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キグルイ3

 



 母にどうしても会いたい。

 (よわい)12に満たない沙耶(さや)丸が、故郷の紀州を立って一人京師(みやこ)を目指した理由(わけ)はこうである。

 沙耶丸の父、那図(なづ)は筋骨隆々たる(きこり)だった。が、去年の秋、流行病(はやりやまい)であっけなくこの世を去った。残された母、軽野(かるの)は暮らしに困り受領(ずりょう)の邸に端女(はしため)として働きに上がった。

 ところで、この軽野、(ひな)にも稀な美しい女だった!

 一目で当主に見初められてしまったのだ。

 任期の切れたこの春、受領は京師まで軽野を連れて行くことを望んだ。

 軽野はそれを承諾した。愛しい沙耶丸のために。

 僻奥の地で、自分一人では到底一生働いても手に出来ない夢のような金品を約束してくれた受領。我が子はこれで何不自由なく暮らせる。そのためならこの身など惜しくない、どんな我慢も出来る……

 だが、そんな大人の事情、母の悲しい慈愛を年端も行かない息子が理解するはずもない。

 母とともにいたい!

 だから、どんなことをしても母を探し出し、連れ帰る!

 充分な報酬とともに預けられた親族の家を沙耶丸は飛び出した。一路、母の住む京師へと旅立ったのである。

「ところが、小さな足で艱難辛苦(かんなんしんく)の果てに羅城門を潜ったとたん、悪辣な人買いどもに追い掛け回される破目になった――」

 と婆沙(ばさら)丸。

 続けて狂乱(きょうらん)丸が、

「だが、幸運にもその魔手から京師一の検非遺使、正義の使者、我等が中原成澄(なかはらなりずみ)に助けられ――」

「おい、そりぁあ大袈裟だ!」

 赤面して遮った検非遺使尉(けびいしのじょう)が簡潔に締め括った。

「そうして、今、まさにここ田楽屋敷に至った――とこういうわけさ!」

 旅の最後に大変な1日を過ごした少年。明るい燭の灯る暖かい座敷で、たらふく飲み食いして満腹したせいか、それとも安心したせいだろうか、床に突っ伏してうとうとし始めた。

「やや、こりゃいかん!」

 検非遺使が目を細めて言う。

「夜具に入れて寝かせてやれ」

「その前に体を拭いてやろう」

 狂乱丸が優しく揺り起こした。

「さっぱりした後で新しい着物を着せてやるぞ、おい、沙耶丸!」

「それがいい! おいで、沙耶丸!」

 普段から子供好きの婆沙丸はよいとして、好悪の激しい狂乱丸までがかいがいしく沙耶丸の世話を焼いている。その光景を目の当たりにして有雪は思わず呟いた。

「やけに優しいな、狂乱丸の奴……珍しいこともあるものじゃ」

「そんなにフシギかよ? フフ、俺はそうは思わないがな」

 したり顔で頷く成澄だった。

「日頃は表に出さないが、双子たち――狂乱丸も婆沙丸も母の縁には薄いからな。母を捜して旅して来た沙耶丸に自分を重ねているのだろうよ」

 田楽師の狂乱・婆沙の兄弟は5歳の時、巡業に来た田楽新座の(おさ)犬王(いぬおう)に買い取られた。

 父も母も、我が子を生かしたい、その切なる願いの元に京師で人気の田楽一座に我が子を(ゆだ)ねたのである。勿論、兄弟は父母のその決断をありがたく思いこそすれ、微塵も恨んでなどいない。むしろ深い恩愛を忘れたことはなかった。

 綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)の衣装を纏い、賑やかに舞い歌う日々。

 これこそ、『生かされている』幸福の日々である。もう顔も憶えていない父母が与えてくれた最高の贈り物。朝に夕に故郷の空に向かって両親に感謝の祈りを捧げている二人だった。

 だからこそ――

 母を慕って、再びその手に母を取り戻そうと都にやって来た少年の思いを叶えてやりたかった。

 (俺達は、もう二度とこの世では父母と会うことは出来ないのだから。)

 平生、冷徹で悋気(りんき)心の強い狂乱丸が一瞬で沙耶丸に心を寄せた理由はまさにここにあった。

「おまえだとて、そうであろう?」

 酒瓶を傾けて酒を注ぎながら検非遺使は陰陽師の顔を覗き込んだ。

「まあ、俺とても、そうだが」

 屈強な検非遺使も幼くして母を失くしている。

「なあ? 子にとってその親……特に母は永遠に恋しい存在ではあるまいか?」

「――」

 

