白と赤 17
「こりゃあ珍しい来客だな?」
笑顔を煌かせて真っ先に玄関口へ飛び出して来たのは弟の田楽師・婆沙丸。
一条堀川の通称・田楽屋敷――
ここは元々、田楽の俗人舞いを束ねた犬王の住まいだった。跡目を継いだ狂乱・婆沙の兄弟が現在の当主である。
「うむ、まあ、まだ長居は出来ぬが」
咳払いをする成澄。その後ろで有雪が胸を反らす。
「この寒さじゃ。少々温まっていこうと特別に寄ってやったのだ」
肩の白烏も一声鳴いて挨拶した。
「カーーーーッ」
「ふん、田楽屋敷には安酒しかないぞ。天下の判官殿と、最近とみにお偉くなられた代理の陰陽師殿のお口に合うかどうか」
「おお! その可愛げのない物言いは、まさしく狂乱丸!」
遅れて出て来た兄の田楽師の姿に有雪が目を細めた。成澄も顔をほころばす。
「おう、狂乱丸! 変わりないようだな? 会いたかったぞ!」
「いや、兄者は物凄ぅく変わったぞ!」
婆沙丸は悪戯っぽく目配せした。
「今日は、近づく破邪祭りに向けて田楽舞いの稽古があったから家にいるが、こういうことでもない限りほとんど毎日出かけてる有様だ。それで最近じゃ俺も兄者の顔を忘れかけてる」
「上手いことを言うな、婆沙! だが実際――」
つくづくと双子を見比べて有雪はニヤニヤした。
「こうやって並べて見ても、おまえたちの区別がつかないな! おまえ、優しい顔になったなあ、狂乱丸!」
「どういう意味だよ?」
「それだけ、恋は人を変えるということさ! なあ、成澄?」
「う、うむ」
「おや? なんだ、その声。ははぁ、妬いてるな、判官! 独りだけ取り残されて寂しいんだな!」
「う、五月蝿い! おまえこそ、恋には縁のない男のくせして」
「いや、俺はモテテるから」
「一体いつの間に? どうせ、夢の中の話だろ?」
「僻むなよ。夢の中というが、俺達だって誰かの見てる夢かも知れないではないか」
「またわけのわからんことを! おまえはそうやっていつも人を煙に巻く――」
「さあ、とにかく上がれよ!」
言い合う二人に婆沙丸が割って入った。
「ちょうど良かった! 俺も今日辺り使庁に会いに行こうと思っていたんだ。例の――〈緑と白〉の絵の件でさ」
検非遺使と橋下の陰陽師、はたと口を止めて振り返る。
「何!? と言うと――」
「――何かわかったのか!?」
「この前預かったあの絵だが、懇意の仲間にばら撒いて方々で見せ歩いてもらった結果、一人、面白いことを言う奴が現れた」
座敷に座るなり婆沙丸が告げた。
「太秦を根城にしている声聞師なのだが、知り合いの機織りの男の、その爺様の言葉らしい」
齢八十を過ぎ、どう見ても耄碌しているその老人が件の〈緑と白〉の絵を一目見るなり叫んだとか。
『おお! 懐かしい! こりゃあ即刻、集めにいかにゃならぬ!』
「どういう意味だ、そりゃ?」
「集める?」
並んで同時に首を傾げる成澄と有雪。その様子を眺めて婆沙丸はクックと笑った。
「今日はあんたたちの方が双子のようだな? ほら、雁首並べて、お揃いの黒装束でさ」
「いいから!」
「勿体ぶらずに先を続けろ!」
「了解。つまりさ」
天衣丸が描いた〈緑と白〉の絵を掲げながら婆沙丸は語った。
「昔は野山に野生の蚕がいて、桑の木に繭を作ったのだと。その光景がまさにこれだとその爺様は言うんだ」
暫しの沈黙。
黒衣の二人は声を重ねて呟いた。
「蚕……?」
「繭……?」
それから、俄かに色めき立つ。
「おお! そう言われてみれば、この白い点点は繭に見えるな!」
「確かに! 『この〝白〟が木々の上に積もった雪では間隔が広すぎるし、硬そうに見える』と俺が言った通りじゃ! やはり俺の目は正しかった!」
「何を威張っている?」
成澄がピシャリと釘を刺した。
「蚕の繭だとして、それが何処に通じるか、だ。残る他の絵とどう繋がる? その繋がりを読み解いて見せろよ、有雪?」
先刻、内裏は後宮六舎七殿内の局で賢い女房の膝前に並べたごとく、検非遺使は三枚の絵を田楽屋敷の座敷の床に並べた。更に、路上で有雪が描いた新しい一枚も加える。
「ほう? これらが全部、瀕死の布留佳樹様が夢で伝えた光景なのか!」
初めて全てを目の当たりにした婆沙丸は思わず感嘆の声を上げた。
〈白い舞人〉〈緑と白〉(馬と娘)(三つの鳥居)……
「これらの絵には必ず〝繋がり〟がある、共通する〝何か〟が隠されているはずだと、天衣丸は言うのだ」
早速、成澄は弟の田楽師に訊いた。
「どうだ、おまえ、絵の意味や繋がりについて何かわかるか?」
「まさか!」
婆沙丸は射千玉の垂髪を振った。
「俺などにわかるはずない! 一つ一つ、物としてならおおよそ見当はつくが。これは〝木を持って踊る人〟だろ? こっちは〝馬と娘〟と〝十字の光〟 聞いた通りに〝葉の上の天然の蚕〟 むむ? これは何だ? 〝変な場所に柱のある鳥居〟? ……書き損じではないのか?」
「俺も最初はそう言って笑ったよ。だが、描いた有雪の言うには、〝三方向に向いた鳥居〟なのだと」
「信じられない!」
婆沙丸も吹き出した。
「おまえが布留様の夢告を見誤ったんじゃないのか、有雪? こんなヘンテコな鳥居などあるはずない! 見たという人がいたら会ってみたいや!」
「俺は見たぞ」
座敷は水を打ったように静まり返った。
一同ゆっくりと振り返ってそれを言った声の主を凝視する。
背後に立っていたのは、今まさに外出しようと装束を調えた兄の田楽師・狂乱丸だった……!
今日も今日とて、これから愛しい娘の住む里まで赴こうとして、座敷を通りしな、ふと覗き込んだらしい。
「その鳥居なら知っている」
仰天して叫ぶ検非遺使尉と橋下の陰陽師だった。
「ば、馬鹿な――」
「嘘だろ?」
「何で嘘を言う? 俺は見たよ。それもつい最近」
頬を染めて続ける。
「手を引いて連れて行ってもらって――見たよ。それが自分の名の由来だと言ってた」
「名の……由来……?」
「そう、サンのさ」
婆沙丸が口早に成澄と有雪に説明する。
「ほら、サンとは兄者の恋した娘のことじゃ」
「確かに変わった鳥居だから、見た時は俺も驚いたよ。鳥居が三つくっついているだろ? その三つ……三の数字がサンの名の謂れの一つらしい。サンの地域では、故あって社で育てられる子供は皆、その名で呼ばれるのだそうだ」
「よくわからぬが……」
首を捻りながら確認する有雪。
「とにかく、この鳥居のある場所をおまえは知っているのだな?」
「勿論じゃ。今日も、これから行くつもりだ」
成澄が腰の大刀を鳴らして立ち上がった。
「よし! では、俺達も連れて行け!」




