白と赤 10 ★
「つまり、これを京師のいたる処で見せて――何の絵かわかる者を見つけ出せばよいのですね?」
仏師・天衣丸が描いた件の絵―緑に白が散った―を数枚、成澄から手渡された年若い検非遺使。力強く頷いた。
「諾! 早速、他の者にも配ります」
「おう、頼んだぞ! 他の仕事もあって大変だろうが――」
言葉を切って顔を顰める検非遺使尉・中原成澄だった。
場所は五条烏丸の辺り。偶々行き逢った警邏中の部下に声を掛けたところだ。
「それで思い出した。例の件はどうなった? 進展はあったのか?」
「いえ」
部下は唇を噛んで俯く。
「京師中、馬を飛ばして捜索を続けているのですが皆目手掛りがつかめません。やはり中原殿がおられないことには……」
「うむ。途中で投げ出したようで俺も心苦しいのだが」
「あ、いえ! これは思わぬ愚痴を零してしまいました。申し訳ない」
若い武官は眉を上げた。
「中原殿は帝直々の大切な任務。何卒そちらに専念なさいますよう。こちらは市井の失踪騒動に過ぎません。我々だけで立派に解決して見せますから。では!」
颯爽と馬に飛び乗る蛮絵装束を成澄は複雑な思いで見送った。
と、都大路を走り去る馬影と入れ違いに視界に飛び込んで来たのは――
日常着とはいえ鮮やかな綾羅の田楽師の姿だ。
「狂乱……いや、違うな? あれは婆沙だな! おーい!」
「あ、成澄!」
駆け寄って来た弟の田楽師は嬉しそうに笑顔を煌かせた。
「こんな処で会うとは! このところトンと姿が見えぬから――」
引き取って検非違使も笑った。
「――さぞや狂乱丸が拗ねているだろうなあ!」
「はずれ! その逆さ」
「?」
「最近兄者は滅法機嫌が良い。それもそのはず、とうとう兄者にも春が訪れたんだ!」
「いや。まだ真冬だが?」
鈍い判官のために婆沙丸は言い直してやった。 ※判官=検非遺使尉
「兄者が恋をしたのさ!」
「そりや、驚きだ!」
割って入った声は巷の陰陽師。
「いたのか? 有雪?」
「どうも腹具合が悪くて……コイツに待ってもらって用を足して来たところじゃ」
無位無官、橋下の陰陽師の分際で天下の検非遺使尉を待たせて厠へ行っているとは!
目を剥く田楽師をよそに有雪はしたり顔で続けた。
「やはり、なれぬ大役は体に堪えるわい」
「いや、おまえの場合は酒の飲みすぎだろう」
言下に検非遺使は言い捨てた。
「いくら好きなだけ飲んで良いとはいえ、一晩で大甕を飲み干すとはよ!」
「フン、それはそうと、さっき言ってたアレ」
陰陽師は話題を変えた。
「狂乱丸が恋したってのは真実か? いや、そいつは目出度い! 俺はいつもあいつに言っていたのじゃ。こんな判官にノボセルのはまだ子供の証。そうか! あいつも大人になったのだなあ!」
一頻り感慨に耽ってから、
「で、相手は何処の姫君じゃ?」
「いや、姫君じゃない。何でも――何処かの神社の社に住んでいる、事情のある娘らしい」
射千玉の垂髪を揺らせて、
「蓑虫よろしく、笠や領布で体を隠して、顔さえ見たことのない娘だそうだ」
「え? 顔も知らずに恋が出来るのか?」
素っ頓狂な声を上げる中原成澄。だが、すぐ表情を引き締めた。
「ううむ。それは詳しく聞きたいところだが――俺も、有雪もちょっと理由ありでな」
長身を折って田楽師の耳元で囁いた。
「ここだけの話だが、さる尊い御方の命を受けて働いているのだ。現在は蔵人所の陰陽師・布留佳樹の邸に逗留している」
「ああ、あの佳樹さんか!」
思い当たって婆沙丸も頷いた。
「で? いつ田楽屋敷に戻って来るのだ?」
「まだ何とも言えぬ。今回関わっている騒動を無事解決し終えてから、だな」
「了解。兄者にもそう伝えておくよ」
婆沙丸はボソッと付け加えた。
「とは言え、今日も、兄者は娘に会いに出かけてて留守だけど」
去ろうとした弟の田楽師を成澄が呼び止めた。
「そうだ、おまえにもこれを――」
蛮絵の懐から例の絵を取り出す。
「天衣丸に描いてもらった。この絵を見て、何が描かれているかわかる人間がいたら知らせてくれ。おまえたちの仲間――田楽師はもとより、声聞詞、傀儡師……異形の輩の情報網は膨大だからな」
「……わかった」
「ぜひ頼んだぞ! では、俺達も行くか? 一刻の猶予もない。早くこの絵の意味……夢の情景を解き明かさねば」
突っ立ったままの巷の陰陽師に気づいて成澄はせっついた。
「どうした、有雪? 行くぞ?」
「今、婆沙丸が言った言葉……どれだろう? 妙に気になる。なあ? あいつはさっき物凄く重要なことを言わなかったか?」
「え? そうなのか?」
吃驚して成澄も足を止めた。
「そんな貴重なこと、言ったっけか? ううむ? 俺が覚えているのは……虫……」
次の瞬間、検非違使は手を叩いて叫んだ。
「そう、蓑虫だ! 『蓑虫みたいな娘』って言ってたぞ! それだ、それだろ? 珍しい、聞いたことのない言葉だもの!」
小さくなって行く田楽師の後姿から目を放さずに毒ずく有雪だった。
「チッ、おまえに訊いた俺が馬鹿だった」
肩で白烏が一声。
「(バ)カーーーーッ……!」
「緑に白か……変わった絵だなあ!」
一方の婆沙丸。
興味を覚えて歩きながら今一度絵を眺めた。
「緑は草木、白は……雪じゃないのか? いや、雪にしては硬そうだ。ん?」
その鼻先に本物の雪が落ちて来た。
慌てて絵を懐に仕舞う。
空を見上げて呟いた。
「ブルル、今夜も冷えそうだな? 早く帰ってくればいいが、兄者? 一体、毎日、何処まで行っているのだろう?」
―― 顔も見たことのない女に恋するなんて有り得るのかよ?
無粋な検非遺使の声が蘇る。
だが、無粋と嗤えないかも。
ここへ来て田楽師の弟はもう一つ別の言葉を思い出した。
姦しい京雀たちの言葉だ。 ※京雀=京童、都の少年達
―― 狂乱丸は妖術の手管でバケモノに魅入らせられたってさ!
顔も知らない娘に恋をする……夢中になる……
ひょっとして、既に兄者は妖術に罹っている?




