白と赤 27
「兄者がいなくなった! 気づいた時は、夜具は蛻の殻で――何処を探しても姿が見えない……」
「おい、 それはどういう意味じゃ?」
有雪が問い質した。
「この雪の真夜中に何処かへ出て行ったとでも言うのか? 落ち着け、婆沙丸。そんな馬鹿なことがあるものか」
「だが、そうなんだもの。それで……兄者の部屋の前の縁にこんなものが……」
「?」
弟の田楽師が差し出したものは――
「これは……繭?」
今まさにその話をしようとしていたのだ。
食い入るように見入る有雪。一方、成澄は喘いだ。
「あ」
脳裏に同僚たちの嘆き声が蘇る。
―― この寒い季節に若者たちが掻き消えるようにいなくなって行く……
―― 家人の話では、皆、夜半、夜具の中から抜け出して外へ出て行ったらしい
―― その後、どの失踪者もプッツリと痕跡が消えている
まさか……
兎歩のあの血穢……
計8回撒かれたあれは、いなくなった若者たちの……臓腑?
そういえば、
〈血染めの兎歩〉が出現した、その前夜は、全て、雪だった。今日のような……
白と赤は、やはり、雪と血なのか……!
「大変だ! 有雪よ、9人目……最後の兎歩の――」
なんと称していいかわからなくて検非遺使は言葉に迷った。
「提供者……供物……は狂乱丸かも知れぬ!」
「そんな!」
婆沙丸が身を捩って絶叫する。
「早く――早く、兄者を見つけ出してくれ、成澄! 有雪! お願いだ! 兄者を助けてっ!」
「勿論だ!」
歯を食いしばる中原成澄。
「だが、何処を探す?」
検非遺使尉は縋るように有雪に視線を向けた。
「我等、何処に赴けばいい?」
「――」
手の中の繭。
一度目を瞑り、己の中の闇を見据える。カッと見開いて有雪は叫んだ。
「イチトイだ!」
「え?」
「有雪?」
「あの女だ! イチトイ女房の局へ……いざ!」
あくまでも忍びやかに一行は局に入った。
廂の間は無人。付き従う女房や女童の姿はなかった。奥に燈台の灯りが見える。
イチトイ女房は起きていた。端座して書を読んでいたらしく、ゆっくりと振り向いた。
「これは……判官様? 代理の陰陽師様も?」
覆面に燭の灯が揺れる。
「こんな夜分、取り次ぎもなくいきなり我が局に踏み込むとは何事です? 私がどなた様の女房かわきまえておられるのでしょうね?」
「申し訳有りません。何分急を要していて。どうかお力をお貸しいただきたく――」
「穏便に入ったこと、むしろ感謝していただきたい」
恐縮して頭を下げる検非違使を押しのけて有雪が一歩前へ出た。今回は薄汚れた白衣、肩に白烏を乗せたいつもの風体である。
「時間がない。我等の懇意の田楽師が姿を消した。即刻、居場所を教えていただこう」
「え!」
真っ先に驚きの声を上げたのは成澄だった。
「女房殿に知恵を借りに来たのではないのかよ? 俺はてっきり――」
「いや。それはおまえの誤解だ。俺は白黒を付けに来た」
「まあ!」
楽しげに女房は笑った。
「どういうことでしょう。私はてっきり謎解きを披露なさりにいらしたとばかり思いましたのに!」
「謎は解いたさ。だからこそ、ここに来たのだ」
有雪は持参した4枚の絵を女房の前に並べた。
「女房殿、俺の読み説きはこうだ。聞かせてやろう」
単刀直入に言ってのける。
「この4枚の絵の光景……その全てが共通して示しているもの……それは〈蚕〉じゃ!」
覆面を通した微かな吐息の音。
その他は止むことない雪の音。
「1枚目は、後に回す。実はこれが一番難解だったから。そして、認めるが、この光景についての、俺の最初の読みは間違っていた」
