白と赤 24 ★
なだらかな岡。その頂上に巨大な石が積んである。
自然に出来たものとは思われない異質な風景だった。
山城の地に至って、爆走していた成澄と有雪。突然舞い降りた白烏に驚いて馬を止めた場所である。
唯でさえ人気のない岡はまた降り始めた雪のために静まり返っていた。
「おう、これは……?」
鞍から跳び下りて呟く成澄。
肩に戻った白烏を撫でつつ有雪は応えた。
「こりゃ、墳墓だな」
「フンボ……」
「古代の人が作った墓だよ。南都の外れ、飛鳥の地にこれと似たものがある。確か石舞台と呼ばれていたな」
首を廻らせて周囲を見廻す。
「しかし、京師の近くに似たようなものがあるとは……俺も知らなかった。どれ」
有雪は巨石を目指してどんどん登って行く。
慌てて成澄が追いかけた。
「いいのかよ? 墓なのだろう? 不敬ではないのか?」
橋下の陰陽師は笑い飛ばした。
「日頃恐れを知らぬ検非遺使のくせに、敬虔だな! 安心しろ、こう露出していては、とっくに盗掘されている。中は空っぽだろうよ」
「――」
飄然と巨石の割れ目から入って行く有雪。白烏も肩に留まったままだ。
細い羨道を進むと広い空間に出た。
「ほう! ここは石室だな!」
続いて入って来た成澄、体を縮めながら囁いた。
「全て盗み出されているわけじゃなさそうだな?」
中央に石棺、隅の方には甕や幡、木辺などが積んであるのが濃い陰となって覗えた。
「暗くてよく見えん。蝋燭を携帯していれば良かった!」
「フン、いずれにせよ、価値のあるものは残っちゃいない」
石棺に蓋はなく中身は空洞だった。
有雪は興味を失った様子で鼻を鳴らした。
「ここのあるのはどれも新しいものばかりだ。里の者たちが物置代わりに使っているな? もういい、戻ろう」
外に出ると、ちょうど岡の下を歩いている数人の人影が見えた。
「おおーーーい! そこの人!」
検非違使が駆け下りた。
「失礼! お尋ねします! ここは一体何なのですか?」
「キャッ!?」
足を止めたのは里の娘たちだった。
皆、流行りの色糸で髪を束ねている。成澄の蛮絵を見て姿勢を正した。
「まあ! これは――京師の検非遺使様?」
「判官様!」
「怖がらなくても良い、大酒神社へ参詣しようとやって来たのだが、この不思議な岡が目に入ってな」
「これは蛇塚と呼ばれています。岩屋とも言うけれど……」
「古いお墓と聞いています」
「中に蛇が棲んでいるんですって! 怖いわ!」
「違うわよ、その蛇は守り神なのよ!」
娘たちは華やかに笑いさざめいて教えてくれた。
「私たちも小さい頃はよくここで遊びました」
「今も、弟や妹が遊んでいるわ」
「でも、大人はあまり近寄らないわね」
「当たり前だわ。大人は忙しいもの。鬼ごっこや隠れんぼなどして遊べるものですか!」
成澄も笑いながら、
「鬼ごっこか! 俺も大好きだったな。そのせいで俺は大人になっても似たようなことをしているが」
「まあ! 判官様ったら!」
「面白い御方!」
「ハハハ……それはそうと」
ふと思いついて成澄は訊いてみた。
「山城の娘さんたち、貴女たちの住んでいるこの辺で、最近変わったことはなかったかい?」
「変わったこと?」
「うむ、変わったものや、変わった音を、見たり聞いたりしなかっただろうか?」
「いえ、何も」
娘たちは顔を見合わせた。
「別段、変わったことはないわ」
「そうね。もっとも、冬は――」
「ええ、こんな雪の日は舞い狂う雪のせいで何も見えなくて当然です」
目配せして娘たちはくすくすと笑い合った。
「今だって、岡の上の蛇塚が全然見えなくて、判官様が突然現れたから驚きました!」
「ほんと、肝を潰したわ!」
「幻か、神様が出現なさったのかと思った!」
「立派な装束で、背もお高く、お顔もお美しいし」
「ハハハ、煽てるなよ!」
大いに照れる成澄。烏帽子に手をやりながら岡の上を振り返った。
なるほど。
巨石の前に佇んだままの陰陽師の姿が雪の中に翳んでいる。肩に烏など留まらせているので、余計、この世の者とは思えなかった。
「あの方もお友達ですか?」
「まあな」
「不思議な方! 蛇塚よりあの方の方が妖しげだわ……」
「でも、お美しいわ!」
「やはり京師の御方は違うはねぇ!」
「寒い中、足を止めさせて悪かったな? 皆、気をつけて帰れよ?」
「では」
「判官様もお気をつけて!」
駆け戻った成澄は上機嫌だった。
「いやあ、いいなあ! 若い娘たちは朗らかで! こちらの心も温かくなる!」
「フン、箸が転げてもおかしい年頃だからな。それにしても――」
ギョロリと目を剥いて有雪が睨む。
「おまえの人誑しぶりは天下一品だな? 今の光景を以前の狂乱丸が見ていたらどうなっていたことか」
「え?」
「きっとただじゃ済まなかったろうな」
「クックックッ……」
これは白烏の笑い声。
成澄と有雪はこの後、無事、大酒神社に行き着くことが出来た。
参詣後、激しさを増した雪の中を、一路、京師へと舞い戻った。
二人は、この日、山城では狂乱丸に会えなかった。
それもそのはず……
「ハーックション……!」
墳墓の岡で噂話をされたせいではない。
「クション、ハクション、ハクション!」
「大丈夫か 兄者?」
京師は一条堀川の田楽屋敷。
額の巾を取り替えながら婆沙丸が心配そうに言う。
「ひどい熱じゃ! 俺の言うとおり、今日は山城へ行かないで良かったな!」
「ふん、このくらい平気じゃ。大したことない――」
「無理をしてはだめだよ、兄者。それに」
弟の田楽師は訳知り顔で目配せした。
「その風邪、大切なあの娘に移しでもしたら、大変だろう?」
「……それもそうじゃ」
「さあ! だから、今日はおとなしく寝ていることじゃ」
縁の方を振り返って優しく諭す。
「ほら、雪もますます激しくなってきた。昨夜以上に今夜は一晩中、吹雪くぞ」
「……」
「《 道に逢ひて笑まししからに降る雪の消なば消ぬがに恋ふといふ我妹 》……」
夜具の中で兄が口ずさんだ歌を弟は聞き逃さなかった。
「へえ? いい歌だな! 誰の歌さ、それ?」
「いや、名は忘れた。誰のだったかな? 多分高貴な人。有雪なら即、名を言えるのだろうが……」
「ふふ、こんな時ぐらいだな。あの五月蝿い陰陽師がいてくれたらと思うのは」
道で出会って微笑んでくださった、貴方様。
その微笑だけでいいんです。
雪が降るように、
そして、その雪が消えるまでの、短い間だけでも
私はしあわせでした。
長さじゃない。
刹那、一瞬の煌きが久遠に胸に刻まれる。
そんな恋がある。
《 夜半の雪 》
道に逢ひて笑まししからに降る雪の消なば消ぬがに恋ふといふ我妹
☆聖武天皇が酒人女王を思って詠んだ歌。
万葉集・第4巻0624




