白と赤 20
「イチトイ女房殿……」
布留家の塗籠にそぐわぬ美麗な姿。一瞬これも自分だけに見える幻視の類なのかと有雪は疑った。
「これは――ホンモノの貴女なのか?」
「おやまあ! それほどこの世のものでないモノをご覧になっていらっしゃるのですか、貴方様は?」
覆面の顔を傾げて笑う女房。
「私には信じられませんが」
「ふん、当世京師に名高い女房殿がわざわざお越しとは恐悦至極。で? 一体、何の御用かな?」
「お探しの書物を届けに参りました」
流石に有雪は驚いた。
「え? 貴女が?」
「判官様にご本を探すよう頼まれたでしょう?」
目を見張っている有雪にイチトイは屈託のない声で、
「あの判官様、方々到る処で血眼でお探しになっておられましたよ。それが耳に入って……どれも私の手元にございましたので、これ幸いとお持ちしました」
「あいつめ」
有雪は小声で悪罵した。
「どれだけ声高に探し回ってるんだか……」
「恩を売ろうというのではありませんわ。私、純粋にお力になれたらと思いましたの」
女房は緋色の袴の膝を折って文机の前に座った。貼られている四枚の絵を順々に興味深げに眺める。
「あら? この絵は前回はございませんでしたね?」
大広間では護摩壇に香油が投げ入れられたらしい。漂って来る伽羅の香りと途切れることのない咒を唱える大音声。そちらへ目をやって瞬きした。
「布留佳樹様からの新しい夢告?」
「まあな」
頬を掻きながら、観念して有雪が応える。
「信じようと信じまいとそれは構わないが、これが俺の見た最新の光景だよ。変わった鳥居だろ? 女房殿はこれについて何かご存知かな?」
「三柱鳥居ですね。山城の小さな社にあります。〈糾す〉と呼ばれるせせらぎの中に建っている……」
イチトイは即答した。その言葉に澱みはなかった。
「流石だな!」
「私、何度か詣ったことがございます」
思わず皮肉な笑みを漏らす橋下の陰陽師だった。
「ほう? 神仏など信じておられぬのに?」
「信じなくとも、学問として興味があります。人が何故、あのようなモノを建てたか。そうして、何を伝え、何を秘めているか」
イチトイの喉が覆面の下でクックとくぐもった笑い声を響かせる。
「〝祈り〟などというマヤカシの言葉の裏の〈真実〉を読み解くのは面白い」
「では、訊くが」
グッと息を詰めて有雪、
「女房殿はこの鳥居の〈真実〉とやら、どのように読み解く?」
イチトイは、今度は露出している目でうっそりと笑った。
「それは、つまり、私に助けて欲しいということでしょうか? 私の知恵に縋りたいと?」
有雪も負けてはいない。笑い返して言ってのけた。
「なあに、賢い者ほど、他人の意見をよく聞くものさ!」
「いいわ。私が到達した――読み取った〈真実〉をお教えしましょう。但し」
やや声を潜めて、念押しした。
「あくまでもこれは私の考えですが。よろしいでしょうか?」
「大いに結構」
女房は檜扇を揺らして絵を指した。
「三柱鳥居、あそこに祀ってある神は我が日の本の神ではありませんよ」
「!」
咄嗟のことで有雪は困惑を隠せなかった。
「何故、そのように考える?」
「シイッ」
イチトイは白魚のような指を立てて覆面の上から押し当てた。
「これは貴方様だけに……私と同じように博学の貴方様だからこそお話しするのです」
「――」
「あの不可思議な鳥居を建てた一族は上古、海を渡って我が国へやって来ました」
「ふむ、その事なら知らぬ者がない」
即座に頷く有雪。
「何しろ、秦の始皇帝の末裔とさえ言われている一族だからな」
秦氏の〈秦〉は〈秦〉から採ったと伝わっている。
「つまり、それほど、長い時間、広い世界をかの一族は定住地を求め流離った。流浪の果てに、移り住んだ様々の土地で最新の技術を習得しながら」
「らしいな。だからこそ、我が国に至った時、時の帝が彼らの有す技術を喜び、讃え、信頼し、この国に定住するのを許したのだろう?」
「そこです」
白い指が覆面を離れる。
「では、彼らが取り入れたのは〈技術〉だけでしょうか?」
「なに――」
「〈宗教〉はどうだったのでしょう?」
