白と赤 23
八回目の血染めの兎歩。
場所は東洞院大路と三条大路の交わる辺り、聖徳太子が創建したとも伝わる古刹・頂法寺の近くだった。前7回の兎歩の現場にも重なる。
だが、問題は場所ではない。今回は明らかにこれまでと違う点があった。
それは――
「むむ! これは……白と赤!」
血穢の撒かれた築地塀から地面に目を移して叫んだのは代理の陰陽師・有雪だった。
「なんだと?」
その声を聞いて駆け寄る検非遺使尉。
「見ろ、成澄っ!」
有雪は血溜まりを指差した。
身の毛もよだつ赤。
片や、地面は純白に煌いている。昨夜来の雪のせいだった。
一晩中吹き荒れた雪が消えず京師の往来に降り積もって固まっていた。
「迂闊だった」
橋下の陰陽師は検非遺使を振り返った。
「血穢の兎歩はこれで八回目だったな? 今までの記録は詳細に取ってあるのだろうな?」
「勿論だ!」
力強く頷いた後で、神妙な声で訊く。
「だが――この様子から何がわかるのだ、有雪?」
「俺達は今まで、場所にばかり拘り過ぎた。確かに血穢の撒かれた場所も気に掛けねばならぬ。だが、同じくらい……」
言いかけて、一旦言葉を切る。有雪は成澄に要求した。
「成澄、兎歩が撒かれた日の前日の天気を教えてくれ」
「前日? 当日ではなくてか?」
史生が差し出した記録書を読み上げる成澄。 ※史生=文官、記録係
「1回目……雪、2回目……雪、3回目……雪、4回目……」
冊子から顔を上げて歯軋りする。
「何てことだ! 前日は全て……雪だぞ!」
「俺が布留佳樹からこの任を引き継いだ翌日、5回目の血染めの兎歩が見つかったあの朝も雪だった!
だが、俺が、俺達が、このことに気づかなかったのは、今までは呼び出されて見に行った際、地面の雪はほとんど消えてしまっていたから――」
幸いなことに今回は雪が残っていた。白雪の上に染みこんだ鮮血。まさに白と赤。
謎の扉が少し開いたと思うべきだ。有雪は興奮を抑えるようにギュッと拳を握った。
白と赤。
これは新しい貴重な〝印〟だ。きっと俺を答えへと導くはず。大切に読み解かねば……
唇を引き結んで改めて凝視する。
こうして見ると、1枚目の絵の光景が一番近い気がした。舞人の白衣に散る赤い血。
だが、眼前の白は〈雪〉だ。
「成澄よ、おまえたち検非違使は、当然、京師の地理に詳しいよな? 毎日、巡邏で馬を走らせているのだから」
「うむ、そのとおりだ」
「では、雪と聞いて思い当たる場所は何処だ? 考えてくれ」
「雪?」
「そう。おまえみたいに書物を読まず、物を知らない人間の方が、却って的確に思いつくものだ」
「へ?」
「俺などは知識が有りすぎて、雪と聞いだけで大変なことになる。例えば、清少納言が御簾を掲げた件やその元となった香炉峰の雪。これの原典は漢詩の《白氏文集》だが。
尤も白居易なら、俺は雪月花時最憶君(雪月花ノ時最モ君ヲ憶ウ)が好きだな。
韓愈なら、雪擁欄関馬不前(雪ハ欄関ヲ擁シテ馬ススマズ)……
と、まあ、こういう風に膨大な情景、余計なことを思ってしまう」
「……おまえ」
恨めしそうな目で成澄は言った。
「この期に及んで、俺のこと誉めてないな? だが、まあいい」
こういう処は剛毅で鷹揚な検非遺使尉である。小さいことには頓着せず烏帽子に手を置いて考え始めた。
「雪、雪、京師で思いつく雪の場所……」
やがてぱっと顔をあげると爽やかな笑顔で叫んだ。
「衣笠山!」
衣笠山は京師の北西に位置する山である。
「何故、そう思った?」
「だって、あそこは宇多天皇が『真夏に雪の原が見たい』と仰せられて白絹を掛けたことからそう呼ばれるようになった場所だ。そのくらいは俺も衛門府官人として熟知しているさ!」
蛮絵の美丈夫は朗朗と付け加えた。
「そして、今日、今時分、あそこはまさに一面、ホンモノの雪景色だろうよ!」
「よし、行って見よう!」
何だろう? このざらつく感覚。肌が粟立っている。
