白と赤 19
「我ながら良くやった! 手際のよいことよ!」
上気した頬でホレボレと独りごちる成澄だった。
大きな包みを左腕に抱えたまま鮮やかな手綱裁きで都大路を疾駆する。
ともあれ、成澄が自ら誉めているのは乗馬の技ではなく膨らんだ荷物のことだ。
博覧強記の橋下の陰陽師が要求した書物を全て、丸一日で集めたのである。今抱えている包みにはそれら大切な書物が入っている――
平安末のこの時代、書物と言えば、巻物――巻子本を意味した。
現在、図書室や書店に並ぶ書物の形式は、ここでは冊子または草子と呼ばれている。こちらは日記や和歌など個人的な書き物に使用されていて、正式な書物と言えば巻子本のことだった。だから嵩張るし重い。
ちなみに、最初に物語を〝冊子仕立て〟にしたのは紫式部とか。
宮中で大流行した《源氏物語》を手軽に回し読みできるよう、仕えていた中宮の要望を受けて冊子形式を採用した。まさにこれこそ軽い本の誕生した瞬間だった……?
それはともかく。その冊子製作の際、頁とする染紙の色を選んだり、綴じ分けたりする、楽しげな作業の様子が『紫式部日記』に詳細に記されている。
「ふふ、『やはり成澄は凄いな!』と言って驚く有雪の顔が早く見たいものよ! ハイヨ――ッ!」
あらゆる伝手を駆使して集めた大事の書物の数々。一刻も早く友の元へ届けようと拍車する――
と、眼前を駆け抜ける4、5騎があった。
あの蛮絵の集団は、言わずと知れた同胞、検非遺使である。
「どう、どう! ……おおい!」
手綱を絞って叫ぶ。
「あ! 中原殿!?」
「中原殿!」
黒衣の群れも即座に馬首を返して駆け寄って来た。
「どうした? 何かあったのか? 新しい騒動でも?」
明らかに常の京師巡邏とは様子が違う。検非遺使尉の顔に戻って身を乗り出す成澄だった。
「いえ、それが――」
精悍な眉を顰めて若い検非遺使が応えた。
「新しい、ではなく、例の――若者失踪の件です」
駒を並べた他の検非遺使たちも、皆、苦悩の表情を浮かべている。
「面目ない、中原殿。あの騒動を、我等、解決するどころか……未だに続いているのだ」
「失踪者は増えるばかりだ!」
「昨晩もまた一人、若者が行方知れずになった!」
「むむ、なんだと?」
「それで、使庁では別当殿の大号令さ!」
※使庁=検非遺使庁 ※別当=最高長官
「京師全域を隈なく巡察して、一人でもよい、失踪者の行方を突き止めよ、というわけだ」
「そうか、それは大変だな。俺が関わっていた時から、更に増えているとは……」
帝の特命で、〈血染めの兎歩〉の謎を解明するべく別行動をしている成澄ではあるが、市井の騒動も大いに気懸かりだった。
「弱音を吐くわけではないのですが、全くお手上げ状態なのです!」
「そう、全然、埒が明かない!」
日頃から信頼を置く検非遺使尉を前に同僚たちは口々に語った。
「この寒い季節に若者たちが掻き消えるようにいなくなって行く……」
「家人の話では、皆、夜半、夜具の中から抜け出して外へ出て行ったらしい。そこまではわかっているのだが――」
「どの失踪者もその後、プッツリと痕跡が消えている」
「何処へ行ったのか足取りが全く掴めないのです」
「宛ら、別の世界へ吸い込まれたかのようだ!」
別の世界……
吸い込まれる……
突如、成澄の脳裏に昨日山城の地で見た三柱鳥居が出現した。
宇宙の中心を示して三方向へ向いた門。天と地に開いた三角の口。
若者たちは消えた?
異界の門を潜ったか?
まさかな?
「中原殿?」
「どうしました? 何か思い当たる節でも?」
「あ、いや」
中原成澄は胴震いした。
「別の話だ。そちらの――失踪騒動とは関係のないこと……」
「そうですか」
「中原殿も勅命の〈血染めの兎歩〉の件で粉骨砕身の日々を送っておられるとか」
「そちらも一日も早く解決されるよう、我々も祈っております!」
「どうか、がんばってください!」
「ああ、お互いにな!」
寒風を切り裂いて駆け去って行く検非遺使たち。
その姿を見送りながら成澄はもう一度、ブルッと身を震わせた。
失踪者たちは何処へ消えた?
異世界に吸い込まれる――
勿論、そんなことは有り得ない。
あの不可思議な鳥居の天辺、三角形は〈再生〉の印だと、博学の陰陽師は言っていたが。
だが、今現在、成澄の目裏に明滅するその尖った形は、鬼……バケモノの〈目〉に見えた。それに見つめられたら恐怖に竦みあがって身動きできない、ソレくらい身も心も凍る、逃れられない、
魔物の目……
「遅い! ったく、いつまで待たせる気だ? ウスノロの判官め!」
叫んだのは橋下の――現在は代理の陰陽師・有雪である。
護摩壇が燃え盛る布留家の大広間。本物の帝の陰陽師・布留佳樹が横臥するその場所よりやや離れた小部屋を用意してもらった。
文机を置いた後ろの壁には四枚の絵を貼って、調べ物をする準備は万端である。後は、依頼した書物さえ揃えばいい。
検非遺使に頼んだそれらを待つ間、痺れを切らして、寝転がったり立ち上がったり。
今度は所在無げに机に片肘を着いて絵に視線を走らせる。
「天衣丸の指摘は的を射ている」
陰陽師は独り頷いた。
これら四枚、全てに何かがある。
真実を語る、相通じる何かが。
存外、答えの近くまで来ている気がするのだが。それなのに、わからない。
一番読み解き易いと思えるのは四枚目の変な鳥居だ。
見ろ、この奇怪な形状。
一目見ただけで怪し過ぎる。沢山の隠喩や伝承、象徴を秘めていそうではないか!
―― 見た目は容易に人を欺く。見た目が全てではないぞ。
―― 外側に惑わされてはならない。
フン? これは田楽師の言葉だな? 尤も、狂乱丸は愛しい娘について言ったのだ。
再び三柱鳥居に意識を集中させる。
暫く睨んでいたが、頭を抱えて机に突っ伏した。
「クソッ、だめだ! 靄がかかっているように肝心のことが見えるようで見えない……」
ハッとした。
違う、靄ではない。これは――
吹雪だ?
頬に吹きつける雪片。猛り狂う白。それ以外、周囲は漆黒の闇に塞がれている。
白と黒。
何も見えない。
おや、前を歩く人がいる。
その人は足を止め、こちらを振り返った。手を差し出して、呼んでいる。
ついて来て、何も言わず。ほら、ここまで。
誰だ? おまえは? そして、後に続いている、これは俺か? それとも、もっと別の誰か?
俺はまた布留佳樹の夢の中にいるのだろうか――
ドサッ!
突然、響いた音に我に返った。
「誰だ?」
「書物をお持ちしました!」
布留の一族らしい黒衣の若者が包みを部屋に運び入れたところだった。
「おお、待ちかねたぞ!」
叫んで立ち上がる。
「ホホ、喜んでいただけて嬉しゅうございます」
「!?」
続いて入って来たのは、見慣れた蛮絵の検非遺使ではなく、艶やかな唐装束を纏った覆面の女房だった。
「貴女は……イチトイ女房殿?」




