白と赤 28
「実は、現段階で、この絵についてだけは、俺も完璧に読み取っているわけではない」
室内にいる一同を見回すと有雪は明かした。
「唯一指摘できるのは、これ、舞人のもつ枝――」
最初の絵のその部分を指して、
「これが桑だとしたら? そうであれば、2枚目の〈桑と蚕〉の絵に繋がるだろ?
そして、逆から考える。他3枚が全て〈蚕〉を示しているということは、この絵の光景の中に蚕が暗示されているはず……」
この男にしては歯切れの悪い言い方である。それを感じ取った成澄がじれったそうに質した。
「暗示されているって? それは何だ? おまえは、わからないのか? わかっているのだろう?」
「いや、本当は……わかりたくないのだ」
おぞましい光景。その行方を。
「この舞人たちの衣の白は、蚕の吐く絹の白か?
そして、舞人は一人ではなく複数人いる。
皆が纏う白衣に染みている赤は血……裂かれた身が流す鮮血の赤……」
遂に、核心部分に言及する時が来た。
「この絵は今回の〈血染めの兎歩〉の血……
その提供者、いや、犠牲者を暗示しているのだとしたら?」
局は冴え返っている。誰一人として口を開くものはいない。
「一番手前、一番鮮明に見える白衣の人物の顔は狂乱丸に瓜二つだ。
つまり、9番目、最後の犠牲者こそ狂乱丸?
布留佳樹、あの偉大な〈帝の陰陽師〉はそこまで察知していた……?」
「そんな! 兄者……!」
「落ち着け、婆沙!」
「早く、早く、兄者を……助けて!」
「お見事です」
衣擦れの音がして女房が座り直した。
「貴方様の4枚の絵の読み解き、大変面白うございました。吹雪の夜の無聊を慰めるには持って来いじゃ。陰陽師様の賢さ、大いに褒め称えましょう」
真正面から有雪を見つめる。
「とはいえ、そこまでじゃ」
今度はイチトイが檜扇で並べられた絵を順に指し示す。
「後の3枚が〈蚕〉、最初が桑や蚕の暗示とともに〈血穢の兎歩〉を描いたものだとして――それが、何故、私に通じるのですか?」
有雪の瞳を覗き込んで繰り返した。
「4枚の夢告の不可思議な絵の繋がりが〈蚕〉だとわかったところで、私との繋がりは全く見えない」
檜扇は翻ってピシリと代理の陰陽師の眉間を指した。
「何故、このイチトイに罪を被せようとするのじゃ? 言いがかりもよいところ! やはり貴方様は橋下がお似合いの似非で暗愚な陰陽師じゃ!」
「本当にな。俺がもっと賢かったら……」
有雪の声は何処までも澄みきっていた。
「もっと早く気づいて然るべきだったのに。女房殿の伯父上の名を聞いたあの時に」
「!」
「大学博士であらせられる伯父上、その姓が大生部だと聞いた時、俺は何処かで聞いたと思ったんだよ。クソッ!」
有雪は悪罵した。自分自身を。
「今回はいつもそれだ。大秦寺と聞いた時、何処かで見た字面だ思ったが、それもそのはず、2枚目を〈桑を食む蚕〉と読み取った古老が太秦の機織りだったと既に聞いていたからだ……そして、伯父上の名……」
ここで有雪は頭を廻らせて室内を眺めた。
螺鈿の二階棚にも厨子にも、山のように積み上げられた巻子本。
思わず笑みが零れる。
「ああ、イチトイ女房殿! 貴女は本当に書物が好きなんだな? 俺同様……」
だが、再び口を開いた時、陰陽師の顔に微笑はなかった。
「イチトイ女房殿、貴女が届けてくださった書物でしっかりと確認させてもらったよ」
《日本書記・皇極3年(644)7月の条。
東国の富士川のほとりに住む大生部多が、蚕に似た虫を常世の神として、
この神を祀れば富と長寿が得られると信仰を広めた。
これが瞬く間に広がり、都でも田舎でも常世の神を捕まえて安置し、
歌い踊って福を求め財宝を投げ出す者が続出した。
民衆を惑わすこの信仰を憎んで、秦河勝が大生部多を捕らえ罰した。
これにより、
河勝は、神の中の神であるとのざれ歌が流行った。
「太秦は神とも神と聞こえくる常世の神を打ち懲ますも」…… 》
この記述が意味するもの――
「貴女の祖先はその昔、秦一族に潰された新興の養蚕業者だ。
しかも、もっと言おうか?
〈イチトイ〉のその名は〈一番に問いに答える〉の意味ではない。
そのものズバリ、蚕の別称だ。
豊かな恵みを与えるこのありがたい虫は崇められて、それ故、伝播した津々浦々で多くの名を冠された。俺はそれらも全て調べた」
有雪は列挙した。
「あみぶくろ、あとと、いとむし、うすま、おさなもの、おしなもんさま、おしらさま、おぼこ、ぎんこ、ひまこ、くわこ、こなさま、とどこ、いちとい……」
女房をしっかりと見据えて有雪は締め括った。
「どうだ? これで全て繋がった! 俺の蚕はよく糸を吐いたぞ。
今回の件は全部、蚕繋がりだ!」
「ホホホホホホ――――」
宛ら、絹のごとき滑らかな笑い声。




