水の精 4
弾かれたように二人は声のした方へ走った。
果たして、大内裏の南東、東大宮と二条大路の交わる辺り──俗に呼ばれる〈あははの辻〉に人が二人打ち倒れていた。
どちらも狩衣に指貫姿の貴人である。
近づくにつれ、成澄の翳す松明に照らされてもっとわかった。
仰向けの方の顔面はベロリと削がれて血だらけだ。
「何てこった……! ウアッ?」
駆け寄ろうとした成澄、何かに躓いて蹌踉めいた。
結ばれたままの縄が一つ転がっていて明かりを近づけるまでもなくべっとりと濡れているのが見て取れた。
「では、まさか、今たっても話していた〈水の精〉の仕業……?」
「成澄!」
婆沙丸が注意を促す。もう一人、うつ伏せに倒れていた方が微かに動いたのだ。
どうやら、こっちは生きている気配──
地に腕を突いてゆっくりと身を起こした公達の顔を見て、成澄と婆沙丸はひとまず安堵の息を吐いた。こちらは倒れた際付いた地面の土で汚れてはいるものの顔は無傷のようだ。
貴人の若者は低いながらもしっかりした口調で訊いてきた。
「おお、あなたは……検非遺使殿? では、私は助かったのですね……?」
成澄の目は若者の背後の築地塀へと吸い寄せられた。
ここ〈あははの辻〉はいつからこの奇妙な名で呼ばれるようになったかは定かではないものの、正確には〈二条大橋の辻〉である。さらに別の言い方をすれば〈神泉苑の丑寅の角〉であり、〈冷泉院の未申の角〉でもある。
──冷泉院?
そう、こここそまさに秘本に曰く、〈水の精〉が出没した場所ではないか……!
蛮絵の装束の検非違使の声が凍った。
「一体、ここで何が起こったのだ……!?」
冷泉院の前の辻で、襲われて命を落とした者の名は源実顕。
辛うじて難を逃れた者の名は藤原雅能。
共に公卿の息子で大学寮の朋輩だった。
翌日、生き残った方の藤原雅能が使庁の別当に直接語ったところに因ると──
その夜、二人は一緒に出かけた。
夜歩きは貴族の若者の嗜みである。予々〈水の精〉の騒ぎは知っていたが、まさか自分たちの身に及ぶとは夢にも考えていなかった。
いつものように連れだって大学寮を抜け大内裏は美福門の前を過ぎ、ちょうど〈あははの辻〉に差し掛かった時、突然何者かが襲って来た……!
「その者の姿形は見られましたかな?」
別当の問いに若者は首を振った。
「それが全く。何しろ闇の中からいきなり肩を捕まれ、恐ろしい力で地面に突き倒されたのです。私はそのまま気を失ったようです」
悲しげに顔を曇らせて藤原雅能は言うのだった。
「薄れる意識の中で、幽かに友の断末魔の叫び声を聞いた気がします……」