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白と赤 29




「全て蚕繋がりだ!」


 蹶然(けつぜん)として有雪(ありゆき)は言い切った。

「だから、今回のこの騒動――〈血染めの兎歩〉には貴女が関わっている!」

 布留佳樹(ふるよしき)はそのことを伝えたくてこれらの夢を送り続けた――

「蚕だ! 蚕に深く関わる事柄! 蚕に縁のある光景! そして、その名を持つ女房殿! もはや、言い逃れは出来ぬぞ!」

「ホホホホホホ――――……」

 (つぼね)に女房の笑い声が響き渡る。

「確かに。私が《日本書紀》で古い先祖の因縁を知り、興味を覚えて、秦氏の領地に行ってみたのは事実じゃ」

 対照的に低く掠れた声で成澄(なりずみ)は訊いた。

「ふ、復讐をするために?」

「馬鹿な」

 哄笑は失笑に変わった。嘲るような眼差しを検非違使に向ける。

「単に学問的興味からじゃ。いくら私だとてそんな遥か昔の祖先の出来事を今更どうこう言うつもりはないわ」

 むしろ、と女房は続けた。

「太古の伊吹を連綿と今に伝える秦一族の遺産や文化に私は心から魅了されてしまった。だが、そのようにして何度も訪れるうちに、私はその地で面白い事実を知ったのじゃ」


「この一族が代々飼っていたバケモノ」


 女房はそういう言い方をした。

「長く、広く、大陸を彷徨った(うから)が、その血の内に宿し、それ故、時折生まれて来る異形の存在。オゾマシイこども……

 その子らは、人目を避けて一生黒い垂れの内に己の身を潜め、ひっそりと生きて死ぬ。

 面白いでしょう?

 どういう因縁か。私と似ている」

 覆面をそっと撫でる。

「それで――遊んでみたくなった」

 また検非遺使が訊いた。

「だ、誰と? その哀れなこどもとか?」

 女房は(かぶり)を振って、


「神とじゃ」


「もしそれが存在するなら……この世界を取り巻く不可思議で偉大な力に挑んでみたくなった」


「ど、どういうことだ? 女房は何を言っている?」

「シッ」


「私が学んだ全てを注いで、私は願を懸けた。別の言葉で言えば呪詛」

 歌うように女房は言う。 

「邪気に満ちた血染めの兎歩で九星を踏む。

 それをやり(おお)せた後で、我が願いが成就したら、神はいる」

 

「だが、もしその願いが叶わなかったら?」

 今度、質したのは有雪である。

「ホ、ホ、その時は、やはり、神などいないということ」

 覆面を震わせてイチトイ女房は心から楽しそうに笑った。

「どっちに転んでも私は楽しい!」


「それで私は、

 見目麗しい若者を、件の一族が飼っているバケモノを使って誘き出し、

 再生の儀式に則って供物とした」


「そんな……酷い……」

 声を詰らせる弟の田楽師。

 震える肩に手を置いて、成澄が今一度問う。

「そうまでして成就させたい貴女の願いとは、一体、何なのだ?」

 イチトイは顔を上げて有雪を見た。

「陰陽師様は気づいておられるのでしょう?」

「――」

「美しさを取り戻すこと」

 イチトイは覆面を拭い取った。

 


 ―― 呪詛よりも病のほうが恐ろしい……


豌豆瘡(わんずかさ)だな」

 

 有雪の言葉に、崩れた面がこっくりと頷いた。

 かつて口にした藤原四兄弟の話。それは女房自身を襲った事実でもあった。

「家族は死に絶えた。だが、私だけ――

 私だけ残された。この醜く爛れた皮膚、恐ろしい外身(そとみ)とともに」

 唇を噛む。覆面を通さない女房の声は乾いて、ややカン高かった。


 豌豆瘡――

 今で言う天然痘は、平安時代、何度も大流行を繰り返した死病だった。

 悪寒、発熱、頭痛と症状はインフルエンザに似るが、顔や手足に発疹ができ化膿する。

 命を取り止めても(かさ)の出来た皮膚は化膿して崩れ、二度と元の姿には戻れなかった。

 WHO《世界保健機関》がこの恐ろしい(やまい)の根絶宣言を出すのは、

 遥か未来(・・・・)、1980年5月のことである。


「私は幼い頃、大層美しい娘で、それ故、末は女御、皇后の女官に望まれると誉めそやされた。それが、どうじゃ? 皮肉なものよ。

 美しさを失った私は知恵と学識でその地位を手にした……」

 布を掴むと再び顔を覆う。

「神などおらぬ。わかっておるわ。私の醜さは、もはや永遠に変わらぬ。さてと」

 すっくと立ち上げる。

「では、案内(あない)いたしましょう」

「え?」

 再び笑いを含んだ声でイチトイは言った。

「……どうせ、もう、遅い。あなた方は間に合わなかった。今頃は、最後の供物が準備されている」

「なっ」

「私の謎を、見事、解いた褒美じゃ。陰陽師様、そして、お連れの皆様、最後の儀式を見せて差し上げましょう」

「う、嘘だ! 兄者――……」

「くそっ! まだだ、まだ諦めてははならぬ、婆沙(ばさら)! 俺は諦めないてはいからな!」


 


 暁闇(きょうあん)。吹き殴る雪を突いて疾走する二騎の馬。

 成澄の鞍にはイチトイを。有雪の鞍には婆沙丸が。


 時よ、止まれ!

