白と赤 30
大刀を握ったまま立ち尽くす検非遺使尉。
「兄者!」
押しのけて覗き込んだ弟の田楽師が息を呑んだ。
「あ」
切り開かれた繭の中から出現したのは――
「兄者……じゃない?」
婆沙丸は呻いた。
「人じゃない……! こ、これは……なに?」
白皙の肌、金の髪。
薄っすらと開いたままの瞳は翡翠色。
この世の者とは思えぬ姿がそこにあった。
「サン……?」
駆け寄ったイチトイ女房の震える声。
「サン、おまえ? そんな……馬鹿な……」
「サン?」
「え?」
「サンだって? こ、これが?」
「摩り替わったな?」
橋下の陰陽師がゆっくりと近づいた。
「これがバケモノの正体か?」
呆然と佇む女房に視線を移して有雪は繰り返した。
「貴女がバケモノと呼んだ娘か? これが?」
思い当たって眉を寄せる。
「貴女が秦氏と景教の関わりに自信を持っていた理由もこれだったのか?」
大陸で景教と接した際、一族は西方の人々とも交わる機会を持った。それ故、時として先祖返りの血を濃く引くこどもが生まれる――
「た、確かにな。異形であるということに変わりはない――」
ここで漸く、検非遺使も相槌を打った。
「この姿では我が国で生きて行くのは難しかろうな。この髪、この肌、この双眸……奇異の目で見られても仕方がないだろう」
「でも、醜くなんかない!」
叫んだのは婆沙丸だった。
「この娘は――サンは、決して醜くはないよ! ちょっと……髪や目の色がちがうだけだろ? けっして醜くなんかない。いや、むしろ……とても綺麗だ!」
「美しさも醜さも同じじゃ! ともに奇異である。違うか?」
同意を求めるごとく覆面が揺れる。
「だから、私達は似てると言うたのに。我等は常に疎まれる哀れな存在じゃ」
「嘘をつけ。自分のしたことから目を逸らすな」
巷の陰陽師は容赦しなかった。
「復讐ならまだしも……貴女のやったことは理不尽で残虐な殺人だ。その上、貴女は哀れな娘を引き込んで利用した。
娘の美しさを知っていて、若者たちを誘き出す役をさせたのだ」
予め目をつけた美しい若者たちに接近させ、
雪の夜を選んで誘い出した。
若者達を戦慄させたのは、確かに娘の異形の容姿――
凍れる夜の片隅。
喘ぎが白い息になる。
『おまえは……人ではないな?
『なんということだ! 私は初めて見たぞ、こんな……』
『おお! その瞳……』
「そうじゃ。そのとおりじゃ」
イチトイは雪の上に膝を折った。
「今回は少々違ったが。私が選ぶ前にサンが勝手に美しい田楽師と仲良くなった……」
山城の社で仲睦まじく語らっている二人をイチトイは見た。
そして、9番目の兎歩、最後の供物に最適だと決めて〝取って〟おいた。
「そうじゃ。
愛し合う二人が許せなかった…… 嫉ましかった……
この哀れな娘を残酷な所業に引き込んだのも、美しさに嫉妬したから」
この娘は私が失くしたものを持っていた。その上、愛まで?
愛まで手に入れるのか?
