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星祭り 2

     


体仁(なりひと)皇子が行方不明になった……!」

 体仁皇子は現帝・崇徳の皇子で次の帝と約された春宮である。保延五年の生まれで御年三歳。

 その尊い皇子の行方がわからなくなってしまった……!

「我等、衛門府官人に知らされたのが四日前。その前日に皇子は姿を消されたと」

 姿を消す、と言っても未だ三歳の幼君である。

 何でもその日、母方の祖父邸に遊行された。その際、方違(かたたが)えのため今は無人のとある屋敷に入ったまではわかっているのだが、その後の足取りがヨウとして掴めない。 ※方違え=魔を避けるため方向を変える行為

 件の屋敷は(もぬけ)の殻で、随伴の乳母や女房、舎人たちはもちろん、それこそ牛飼い童や牛車(ぎっしゃ)まで掻き消えてしまったのだ。

掻き消えた(・・・・・)と言えば何やら物怪(もののけ)じみているが──要するに拉致、拐かしの類であろう?」

 有雪が指摘した。

「護衛や従者共々、と言うことは……これは相当大掛かりな勢力の手にかかったと見た!」

 成澄も率直に認めた。

「帝もそのことを気に病んでおられる。真実、恐ろしいのは物怪ではなく人間よ」

 今回の変事は明らかに〈怪異〉ではなく〈人為〉。

 体仁皇子の皇位継承を望まぬ一派の濫行(らんぎょう)と察せられる──

 体仁皇子は実際は崇徳帝の弟に当たる(・・・・・)

 父・鳥羽院と藤原徳子の間に生まれた〝弟〟を帝は養子となしたのだ。

 これら諸事情に絡んで、保延最後の年となったこの頃、崇徳帝と父院の関係は目に見えて悪化していた。補佐すべき摂関家では、これまた次男頼長を後継にと熱望する前関白・藤原忠実と嫡男・忠通が露骨に反目し合っている。こうした勢力争いに、それを取り巻く臣下、家司、郎党、入り乱れて不穏な蠢動止む間がなかった。

 とはいえ、今回の〈皇子失踪〉は帝にとっても院にとっても忌忌(ゆゆ)しき一大事である。

 内裏(だいり)では昼夜を分たず加持祈祷して皇子の無事の帰還を祈っている。

 一方、このことが広く世に喧伝されて衆生が動揺するのを、治安を預かる検非遺使庁別当は何より恐れた。

 兎にも角にも、迅速で穏便な解決こそ望ましい。

 かくして、この数日というもの検非違使たちは不眠不休で皇子の行方を追っているのだ。

「その必死の折りも折り、田楽屋敷へやって来るとは?」

 ニヤリとする美しい双子の田楽師、これは兄の方、に慌てて検非違使は手を振った。

「人の話の先取りをするな。そのこと、これから言おうとしていた。俺は何も息抜きでここ(・・)に立ち寄ったのではないぞ。今日、日が落ちた後、ここである人と会う約束をした。ひょっとしたら……皇子の行方がわかるかも知れぬ……」


 今を去ること二刻── ※四時間前

 今日も一日中、皇子の姿を捜して京師(みやこ)のありとあらゆる場所を駆け巡った成澄。

 ふと思い当たって皇子一行が立ち寄ったという屋敷に馬首を向けた。

 勿論、行方がわからなくなって以降、件の屋敷も調べるべきものはあらかた調べ尽くされているが。

 どんな些細な手がかりでも良い、何か見つけられないものかと藁をも掴む心持ちでやって来たのだ。

 同じように思う輩は多いと見えて、他にも検非遺使が何人か、配下の衛士まで引き連れて来ていた。その為、屋敷内は異様な賑やかさだった。

 今は空家ながら、元公卿の住居と聞くその屋敷自体は、調度も少なく簡素な(しつら)えである。

 一通り見回った後、母屋の片隅で月次屏風(つきなみびょうぶ)の前に佇んでいると突然声をかけられた。

「中原殿!」

「お、これは、長衡(ながひら)殿か?」

 平長衡(たいらのながひら)は年の頃二十一、二。端整ではあるが顔つきが柔和過ぎて検非違使には見えない。帝の寵を受けている兄の平長盛(たいらのながもり)同様、こちらも蔵人向きだと常々成澄は思っていた。

 だが、れっきとした武門、伊勢平氏の出である。

「中原殿、その屏風に何か気になることでも?」

 さっきから屏風の前を動こうとしない成澄を気にかけたらしい。

 途端に、悪戯が見つかった少年のごとく長身の検非遺使は紅潮した。

「いや、俺は生来の無骨者故、ここに書き留めてある歌の意味をあれこれ考えていたのだ」

 そも、屏風は貴人邸には欠かせない調度、家具の類である。

 唐絵屏風、倭絵(やまとえ)屏風、月次屏風、名所屏風……等々種類があり描かれている図柄で識別された。

 唐絵は漢詩文、倭絵は和歌を書き付けた色紙を散らす。月次は名の通り、正月から十二月までの風物が描かれるのである。

 眼前のそれは月次屏風だが、ちょうど七月のところに墨跡も黒々と、ひと目で手書きとわかる一首が記されていた。


     艫取女(ともとりめ)

      (よし)分け

       すすむ端舟(はしふね)

         江も知らで漕ぐ

          かなしき

           この

             身ぞ


 平長衡は微笑んで、

「〝艫取女〟と言うのは遊女の乗る舟を漕ぐ女のこと。年をとって客を取れなくなった遊女が多くこの役を担ったとか」

 流石、武門でも、また、年若くとも、平氏の出である。雅な博識に成澄は唸った。

「ううむ。と言うことは──これは容色衰えた遊女が我が身を嘆いて詠んだ歌だな?」

 意味の方はわかったが、改めて成澄は首を傾げる。

「それにしても、月次屏風にはそぐわない歌だと思うが? 急いで書き殴った風でもあるし……」

「おっしゃる通りです」

 言ってから、急に長衡は大声で前言を翻した。

「いえ! そんなことはない! 心の思いつくまま……或いは、忘れてしまわない内に、身近な屏風に歌を書き付けるのは風流人ならよくあること」

 ちょうど背後の(ひさし)の間を三、四人衛士が通って行ったところだった。

「時に、中原殿──」

 周囲に人の気配がなくなったのを確かめてから、長衡は一段声を落として囁いた。

「大事な話があります。だが、ここではまずい。他人に聞かれたくないのです。何処か二人だけで話がしたい」

 公達(きんだち)の深刻な眼差し……


「ひょっとして、平長衡殿は何か掴んでいるのではないか、と俺は思った。それで」

「──人に聞かれる心配のないここ(・・)を教えたというのだな?」

「なるほど。我等は〝人〟の勘定には入らぬものな?」

 そう言って双子が声を揃えてさざめき笑った時だった。庭先に叫び声が響いた。

「誰かっ──……!」



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