白い指はピタリと陰陽師の眼前で止まった。
「その一族は秦の始皇帝の末という。その頃の世界に満ちていた宗教……
一体どのくらいの、そして、どんな神々がこの地上に犇めいていたものやら……!」
有雪の鼻先でくるりと手を返して、イチトイは指を折って数え始めた。
「仏教は言うに及ばず、拝火教、回教、摩尼教、希臘教、ケルト教……
唐国には、既にあらゆる宗教の神を祀る寺院が建立されていました。これは《旧唐書》などの書物に記された事実です」
「だから? 何が言いたい?」
「三柱鳥居、あそこに祀られているのは景教……異教の神です」
「景教?」
橋下の陰陽師の美貌の顔が引き攣った。
イチトイは静かに続ける。
「景教についてはご存知でしょうね?」
「も、勿論じゃ。景教とは西方の宗教のことだろう? 神の名は、確か彌施訶とか言ったっけ」
※景教=キリスト教 ※彌施訶=メシア、救世主
「もっと詳細に言えばネストリウス派を指します。この派は異端とされたことがきっかけで逆に西方から押しやられ、広く東方……唐国へと伝播したようです」
覆面から覗く凍った微笑。
「何故そんなことを知ってるのか、というお顔ですね? でまかせではありませんよ。私、大学寮博士の伯父の家で《大秦景教流行中国碑》の写しを目にしたことがあるのです」
「大秦景教流行中国碑……」
悔しいが、有雪が初めて耳にする名だった。その碑文については全く知識がない。素直に有雪は頭を下げた。
「その碑については俺は何も知らぬ。ぜひ教えてくれ!」
「この碑文には、景教の教義と唐国へ伝来した由来が詳細に記してあります。我が国の暦で言えば建中2年頃(781)。伊斯なる人物が長安の大秦寺に建立しました」
ここで一旦、言葉を切って、
「大秦寺とは唐国における景教寺院の総称です」
「むむ? 大秦寺? どこかで目にしたような――」
「大秦寺は、かの空海が留学中、学んでいた西明寺の近所にあったそうです。だから、空海も景教の教えを知る機会があったと言われています」
「お! それは『貞元録』の記述だな? うん、その書なら俺も読んださ」
思い当たって有雪は納得した。
(だからか? 大秦寺と言う名に見覚えがあったのか……)
「惜しむらくは、その後即位した武宗帝が道教に傾斜し、道教以外の宗教を厳しく弾圧し始めたこと。結果、多くの大秦寺が破壊されました。その混乱時に、この碑も同じ運命になるのを畏れた教徒の手で地中深く埋め隠され、現在は何処にあるのか行方が知れなくなっています」
「そうなのか……」
「私の思うところ、秦氏の一族は唐国にいた際、景教に親しんだのではないでしょうか。その信仰を抱いたまま我が国へ至ったものの、既に根ざしている仏教や神道と要らぬ波風を立てたくなくてあのような特異な形の鳥居に封じ込めた」
詠うように楽しげに女房は自論を締め括った。
「そういうわけで、景教を祀った場所こそ、あの三柱鳥居なのです」
女房の導き出したあまりの結論に有雪は狼狽した。
「し、しかし、それだけでは――」
「納得できない? いいわ、私が見つけた〈真実〉を裏付ける、もっと明確な証しをお教えします」
女房は枯野の色目の袖を払って指を三本突き出した。
「三柱鳥居の数字の〈三〉が表すもの。景教の教えでは神は〈三身一体〉と称されます。〈父と子と精霊〉、別の言い方で〈至聖三者〉。『神が三役をしている』と言う意味です。〈三〉は景教徒にとって神聖で特別な数字なのです」
更に続けて、
「これだけではありません。鳥居自体の構造もはっきりと景教の教義を示している。貴方様も覗いてご覧になったでしょう? あの鳥居、何処から覗いても真ん中に一本柱が見える。『柱は三つ』と称していながら『唯一の柱は一人』ということですよ。
まさに〈三位一体〉の教えを象徴しているとしか考えられません」
「――」
☆大秦景教流行中国碑はこちら↓
http://www.geocities.co.jp/kmaz2215/motto/keikyo/keikyo/keikyou-hi.htm




