キグルイ9
(この道には見憶えがある。)
緑滴る山野辺の杣道。道の端に荷車が見える。
(ほら! あの時の夢だ。その再来だ。もっと近づいてみよう。)
荷台に横臥する美しい人。
一糸纏わぬ生まれたままの姿。白い肢体にキリキリと巻かれた荒縄。
周囲では男たちが怒鳴りあっている。
「やれ? 動かぬぞ!」
「どうしたことじゃ!」
「早くしろ! 都で帝が待っておられる!」
「一刻も早く届けねばならぬというのに?」
繰り返される悲劇。何度この残酷な光景を俺は見なければならぬのだ?
有雪は嘆息して、己の水干を脱ぎ始める。
あの痛々しい体に掛けてやるために。
ところが。
「待て……待ってえ――――っ!」
全速力で駆け寄って来る影があった。
「いやだ! 行かないで、母者ゃ! 」
(……沙耶丸?)
縛された母に飛びつき、縋りついて泣く少年。
「いやだ! どこへも行かないで! いつまでも一緒にここにいて! 母者!」
「ええい! 邪魔だ!」
荷車を取り巻いていた男たちは情け容赦なく少年を荷台から振り払った。
「嫌だ! 連れて行かないで! これは俺の大切な母者だ!」
「どうします?」
「道中、邪魔だ。切り捨てろ!」
有雪は戦慄した。
(まさか――)
だが、京師から派遣された役人と思しき男の命じるまま、運行の任にある男たちは携えていた鉞を抜き放った。
(あ、止めろ――…… )
バサッ……
鈍い音が響く。少年の細い体が切り裂かれた。
どうっと地面に倒れる。
「沙耶丸――っ!?」
自分の叫び声に有雪は跳ね起きた。夜具を掴んで震えている指。
(夢だ。)
わかっている。今、目の当たりにした光景は全て幻。
だが、本当にそうなのか? 一体現実に何があったというのだろう?
沙耶丸が俺達に語った話は真実なのか? それとも、今、俺が見た光景こそホンモノ?
沙耶丸は、母は任期を終えて京師に帰る受領に連れ去られたと言った。だが、今、俺の見た情景はそんな生易しいものではない。
夢から醒めてもまざまざと蘇る戦慄の光景。
全裸を晒して荷車の上に横たわっていた女。
その白い肌に食い込んでいた荒縄。
追い縋り、引き離され、その上――
切り捨てられた……!
擦っても、擦っても、小さな体に振り下ろされた刃の鈍い煌きが有雪の目蓋に焼き付いている。
耳には切り裂かれた刹那の絶叫がこびり付いている。
ソレは悲鳴ですらなかった。生木を引き裂くような不快な亀裂音。
「馬鹿な」
有雪は笑い飛ばそうとした。
だいたい采女を国中から献上させた太古の大君の時代じゃあるまいし、いくらなんでも今現在、平安の都の帝があんな残酷な真似をするはずが無い。
だがあまりに生々しい残像……
「?」
ヒタヒタヒタ
廊下を歩く音がする。小さな足が今有雪の室の前を過ぎって行く。
ヒタヒタヒタ
有雪は襖をあげることができなかった。
―― この屋敷の外になど出たことがないよ、俺。
沙耶丸、おまえは何者だ?
何を隠している?
この屋敷で、いや、ここ、京師で何がやりたいのだ?
―― 俺は母者に会いたい。
別れ別れになった母者にどんなことをしても会いたい。
零れた涙を見せまいと拳で顔を拭った少年の姿が蘇る。
それに重なって次々に押し寄せる身を粟立たせる光景。錯綜する幻影。
何が真実で何がマヤカシだろうと――
夜具の中で有雪は歯を食いしばった。
母を慕って泣いた、あの姿、あの沙耶丸だけは真実だ!
それだけは……
それだけを……
俺は信じるぞ!
「どうした? 珍しいな? おまえの方から使庁へやって来るなんて」
言った後で検非遺使・中原成澄はギョッとした。
「なんだ、その顔! おまえ……幽鬼のようだぞ?」




