白と赤 11 ★
冬の日暮れは早い。舞い落ちる雪の中、田楽師の綺羅綺羅しい装束が道の向こうへ消えて見えなくなるまでサンは手を振り続けて見送った。
それから慌てて社へ戻る。
「何処へ行っていた?」
糸繰りの作業小屋の前に佇んでいたのは宮司だった。
「すみません。ちょっと散歩に――」
「急いで幣殿まで行きなさい。例の御方がお見えだぞ」
「あ」
悲鳴に似た声。笠が揺れ、黒い領布がさざめいた。
「どうした? もうずっとおまえを待っておられる」
「宮司様、私、会いたくありません」
「なんだと?」
「私、私、もうあの御方様には会いたくないのです」
「馬鹿なことを言うものじゃない、サン」
宮司の声は優しかった。歩み寄ると教え諭すように言う。
「社で育ったおまえなら知っているね? 我が一族はこの島国に至ってから、ずっと、帝の傍で密かにお役に立てることを至上の喜びとして来た。今度またそうできるとは、なんと光栄なことか!」
指先まで布を巻いたサンの手をしっかりと握って、
「何よりおまえが一番嬉しかろう、サン?」
「――」
「代々生まれたおまえのような一族の子は、静かに隠れ住んで、慎ましく生き、そうして、ひっそりと死んで行った。それを、おまえは望まれてお役に立てるのだ。これ以上の名誉はない。だから、多少嫌なことがあっても我慢しなさい」
ここで宮司は声を一段低くした。
「今見えておられるあの御方――イチトイ女房殿はただの女房殿とはわけが違うのだ。口に出すのも憚られる尊い御方に一番信頼されておられる女房殿だぞ。だからああやって我々にもお顔を見せてくださらぬ。素性をお隠しになっておられる」
弊殿の方角を振り返ると宮司は小さく息を吐いた。
「尤も、女房殿がお顔を晒さないのは、あまりに美しすぎてお仕えする姫君に嫌われないためとか。公達は皆、女房殿に夢中になるから。だが、見た目の秀麗さだけではない。その知識の深さも尋常ではない。かつて一世を風靡した清少納言や筑前の君に優るとも劣らない『雅姫』というお噂だ」
※筑前の君=四条宮・皇后寛子の女房 ※女房=女官
なんでも、イチトイと言う名はどんな難問難題にも真っ先に応えるところから付いたとか。
「くれぐれも粗相のないよう一生懸命お仕えするのだよ、サン」
娘の背を押して送り出しながら宮司は誇らしげに言い添えた。
「その女房殿がさっきも私におっしゃったぞ。『おまえだからこそ出来る大切な仕事』だと。おまえの醜さ、奇異さが役に立つ日が来るとはなあ! 本当に良かった!」
「サンか?」
「御前に」
弊殿にその御方――イチトイの女房殿は座していた。
宮司が言ったごとく、顔には頭巾を巻いている。
「対峙する者が両方とも顔を隠しているというのは奇妙なものよなあ? 今、我等を盗み見ている者がいたら……はて? どのように映っているやら」
額づく娘を睥睨してイチトイ女房はクックと笑った。
「思えば――我等は似た者同士よのう?」
即座にサンは首を振った。
「滅相もございません! 貴女様と私は全く逆。比べるなど畏れ多いことでございます」
「ほう? 逆とはなんじゃ? 言うてみよ。光と闇、天と地、花と嵐、金と泥、白と黒?」
震えて口を閉ざす娘。
さも可笑しそうに女房は肩を揺すって笑った。
「降って来たようだな?」
「?」
両手を突いて畏まるサンの笠を扇で指しながら、
「ほれ、雪じゃ」
「あ」
田楽師を見送って佇んでいた娘の笠に気付かぬうちに白く降り積もっていた。
「よいわ」
覆面で覆った顔、その口元へ扇を寄せて女房はまた笑う。
「今宵はまたうってつけの夜になりそうじゃ……のう? サン?」
「――」
黒い領布を滑って雫が落ちた。笠の雪が溶け始めている。
宛ら、娘の頬を伝う涙に見えた。
早暁、早馬が布留家に飛び込んだ時、橋下の陰陽師は起きていた。
夜通し大甕の傍らで酒を呷っていたのだ。
「中原殿! 代理殿!」
「代理って――その呼び名はどうもなぁ。陰陽師殿にしろ」
「では、中原殿! 陰陽師殿! で、出ました! また出現しました! 血染めの卯歩です!」
「なんだと!」
衛府太刀を掴んで飛び起きる検非遺使尉。
「くそっ、これで7回目だな?」
飲み干した盃を床に置く代理の陰陽師。襤褸布の上で眠っていた白烏が羽ばたいて肩に舞い降りた。
「一体、連中の意図は何なのだ? そして――どうやったら止められる!?」
「とにかく、すぐにその場へ案内しろ!」
「諾! こちらです! 場所は――」
覆面のイチトイ女房殿