それは寒さのせいではない――
成澄の言葉通り衣笠山は見渡す限り純白の世界だった。
白一色に塗りつぶされた情景。
そして、雪以外何もなかった――
「こうして眺めると」
近づく山を見て、馬上で成澄は呟いた。
「白い雪の原というのは却って目立つな。何かを隠そうとした場合、容易には隠せない」
景色同様、白い息を吐きながら、
「異物を完全に封じ込めるのは無理だ。北国の深い雪ならともかく、京師近辺に降る雪ではいくら積もったとはいえ限りがある」
「確かにな」
検非遺使の言う事は正しかった。有雪の胸にも期待が膨らんだ。
上手くいったら、今日の内に何か重大な発見があるかも知れない。不吉な兎歩を続けている一味のアジトや、秘儀の什器など、証拠の品々……
衣笠山に至った二人。
まずは全貌をざっと眺めた。その後、駆け巡ってみた。
だが、白く煌く山肌は沈沈と静もって冴え渡り、特別変わったこともない。
4枚の絵の謎に迫る、或いは、血染めの兎歩に通じる、気をそそる物など何一つ見つけることはできなかった。
その上、遠目に見た山の緩やかな稜線は、いざ分け入ってみると思いのほか木々が枝を伸ばし、絡み合っている。森が深い。
現在の資料に寄れば、この衣笠山の標高は201m。
登山道が何本かあり、夏の送り火でも有名である。が、頂上からの展望はさほど美しくないそうだ。そして、やはり、鬱蒼とした木立に塞がれていて登り難いと言う。
「こういうのを冬寂というのだな? どうだ、有雪?」
成澄の言葉には答えず有雪は毒ずいた。
「クソッ、今度こそ何かわかるかと期待したのだが……」
「仕方がない。戻るか?」
そう、また振り出しに戻るのか……
そう落胆した矢先、
「うん?」
白と白。
境目も判然としない天と地の隙間から、同じ色の突風が飛び込んで来た――
と思いきや、白烏だった……!
「おう、おまえか?」
肩に舞い降りた友に破顔する有雪。
成澄も笑い声を上げた。
「これは、これは! 獣帝様のご帰還だぞ!」
それから、白烏の飛んで来た方角に目をやって、
「そうか、ここは山城の地に近かったな?」
このまま山裾から南下すれば行き当たる。
「折角だ。あっち……山城、太秦を巡って帰ろう。昨日、おまえが教えてくれた酒の神、大酒神社に参ってみるのも一興だ」
「そうだな。またおまえの可愛い田楽師に会えるかも知れんぞ。あいつ、〝蓑虫の君〟に会いに日参してるらしいから」
「ハハハ……もう〝俺の可愛い〟じゃないさ」
「そうだったな」
雪は降ったり止んだりした。
八咫烏のごとく白烏を先導役にして陰陽師と検非遺使は疾駆した。
二度ばかり、白烏が有雪の肩に急降下した場所がある。
一回目は衣笠山を下ってすぐの辺り。
「どうかしたのか?」
田圃や畑の続く、取り立てて何もないその場所に馬を止めた有雪を怪訝そうに質す成澄だった。
「いや、懐かしい気がして」
有雪はいつになく優しげな様子で目を細めた。
「ここに大きな寺があったろう?」
「そうかな? 俺は聞いたことがないぞ。大寺といえば、もっと行けば仁和寺があるが。あそこは本当にデカイ」
「じゃ、俺の言う寺が建つのはずっと先の話かな」
「ちぇ、またそうやって俺をからかう。どうせ、その未来の寺で可愛い娘に会ったとか言って、俺を羨ましがらせる気だろ? その手には乗るかよ! ――いくぞ!」
珊瑚の鞭を当てて駆け出す検非遺使尉。
だが、時にはこの胡散臭い陰陽師も真実を口にするのである。
この地はやがて鎌倉時代に西園寺公経の別荘が建てられ、室町時代に至って、譲り受けた足利義満の大邸宅・北山殿となり、義満の死後の応永4年(1397)、鹿苑寺が建立される。別名、金閣寺である。
そして――
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さても、
白烏が有雪の肩に二度目に降りて来た場所こそ、奇妙なところだった。