「穢したかった。私と同じくらい醜くしたかった」
笑っているのか泣いているのか、判然としないくぐもった絶叫が雪空に吸い込まれて行く。
「だが、最期までこの娘は美しかった! 美しいままじゃ!」
どうぞ、お許しください、狂乱丸様。
私はこの恐ろしい行いをもっと早くやめるべきでした。
でも、勇気がなかった。
まして、貴方様と知り合った後では。
一日でも長く貴方様と一緒に過ごしたかったのです。
できるなら、もっと、ずっと、永遠にでも。
ですが、
最後の供物に貴方様を誘い出せと女房様に命じられた時、目が冷めました。
私の行いがどれほどおぞましいことか。
どうぞどうぞ、お許しください。
私が命じられるままにお誘いして、奪ってしまった尊い8人のお命。
そして、貴方様まで騙してしまったこと。
本当に申し訳有りません。
心より悔いております。
それでもー-
謝罪の言葉とともにもう一つ。私はお伝えしたい言葉があります。
ありがとうございました。
狂乱丸様。
そして、里の、我が族の神様。
私は罪を犯し、汚れた醜い娘ですが、こんな私にもかかわらず、
夢を見せてくださいました。
愛を教えてくださいました。
人を愛し愛される幸せを味あわせていただけて、
本当にありがとうございます。
狂乱丸様。
貴方様と過ごした日々はかけがえのない宝珠です。サンは忘れません。
この胸に刻んで……行きます……
「この子は真実美しい! 美しかった! 容姿も心も……最期まで!」
氷像のごとく立ち尽くす検非違使と田楽師から返答はない。
「わかっておるわ! 私はひどい罪人じゃ! そう思うだろう?
外見に似合った醜い女だと?」
「おまえだけかよ?」
橋下の陰陽師は吐き捨てた。
「我等も醜い罪人じゃ。また、罪を重ねた……クソッ」
物言わぬ亡骸に歩み寄る。
「この娘は救われるべきだった。この娘は悪くない。その命を引き変えにする必要などない。そう言ってやれたのに……
もっと早く駆けつけて救えたたものを。
そうできなかったのは我等が罪じゃ」
目蓋に手を置いて翡翠の瞳をそっと閉じた。
「俺達は俺達の罪を担って行く。賢い貴女のことだ。貴女は自分のそれをきっちりと清算しろ」
「いづれにせよ……血染めの兎歩は遂行できなかった。貴女は失敗した。これで、9回目はない」
検非遺使尉は告げた。
「貴女の〈願〉は成就できなかった―― では、使庁まで同道いただこう」
「……馬鹿な娘じゃ」
「おい、この期に及んでこの哀れな娘を詰るとは――」
「もういい」
憤る成澄の蛮絵の袖を有雪が掴んだ。
「?」
「女房が言ったのはその娘じゃないさ」
「ほんとに 馬鹿な娘……」
雪の紗幕。
後から後から……
雪自体が繭となり岡に立つ全員を包み込むように思えた。
検非違使の手を払って自分で立ち上がるとイチトイは歩き出した。
「美しさを取り戻したい」
「え?」
「戯れにそう〈願〉をかけたと言ったが、今は――」
雪の一片とともに覆面の唇から言葉が零れた。
「再生したい」
真白になって生まれ直したい。今度生まれたら――
続く言葉を女房は飲み込んだ。その代わりに最後に訊ねた。
「のう、博学の陰陽師様? 叶うと思うか? この願い」
「だから、祈りがあるんだろ?」
何処から戻って来たのか、雪を突いて舞い降りて来た白い烏を肩に留まらせて陰陽師が応えた。
「こっち側の俺達は、いつも……祈るのだろうよ」
遣る瀬無さだけが残る騒動だった。
この記録は公式には残されてはいない。
女房のイチトイのみ断罪された。
男8名を殺害し女1名を自死させた罪は重い。
のみならず、呪詛の兎歩に使用した〈供物〉の血を〈若返りの妙薬〉として、仕えていた皇后にも分け与えていたと噂されたが、その真偽は定かではない。
時の皇后は御歳39で入内された藤原勲子で、鳥羽上皇は若い寵姫藤原得子を熱愛されていたためこのような悪意ある風説が流布したのであろう。
明るい報告もある。
イチトイの言葉『帝の陰陽師を呪詛などしていない』は真実だったようだ。
〈呪返し〉と思われていた蔵人所の陰陽師・布留佳樹は、その後、回復した。
足から始まり心臓を這い登り脳髄に達した麻痺は逆の順番でゆっくりと退いて行った――
現代の医学で言うところのギラン・バレー症候群かと思われる。
☆次回完結です。
あと1回、有雪の謎解きにお付き合い下さい。