 雪よ。雪。

 雪丸にして。

 全てを清く覆い尽くす純白の雪。

 穢れのない雪。

 この子にその名を。

 私が与えてやれるものは(それ)しかない……


「ふん、俺は違うさ。母など思ったこともない」

 (うそぶ)く陰陽師の盃にまた酒を注ぐ検非遺使だった。

「いいさ、まあ飲め、有雪」

「――」


 盃を呷る男二人の耳に廊下の向こうから楽しげな喧騒が響いて来た。

 縁に湯桶を置いて少年の体を拭いてやっている双子の声だ。

「こら! 動くなというに! 綺麗にしてやってるんだから!」

「さっぱりしたほうがぐっすり眠れるぞ!」

「そうじゃ、そうじゃ、こんな泥と埃まみれの体では我等の夜具が汚れる」

 沙耶丸の動きが止まった。

「じゃ、今夜、一緒に寝てくれるのか、狂乱丸、婆沙丸?」

 即座に婆沙丸、

「勿論じゃ」

「まあ、おまえがそうしてほしいというなら」

 と、これは狂乱丸。

 次の瞬間、沙耶丸は双子に抱きついた。

「おい!」

「おい!」

 飛びつかれて縺れたまま縁に転がる三人。

「こらっ!」

「ふざけるのも大概に――」

 叱ろうとした兄弟の声が喉元で止まる。少年の肩が震えて、泣いているのに気づいた。

「そうか? 俺、今夜からまた温かい夜具で寝れるのか!」

「なんだ?」

「そんなに嬉しいのか、沙耶丸?」 

「だって、母者がいなくなって……俺、俺……ずっと一人で寝てたんだもの!」

 母が受領様のお邸に働きに出るまでは一緒に寝ていたのだと沙耶丸は言う。貧しい樵の家に夜具は一組しかなかったから。

 母がいなくなって、広くて冷たい夜具の中で思った。

 何もいらない。手を伸ばせば握り返してくれたあの母者の手さえあればいい。

 それさえあれば翌朝、俺はどんな辛いことも耐えられる。しっかりと大地を踏みしめて生きて行ける……

「俺、絶対母者を連れて家へ帰る!」

「安心しろ、沙耶丸。俺達も力を貸すよ! 大丈夫、すぐ母者は見つかるさ!」

「だが、まあ暫くは――俺達が母者の代わりさ!」

「ありがとう! 狂乱丸! 婆沙丸!」

 再び抱きついた少年に笑いながら狂乱丸が訊いた。

「おや、なんだ、これ?」

 沙耶丸が首に下げていた袋のことだ。

「体を拭く間だけでも外せよ?」

 婆沙丸も気づいて、言う。

「守り袋か? それにしてもでかいな?」

「そうだよ! いいだろう?」

 翡翠色の紐でしっかりと胸に下げた袋。

 大切そうに両手で握り締めて沙耶丸は微笑んだ。

「この中に母者の化身が入っているんだ。母者が俺の手元に残して行った、ただ一つの――母者の持ち物じゃ」



「で? どうするんだ?」

 

 更に夜が更けて。

 とっくに寝入っ狂乱丸たちをよそに座敷に腰を据えて飲み続けている検非遺使と陰陽師。

「母を捜す手助けをするようだが、安請け合いをして大丈夫なのか?」

 そこは子供の浅墓さと言うか――沙耶丸は肝心の受領の名を知らなかった。

 

 ―― 名前? 受領様(・・・)だよ!


 『受領』と言えば通ると思っていたのだ。

 言うまでもなく、〈受領〉とは直接任地に赴いて政務を執る国守の名称である。いわゆる諸国の地方長官で、中央の官職に就けない中流以下の貴人が多くその職に就いた。〝諸国〟と言うだけあってこれがかなりの数なのだ。余談だが紫式部、清少納言を筆頭に平安時代の女流文学の作者のほとんどがこの〈受領〉を父に持つ――


「何、たいしたことじゃないさ!」

 成澄は豪放磊落にカラカラと笑った。

「存外簡単に事が運ぶと俺は踏んでいる。と言うのも――」

 成澄が言うには、最近任地から引き上げて来た受領を片っ端から探していけばいいのだ。その中で地元の美しい女を連れて来た輩がいたらそれこそ、沙耶丸の言う『受領様』である。

「なるほど! 感心したよ。おまえもさほど馬鹿ではないのだな?」

「……それ、誉めてないよな?」


 その夜は大いに飲み明かした二人だった。

 まさか、翌日、あんな恐ろしいものを見ることになろうとは……



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