キグルイ6 ★
その闇は陰鬱ではなかった。
「?」
爽やかな風が吹き過ぎて行く。
夏の午後だ。心地よい影の中を有雪は歩いていた。
この薄闇、優しい日陰がずっとどこまでも続けばいいと願った。
と、いきなり眩しい場所に出た。
白い砂浜、その向こうに煌めく瑠璃色の海……
「!」
有雪の足を止めさせたのは白砂青松の風景のせいではない。
瑠璃色の波の上に浮かんでいるもの。
「あれは……?」
ほとんど息が止まる思いがした。
たゆとう波の上に女が浮いている。
一糸纏わぬ白い肌。そう、打ち寄せる波よりも白い。
その女は全裸だった――
瞳は閉じられ、既に死んでいるように見える。
薄っすらと開いた真紅の唇。
だが歌っているのはその口ではなく体に纏いつく長い髪ではないのか?
寄せては反す幾千の波にさざめいて煌めく黒髪。
立ち尽くす有雪の前を女の体は流れて行った。
最初はゆっくりと、やがて波に乗り、波に運ばれて加速する。
スイイィィ……
見る見る波を蹴立てて水平線の彼方へ消えて行く美しい肢体――
がっくりと膝を折ってその場に崩折れた有雪の耳にざわめきが聞こえて来た。
「何故動かぬ?」
「これはどうしたことじゃ?」
「押しても引いてもびくともしないぞ!」
「一刻も早く都へ届けねばならぬというのに!」
「帝が首を長くしてお待ちじゃ! なんとしても、動かせろ!」
「?」
顔を上げると、いつの間にか山道にしゃがみ込んでいた。
道の向こうに、荷車があってその周囲で人々が怒鳴りあっていた。どの顔も目を血走らせて必死である。
どうやら車が停止して往生している様子。
(どれ、俺も押してやろう。)
有雪は腰を上げた。
だが、荷車に近づいて凍りついた。
その荷台に乗っているのは女――
先刻、海辺で見た女、波に流されて行ったあの女と同じ女に見える。
またしても、息絶えているのか?
今回、女が乗っているのは波ではなく荷車の荷台の上だ。木目も粗い板の上。
裸に剥かれたその体に荒縄がきつく巻かれていた。
瞳を閉じて薄く開いた唇。
生まれたままの白い肌に木漏れ日がチロチロ蠢いている。
(憐れにな。これは酷過ぎる……)
有雪は水干を脱いだ。それを女の体にそっとかけてやった。
刹那――
ギシッ!
軋んだ音を立てて車が動き出した。
まるで、そうされることを待っていたように、有雪の水干に包まれてその人は都への道を滑り出した。
「起きて、陰陽師のおじさん!」
「起きてよ! おじさん!」
耳元でがなられて我に返る。
処は京師の東の市。
腰掛を一つ置いて、道行く人を呼び止めては卜占をたれる。巷の陰陽師のいつもの片手間仕事の最中だった。
最近の不眠がたたってか、いつの間にか寝入っていたと見える。
「ん? 誰がおじさんだ?」
突っ込むところはそこではないだろうが、有雪は目をしょぼつかせて子供たちを見回した。
「何なんだ、おまえら? 餓鬼どもが?」
一瞬ギョッとする。何処から湧いて出たのかこの子供たち。これも夢ではないだろうな?
「俺はタダでは商売はしないぞ。金は持ってるのか?」
「違うよ!」
「俺たち、田楽屋敷の――婆沙丸の使いで来たんだ!」
子供らは一斉に叫んだ。
「狂乱丸が大変だって! 怪我をしたんだ!」
「なんだと?」
海を流れて行く美しい肢体。
荷台に括られていた美しい肢体。
それらが暗示するもの何だ?
有雪は身震いした。
(……葬儀……葬送?)
思えば、おおよそ、人が裸でいるのは2回だけだ。生まれた時と――
死んだ時?
夢では女と見えたが、あの美しさは……
「狂乱丸っ!」
白衣を翻して有雪は駆け出した。
怪我をしただと?
これこそ夢であってくれ……!
どうか……!




