星祭り 9
こうして、行方不明から七日目にして体仁皇子は無事、御所に帰り着いた。
失踪の報同様、その帰還についても一切公にはされなかった。
この年の十二月七日、崇徳帝よりめでたく譲位なって近衛帝となられるのである。
明らかに皇位継承の阻止を謀ったと見られる初夏のこの事件の〈真の首謀者〉が誰であったのか、その一切は遂に詳かにされなかった。
今回の騒動の唯一の落命者は平長衡であったが、実兄の平長盛はその後も変わることなく崇徳院に近侍して蔵人を務めている。
但し──
同じ年、崇徳の母で鳥羽院の后・賢待門院に仕え、また、摂関家藤原忠実・頼長父子の私兵軍団としても聞こえた河内源氏の長、源忠義の嫡子・源義朝が突如廃嫡され都を追われて東国に下ったことは歴史上の謎とされている。
彼、義朝が今回の皇子誘拐の実行隊長だったとすれば、任務失敗の責任を一身に負っての追放だった可能性は十分にある。
また、そうであれば、皇子誘拐の黒幕は崇徳帝の母后・賢待門院と言うことになろう。
鳥羽院の強引な譲位要求に、我が子崇徳の将来を危惧した実母が企てた擾乱故、崇徳としても不問にせざるを得なかったのだ。
とはいえ、当の賢待門院はこの失敗に懲りず、翌年再び、立后なった藤原得子を呪詛するに及んで、結局、出家に追い込まれるのである──
蛇足ついでに記せば、
熒惑丸の主は、悪左府と呼ばれた摂関家次男・藤原頼長らしい。
と言うのも、その後、頼長の屋敷で美しい雑色として侍る彼の姿が目撃されたからである。梶の大樹の下で、装束整えた熒惑丸を成澄が繁繁と見て首を傾げた理由はこれでわかる。検非遺使の成澄は既に過去、頼長邸で彼に会ったことがあったのだ。
この熒惑丸は最後まで頼長の忠実な僕だった。
主君のためなら殺人も厭わなかったことは当時の貴人たちの日記に詳しく書き残されている。
本名は秦公春である。
「それにしても──いかに義朝が幼馴染だったとは言え、よくも身一つで乗り込んだものよ!」
騒動が落着して数日後。
今回の働きを労って田楽屋敷で設けた宴の席上、橋下の陰陽師は盃を煽りながら頻りに嘆息した。
「皇子の居所を探り当てた上は二重三重に屋敷を包囲しても良かったろうに。今更ながらおまえの豪気には感服するわ!」
「いや、実は……抵抗されないとわかっていた」
照れて、検非遺使は明かした。
「もっと言えば──皇子を返すという確信があったのだ。何故なら、こういう決着を最も望んでいたのは義朝自身なのだからな」
一同吃驚して聞き返した。
「と、言うと?」
「それはどういう意味だ?」
「例の……あの屏風絵の歌さ!」
成澄は言う。
最初に見た時は全く気づかなかったが、〈星祭り〉の儀式の際、歌の真意を漸く理解したのだ、と。
「あの歌には詠み手の心情が見事に詠み込まれていた。ハナから義朝は今回の皇子誘拐には乗り気でなかったと見える。だが、主君の命には逆らえぬ。それで、仲間の長盛が弟に〈印〉を残そうとしているのを知って、ある意味、まんまと便乗したのさ」
歌は〈印〉への鍵、〈星祭り〉へと導く屏風絵の〈梶の葉姫〉の真上に書かれていた。
「義朝があれを書き付けた時、長盛は弟が気づき易いように協力してくれたものと思ったろう。だが、実際は違う」
成澄は自信を持って言い切った。
「居場所を読み解いたなら、一刻も早く皇子を取り戻しに来い、とあの歌は告げていたのだ」
双子は素直に驚きの声を上げた。
「すると、今回、謎を解いたのは俺たちや有雪だけではなかったのだな!?」
「隅に置けないぞ、成澄? やるじゃないか!」
成澄はニヤニヤしながら、屏風に記されていた歌を半紙に書いてみせた。
それを回し読みながら田楽師も陰陽師も首を傾げるばかり。
「つまり?」
「本意ではなく無理やり皇子の誘拐をやらされる己の身を、舟を漕ぐ艫取女の悲哀に託してるってことか?」
「それともこうか? 若い遊女を藤原得子、その座を奪われた艫取女を賢待門院に重ねて、だな──」
「馬鹿な!」
成澄は豪快に笑い飛ばした。
「そんな文学的心情が無粋な俺にわかるものかよ! 同じく、義朝も武者。もっと率直に言っておろう?」
検非遺使は悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。
「おまえたち、もっと頭を使って読んでみろ!」
艫取女
蘆別け
すすむ端舟の
江も知らで漕ぐ
かなしき
この
身ぞ
《 第2話・星祭り ー 了 ー 》
み・こ・か・江・す・蘆・艫…です。
次作は狂乱丸の体質が鍵?
成澄がとある姫に懸想する話。