「え? そうなのか?」
思わず声を漏らす成澄。
「ああ。俺はヤマトタケルとミズヤ姫の婚礼の場面だと言ったが間違いだった。だが、先に一番わかりやすい2枚目から」
「これは太秦の機織りの古老の言ったとおり、〈桑を食む蚕〉だ。この蚕が次の3枚目に繋がって行く」
「えええ? この〈馬と娘〉の絵にか? 何処に蚕がいるよ?」
またしても驚きの声を上げる検非遺使尉だった。
「この馬と娘の光景はな、かつて大陸から伝わった〈蚕〉の伝承物語を描いているのだ。俺は知らなかった。だが、蚕に関わる者たちの間では広く知れ渡っているらしい。典拠は東晋の干宝が記した『捜神記』――」
《 昔、父親が戦争に駆り出され、家に娘と雄馬だけが残された。
娘は父親恋しさの余り、雄馬に冗談半分で、
父を連れ帰ってくれたら貴方の妻になると囁いた。
これを聞いた雄馬はすぐさま父親を連れて家に戻って来た。
だが、
娘を見る雄馬の熱い眼差しに気づいた父親が娘に事情を問いただすと、
娘は一部始終を打ち明けた。
激怒した父は弩で雄馬を射殺し、皮を剥いで晒した。
その後、娘が雄馬の皮に近づいた時、馬の皮が突然飛び上がって、
娘に巻き付いて家から駆け去った。
数日後、発見された時、娘は馬の皮と一つになり、
大木の枝の間で蚕に変身して糸を吐いていた。
父は娘を喪い、
以後、大木は「喪」と同音である「桑」と名付けられた…… 》
「……そういうことだったのか。だが、この十字の形はどうなる? 蚕とは全然関係ないだろう?」
「それはまあ、ある意味、女房殿の指摘のとおりさ」
有雪はイチトイに目を向けた。
「貴女がどういう意図でこのことを俺に教えてくれたのか? 賢い女房殿のことだ、人を欺く際、小さな真実を混ぜた方が、より効果があると知っていたせいか? 或いは単に面白がっていた? 真実を見出せず煩悶する俺の姿を見て。はたまた、どうせ、俺などにこの謎は解けっこないと高を括っていた?」
有雪は肩を竦めた。
「多分、その全部だろうよ」
「――」
微動だにしない女房から再び絵に視線を戻す。
「この十字は景教の印としよう。そして、これが次の4枚目の絵へと繋がって行く」
「三柱鳥居が実は異教の神を祀っている、というアレだな?」
「?」
険しい表情で口を噤んだままだった婆沙丸も身を乗り出した。
「どうも、布留佳樹もこの鳥居を景教に関連する建造物と思っていたようだ。
その真偽はさておき、この十字は、異教の教義に関してではなく、単に4枚目への繋ぎ、橋渡しとして意味があるのさ。大秦寺の印から太秦のこの鳥居へ」
ここで有雪は検非違使を振り返った。
「ところで、蛇塚を憶えているか、成澄?」
「え? あの墳墓のことか?」
「そう。可愛らしい山城の里の娘たちが言っていたろ? アレは蛇塚ともいい岩屋とも言うと。こちらは当て字の変化だが大避神社は大酒神社となった――地元では色々な呼び名が生じて受け継がれて行く」
「?」
「物凄く簡単で単純なことだったのだ。あの鳥居を見に行った際、もう少し詳しく現地で調べていれば良かった」
橋下の陰陽師は薄く笑って、
「この三柱鳥居は地元の者の間では、〈蚕の社〉呼ばれているのさ!」
「どうだ? これで3枚全て〈蚕〉が隠されているのがわかったろう? その上、一つの絵から次の絵へ繋ぐモノが描かれていることにも気付くはず」
確認するべく有雪、順番に絵を指して行く。
「2枚目、桑と蚕→3枚目、蚕伝説と景教の印→4枚目、景教を祀ったとも伝わる場所=蚕の社」
大きく息を吐いた。
「こうして、遂に1枚目へ戻らねばならない」