 

 今ばかりは、時間が凍るのを唯唯祈る、婆沙丸、成澄、有雪の3人だった。

 だが、無常にも、空は白々と明けて行く――



 一行が山城(やましろ)の地に入った時、既に太陽は昇っていた。

 雪は小止みなく降り続いている。

「おう、ここは……」

 イチトイの指示に従って馬を走ら瀬ていた成澄、手綱を緩めずに有雪を振り返って確認した。

「うむ、来たことがある。蛇塚(へびづか)だな?」

「だが、墳墓がないぞ――」

 舞い落ちる雪の中、巨石は全く見えない。

 更に馬を進めて成澄と有雪はその理由を知った。

「幕?」

 石舞台の手前をすっぽりと白い布で囲ってある。

 尤も、ある程度接近しなければわかりようがなかったが。

「だから? 雪の夜を選んだのか?」

 イチトイ女房の言う〈儀式〉を人目から遮断するための白い幕――

「あれは石室にあった(ばん)だな? 俺は里の祭りかなんぞに使用するのだとばかり思っていたが。クソッ、あの時、もっと調べるべきだった……」

 唇を噛む有雪。いつも抜けている。そして、後悔する――

 何度、何度? こうやって俺は失敗を繰り返す?

 そこまで言って、有雪はハッとした。

 元より色白の顔が降り注ぐ雪よりも白くなる。ゾッとして血の気が引いたのだ。

 石室内にあった幡。そして、その他にあそこには何があった?

 恐怖に駆られて橋下(はしした)の陰陽師は自問自答した。

 あそこには(・・・・・)幡の他に(・・・・)何があった(・・・・・)


(かめ)……!」

「ホーホホホーーー」


 検非違使の鞍の中で笑い崩れるイチトイ女房。

「そうじゃ! 流石に察しがよいの? 博学の橋下(はしした)の陰陽師殿!」

 白魚のような指で岡を指差した。

「あの天幕は、所業を隠蔽するのみならず! ちやんと理由(わけ)あってのこと!

 申したでしょう? 私は書に習い徹底的に取り入れたと」


 再生の儀式には白い(はこ)がいる!

 四方に竹を立ててを白い布で覆い、その中に男と女が入り、行うべし。

 それは、(もがり)に使う喪屋でもある。


「どうじゃ? 私は完璧であろう? 再生は死と同義だから……」


 供物は、生まれたままの姿に裸に剥いて白絹を巻く。

 白は死衣。同時に再生の繭の色。

 そして、煮えたぎる甕の中で蕩かす。

 その後、白く浄化されたその繭を取り出して、清らかなその血と臓腑を――


 

 白と赤

 

 真にこれぞ、究極の白と赤

 再生の白と絶命の赤

 浄化の白と極印の赤

 純潔の白と魔邪の赤





「うおおおおおお―――っ!」

 

 張り巡らした幕の高さは凡そ6尺。

 検非遺使は蹴って入った。

 囲った幕の中央に更に小さな四角い白い天幕が張ってある。

「これが再生の函……殯の喪屋……?」

 その前に石炉が組まれ、踊る炎の上に据えられた大甕からふつふつと湯気が上がっていた。

 湯気は雪の舞う天に立ち昇って行く。

 周囲には僅かに数人の退紅(たいこう)を纏う者ども――最下級の雑役夫である。

「げ! 検非遺使……!?」

「うわ! 検非違使だっ!」

 突然の闖入者に蜘蛛の子を散らしたように逃げ出す。

「くそっ、どけ! どけ――!」

 雑色どもに構っている余裕はない。

 鞍から飛び降りるや突進した成澄、甕を力いっぱい蹴倒した。

 煮え(たぎ)った湯がドッと零れ、甕は雪原に砕け散る。

 もうもうと上がる水蒸気。転がり出た大きな繭。その白い塊にしゃにむに飛びつく。


「狂乱丸っ!?」


「気をつけろ、判官(ほうがん)! 火傷するぞ!」

 続いて幕内に駆け入った有雪が叫んだ。

「大刀を使え! 早く……出してやれ!」

 後ろの鞍から婆沙丸も飛び降りた。

「兄者――――っ!」


「ホホホホ――…… だから、もう遅いと言うたのに!」

 唐装束の緋色の袴が目を射る。雪中でも鮮やかだ。

「憶えているか? 博学の橋下の陰陽師! 書物にはなんと書いてあった?」

 舞人のごとく身を捩ってイチトイは叫んだ。 

「秦の族の長は(うつほ)船に入った―― 

 ウツホも繭も再生の形なり。だが、開いた時、既に人の形をしていなかったとも、記されているぞ!」

「イチトイ――」

 その通りなのだ! 有雪も読んでいる。

 

 《 皇極3年9月12日。

   秦の氏は摂津国・難波江より丸木船に乗って、

   風のまにまに瀬戸内海に出た。

   そして播磨国坂越(シャクシ)の浦に漂着した。

   浦人が舟を浜に上げて中を見ると、

   その姿形は人とは似つかぬものだった…… 》


「全てもう遅い! 美しい田楽師はもはや人でない。茹って、蕩けた、私の供物じゃ!」

「うぬ――」

 成澄は腰の衛府の太刀を抜き放つと、一閃、ザクリと白絹を断ち切った。

 一毫(いちごう)の狂いもない刃筋。

 大きな繭はぱっくりと口を開けた。そこから――

 

 そこには――





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