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キグルイ7

 



 (ふすま)を引き千切るように開けて有雪(ありゆき)は絶叫した。


「狂乱丸――――っ!?」


 肩の白烏(しろからす)が堪らず羽ばたくほどの大音声。


「もっと静かな声にしろ、似非(えせ)陰陽師め!」

 夜具の中で美しい田楽師の兄が(うめ)いた。

「傷に響くわ、イテテテ」

「良かった……生きているのか……」

 へなへなと腰を折る有雪。

「縁起でもないことを言うなよ」

 枕元に座していた弟の田楽師も瓜二つの顔を顰めた。

「え? 狂乱(きょうらん)丸、死んじゃうの? 死んじゃやだ!」

 やはり枕辺に控えていた沙耶(さや)丸が慌てて抱きつく。

 そんな少年の髪を撫でながら狂乱丸は陰陽師を睨んだ。

「見ろ、沙耶丸が怖がるじゃないか。漸く宥めたところなのに」

 振り返ると、打って変わって優しい声で、

「安心しろ、沙耶丸。俺は大丈夫だ。こんな怪我、すぐ治る。直ったら――また一緒に遊ぼうな?」



遊んでた(・・・・)? あの気難しがり屋で冷徹な狂乱丸が?」

「木登りさ!」

 怪我した際の状況を語る婆沙(ばさら)丸。

 寝所に狂乱丸を休ませて座敷に戻った二人だった。

 沙耶丸は狂乱丸の傍を離れようとしないので残して来た。枕の位置を変えたり、水を含ませたり、夜具を掛け直したりとかいがいしく看病している。

「おかげでこの通り、俺の手が空く」

 婆沙丸はクックッと笑った。

「兄者にしたら弟が2人出来たようなものじゃ」

「笑い事かよ! 知らせを聞いた時は肝を潰したぞ!」

「へえ? おまえが? 兄者の心配をねえ?」

 一層可笑しそうに婆沙丸は頬を膨らませる。

「一緒に遊んでいた子供たちが何か手伝いたいとあんまり騒ぐので、それならと伝言を頼んだまでじゃ。まさか、血相を変えて飛び込んで来るとはな! おまえ(・・・)が。成澄(なりずみ)ならいざ知らず。フフ」

「いや、なに、その……この処、夢見が悪くてな。だから、それで……」

 慌てて言葉を濁す。

 ともあれ、夢で見たあの美しい死体は、狂乱丸ではなかったのだ!

 正直、有雪は心から安堵した。

「ところで、怪我をした時、おまえもその場にいたのか、婆沙?」

「勿論」

 弟の田楽師は陽気に頷いた。

「では訊くが――その際、何か変なところはなかったか? 気になる点とか妙な気配などは?」

「そりゃ、どういう意味だよ?」

 吃驚してまじまじと見つめ返す婆沙丸。

「状況を知りたいだけじゃ。つまり、木登りをしていたのは狂乱丸と」

 やや声を落として有雪は訊いた。

「沙耶丸だけか? おまえはどうしていた? 同じ木に登っていたのか?」

「俺は地上にいた」

 残念そうに首を振る弟。

「俺も登りたかったんだが、如何せん、もっと小さな子供たちに纏わり付かれてて……それで俺は木の下でカゴメカゴメをしていた」

 思い出しながらキッパリと婆沙丸は言う。

「ありゃ単なる事故、よくある出来事だよ。何しろ兄者にとって木登りは、山に住んでいた5歳の時以来だものな! あ、俺は今でも子供たちとしょっちゅうやってるけれど。兄者は久方ぶりの木登りで、足を滑らせて――」

 狂乱丸は落下した。

 身が軽かったのと、真下が池だったことが幸いして大事には至らなかった。

「池?」

「そう。俺が飛び込んで引き上げた時の兄者の姿を見せたかったな! 全身ずぶぬれで雫を滴らせてさ!」

 

   雫を纏って海を流れて行った美しい肢体……


「だが、怪我自体は腰を捻ったくらいだ。後は肘に擦り傷……その程度さ! いや、池の水はかなり飲んだかも知れないけど。アハハハハ」

 婆沙丸は屈託なく笑っているが。単に運が良かっただけではないのか? 

 そのまま沈んでいたら、今頃は狂乱丸は水死体だ。

 ヒヤリとした。


「?」

 

 陽が翳ったのに気づいて有雪は顔を上げた。襖の向こうに沙耶丸が立っていた。

「俺、もう1度、行って来るよ、婆沙丸。やっぱり狂乱丸がアケビを食べたいと言うから採ってくる!」

「大丈夫か? 気をつけろよ?」

「大丈夫さ! 俺は慣れてるもの!」

 駆け出して行く沙耶丸。廊下を奔るその小さな影――

 いつかの夜に見た光景が有雪の脳裏を過ぎった。

「アケビと言ったな? 狂乱丸が登っていたのはその実を採るためか?」

 有雪は改めて質した。

 アケビは(つる)性の植物で他の大木に絡み付いて実を実らせる。採取する際は注意を要する。

「うん、そうだよ。だから、足を滑らせたんだ」

 答えながら婆沙丸は腰を上げた。

「待て、沙耶丸! 籠を持って行け……って、もう姿が見えない。すばしこい奴だな! 何だよ?」

 サッと伸びた陰陽師の手を吃驚して見つめる。

「籠を貸せ」

 有雪は言った。

「俺が届けてやるよ」

 最早これ以上、先延ばしには出来ない。

 有雪は決心した。

 少年と二人きりになるいい機会ではないか。今こそあいつの正体を暴いてやる。

「場所は何処だ?」

(えん)の松原」

「そりゃ、また……出来過ぎだな?」

 (ちまた)の陰陽師は薄く笑った。

 〈宴の松原〉は大内裏(だいだいり)は宣秋門の外、豊楽院の北方に広がる森である。

 その昔、月夜にここを(そぞ)ろ歩いていた三人の女官の内の一人が、木々の間から現れた美しい若者に付いて行き消息を絶ったと伝わっている。

 翌朝、陽の光の下で見つかったのは女官の手と足だけだった。

 この森には妖鬼が棲んでいるのだ。

 勿論、今の時代、それを信じる都人(みやこびと)はほとんどいない。日中は子供たちの格好の遊び場となっている。

  




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