花喰い鬼 1
「これは珍しい! 成澄殿か? 今日はまたどういう風の吹き回しだ? 昨日の〈後の月見〉の宴にも顔を見せず、何の音沙汰もないから……いよいよ田楽なんぞスッパリ忘れて真っ当な検非遺使になられたものと我等も陰ながら喜んでいたのに」
久方ぶりに一条は堀川の、俗に言う〈田楽屋敷〉にやって来た検非遺使・中原成澄。
さぞや歓迎されると思いきや、座長の狂乱丸の予想外に冷たい言葉にたじろいだ。
「おい、馬鹿も休み休み言え。どうしてこの俺が田楽を忘れるかよ?」
遡れば保延七年(1141)。
正月の修二会の儀式の真っ最中、堂内に突如飛び入った双子の田楽師があった。
その舞姿、歌う声の美しさは今でも京師の人々の語り草になっている。
言うまでもなく、その田楽師こそこの狂乱丸で、その場に居合わせた検非遺使が中原成澄だった。
成澄は取り押さえるどころか、ぞっこんマイッて一緒に舞い狂った。
以来、懇意の中である。暇さえあれば田楽屋敷に入り浸っているのだが──
「このところ成澄がとんとご無沙汰なのは、『恋に堕ちたせい』と有雪が卜占をたれたのさ!」
横から瓜二つの顔が覗いて教えてくれた。こちらが弟の婆沙丸。
「それで、兄者は機嫌が悪いのだ」
「おまえは黙ってろ、婆沙丸!」
これを聞いて少々安堵したらしく検非遺使は呵呵笑い出した。
「有雪だと? あの橋下の陰陽師め! 奴の占いが当たった験しなどないではないか!」
俺が来られなかったのはそんな風流な理由ではないわ。もっともっと……禍々しくも恐ろしいこと。
そう言って中原成澄は〈花喰い鬼〉の話を語り始めた。
「ここだけの話だが……」
一ヶ月前の康治2年(1143)、八月十五日。
さる公達が殺害された。
それが尋常な死に様ではない。
名を源匡房。父は左大臣を務めたほどのこの貴人の若者は、三条堀川にある自邸の寝所で下腹部を蹴り殺されて果てた。
宛ら、極楽浄土のようだったと、その場に駆けつけた検非遺使始め、付き従う衛士、放免に至るまで口々に囁き合った。 ※放免=元咎人の従者
「極楽なら良いではないか!」
ここまで聞いていた弟の田楽師、訝しんで声を上げる。
成澄は手を振って、
「なんの。それは皮肉というものよ」
確かに、この公達、極楽浄土にも似て、咲き乱れる花園の中で息絶えていた。
しかもその死に顔の美しいこと。元々美男と評判の白皙の面には毛ほどの傷もない。
但し、花園は花園でも、腹を蹴り破ったその血に浸した足で殺人者は踊り狂ったと見えて、夜具の周囲にこびりついた足跡が深紅の花の正体だった……
「ゲッ」
「のみならず、ご丁寧に本物の花まで撒き散らしてあった」
「本物? どんな花だ?」
「何、花自体は何処にでもある庚申花の類だ。だが、恐ろしいのは花の種類ではなくて──それらに全て噛み痕がついていたこと」
衛士に命じて一つ残らず拾い集めさせたところ、室内に巻かれていた花の数は二十。そのどれも花びらの一片が噛みちぎられていた。
「だから、〈花喰い鬼〉か?」
婆沙丸は身震いした。
一方、冷静沈着を持ってなる兄は言う。
「にしても、いくら無残な殺され方とは言え、今の世にいきなり〈鬼〉と決め付けるのはいかがなものか?」
検非遺使は何とも言えない凄みのある笑い方をした。
「間違いなく鬼さ! 見た者がいる」
件の夜、寝所の平生と違う物音を敏感に聞き取って様子を見に行った小舎人がいた。 ※小舎人=童の従者
死体を発見したのもこの少年なのだが、これが折からの十五夜の満月の下、ちょうど寝所から飛び出して渡殿を駆け去る鬼の姿をしっかとその目で見た。
日頃から聡明で、主人に可愛がられていた十歳になるこの小舎人が震えながら言うには、
『紅匂の小袿を翻して駆け去る鬼は頭に三本の角を生やしておりました……』




