キグルイ12
「喜べ、沙耶丸! 母者が見つかったぞ!」
「!」
急転直下、あまりのことに居合わせた一同、身動きができなかった。
肩の白烏が羽を震わせたのに我に返って、有雪が訊き返した。
「ほ、ほんとうか、成澄?」
「おう! こんなものさ! 何でも解決する時はする! あっけないほどにな!」
豪快に笑う検非遺使尉。
有雪に懇願されて意気込んで捜索を開始した成澄は、なんと、三軒目の元受領邸でその女――沙耶丸の母、軽野をぶち当てた。
「間違いじゃないのか?」
「人違いとか言うことはないだろうな?」
双子たちが声を重ねて問い質す。
「そう言われると思って――連れて来ている!」
これ以上ないくらいの爽やかな笑顔を煌かせて検非遺使は長身の身を退いた。その後ろには――
贅沢な袿が翳んで見える。京師の女にはない生き生きとした輝きを纏う女が立っていた。
漆黒の豊かな髪、陽の匂いのするような肌、山査子の実の唇。ただ、目だけは……
息子とそっくりの円らな両目は、泣き腫らして真っ赤だった。
「沙耶丸?」
「……母者?」
「沙耶丸!」
「母者――っ!」
一足飛びに飛んで母の胸の中へ……!
後はただ泣き声しかなかった。
再会を果たした母と子の重なり合う泣き声。
日頃の、双子の歌う田楽や成澄の笛にも増して、それは田楽屋敷に美しく響き渡った。
「最初、俺は受領にあれこれ話を聞いていたのだがよ、突然、襖を倒して、この者――沙耶丸の母者が飛び込んで来たのさ!」
事の顛末を朗朗と語る検非遺使・中原成澄。
「襖越しに俺の話を聞いて、最早、居ても立ってもいられなくなったのだと。『すぐさま息子に会いたい』と泣き崩れるので、『あいや、わかった』とばかり俺は横抱きにして、愛馬に飛び乗り、拍車して連れて来た――とこういうわけだ!」
「よく通報されなかったものだな?」
都大路を美女を抱えて馬を飛ばす検非遺使の姿を想像して、呆れかえった顔で田楽師兄は言った。多分に嫉妬も含まれている。
「往来をそんな風に走って……天下の判官が人の奥方を盗んだと思われたろうよ」
「ふん、盗んだのは受領の方だ!」 ※判官=検非遺使尉の別称
憤って成澄は言い返した。
「金品で鄙の人間の心を弄ぶ、この行いは人買いと同じ、と俺が恫喝したら、受領の奴、青くなって震えだした。左獄へぶちこんでもいいのだぞ、と威したら泣きながら許しを請う始末よ」 ※左獄=京師の獄舎
事実、この受領は許してもらおうと蔵を開いて成澄に差し出した。勿論、清廉の徒・正義の番人・我等が検非違使は眉一つ動かさなかった。この仁に賄賂は通用しない。
「そういうわけだから、この件はもう決着が着いた。俺の名において沙耶丸の母者の身柄は引き取った!」
改めて軽野に向き直ると成澄は言った。
「おまえはもう自由の身だ。二人して明日にでも紀州の邑へ帰れるぞ!」
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
床に額を擦りつけて感謝の言葉を繰り返す母と子。
「母者を取り戻して下さって……ありがとうございます、検非違使様!」
「息子を守ってくださり、その上、こうして引き合わせて下さって、ありがとうございます、検非違使様!」
新しい涙が、二人のよく似た可愛らしい瞳から溢れ出す。
「なんとお礼を申してよいか……」
検非遺使は真っ赤になって烏帽子に手をやった。
「何、礼などいらぬさ、なあ、有雪? なあ、狂乱丸? 婆沙丸?」
例によってその夜は宴となった。
久方ぶりに田楽師兄弟の顔もある。二人ともまだ傷も癒えていないというのに。
だが、嬉しくてとても臥してなどいられないのだ。
「なんだか、新鮮だな? こうして宴の席におまえたちを見るのは?」
ニヤニヤして成澄が言う。
同時に頷く二つの顔。
「そうだな!」
「だって、このところずっと沙耶丸と早寝をしてたからなあ!」
「今日はいいのか?」
「俺達はもうお役御免だよ!」
「沙耶丸め、母者の手を握って離さぬ」
どっと響く笑い声。
「それもこれも……」
肩を揺らしながら成澄が暴露した。
「有雪がわざわざ使庁にまで乗り込んで……俺の尻を叩いてくれたおかげじゃ」
「へえ? そりゃ初耳だな?」
「ほんとか、有雪? おまえらしくない行いじゃ」
「らしくないどころか――ぷぷ」
昼の使庁での場面を思い出して噴き出す成澄。
「実際の処、叱咤激励と言うのではなく、泣きついたのよ! なあ? そうだよな、有雪!?」
もうこうなったら止まらない。陰陽師の盃に酒を注ぎつつ、肩に烏がいないのを幸いにバンバンと背中を叩く。
「だが、今度ばかりはおまえの〝懇願〟が〝卜占〟……いいや、まさに〝神託〟並みに役に立ったぞ!」
「――」
「さあ、飲め! 有雪! 今夜は奢りだ!」
「チェ。酒ならいつも奢りだよ」
「細かいことは言うな、狂乱丸! そんなしかめっ面、可愛くないぞ!」
「ぐっ」
「あーあ、あんなこと言って。後が怖いぞ、成澄」
「おう、婆沙、おまえも飲め! 傷の痛みには酒が最高の薬よ! まさに百獣の王! アハハハハ……」
「ソレを言うなら百薬の長じゃ。言ってやれ、どうした、有雪、薀蓄の王?」
上機嫌の成澄の横で、珍しく言い返しもせず静かに盃を乾す有雪だった。
(やれやれ、良かった! 何にせよ、これで一件落着だ。)
ひっそりと笑う。
(してみると、俺を悩ませたあの禍々しい夢は逆夢だったのか!)
胸を撫で下ろした、その時だった。
盃に広がる波紋。
「?」
奇妙な音が田楽屋敷を貫いた。
突風が奔って屋根を、壁を、柱という柱を、キイキイ軋ませる。
一斉に灯りが消えた。
ドンッ――




