憶が全く残っていないせいもあろう。
夢現だった二人の、その時の〈夢〉がそれぞれ面白い。
「おまえは何を見ていた、婆沙丸?」
兄が問うと弟は答えた。
「山野を」
「ほう?」
「俺たちの生まれ育った山野じゃ。兄者と一緒に懐かしい山の木々の間を走り抜けて行くと、湖があった。と見るや、次の瞬間、俺はその湖面の蓮の花の上に立っているではないか! あの柔らかな蓮の薄桃色の花びらの上じゃ。こう、ふうわりと立つ感触……得も言われぬ……」
婆沙丸は深く溜息を吐いて小首を傾げた。
「のう? 蓮の花ときたら、あんなに清楚で華奢なのに俺の重みをものともせずしっかり支えてくれるから不思議じゃ」
「おい、婆沙、それはかなり危ない領域じゃ」
「かくいう兄者は、では、何を見た?」
「俺か?」
狂乱丸は笑って漆黒の垂髪を揺らす。
「実は俺もおまえと一緒に故郷の山野の、翡翠の湖の前に立っていた。そこまでは同じよ。だが、俺は、蓮の花に立つおまえから離れて湖の淵にいて……白く輝く石を拾うのだ。すると、美しい娘が現れて、石を返せと言う。娘が言うには『それは私の歯です』だと」
「で、どうしたのさ?」
「そういうことなら、と俺は素直に返したさ。娘はにっこり微笑んで、お礼に『私に乗れ』と言う」
頬を染める弟。
「乗ったのかよ、娘に?」
「流石に俺も躊躇したさ。だが、娘は俺の手をむんずと掴むと俺を背に乗せた──と、なんと、娘は龍になっていた! 娘は龍の化身だったのだ……!」
「チェッ、俺が乗ったのは花で、兄者が龍とは……双子なのに割が合わぬ」
「こら、最後まで、聞けよ、婆沙。俺は龍の背に乗って……天空を飛んで行く……故郷の山々も都も見る見る遠のいて……目の前には大海が迫って来た……」
狂乱丸が飛んだと言う故郷の山野も、京師も、今、秋は酣。
何処までも紅葉が目に鮮やかである。
《 第4話 ── 了 ── 》
次作は〈稚児〉絡みのお話。
当時持て囃された、華やかな職種(?)ですが、
内実は過酷、悲惨で自死も後を絶たなかったとか…
短い話を続けて二話お送りします。




