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呪術師12

「まだ聞こえぬな?」


 これで何回目だろう? 縁に出て、誰に訊くでもなく成澄が訊いた。

 昼過ぎの巡邏中に立ち寄ったまま居座ってしまった検非遺使尉(けびいしのじょう)

 今日、神泉苑(しんせんえん)で行なわれている〈術披露〉以上に田楽屋敷の面々の行動が気に掛かっている様子。

「聞こえるものかよ! ハナからマヤカシじゃ」

 引き攣った笑みで答えたのは橋下(はしした)の陰陽師。

 こちらも、弟の田楽師の驕りの酒を朝から飲み続けているのだが、さほど美味そうには見えなかった。

「それにしても――今日は京師(みやこ)中の人間が衣笠(きぬがさ)山の方角を向いて耳をそばだてているだろうよ?」

「おまえこそこんな所にいていいのか?」

 盃を嘗めながら有雪、

「何にでも首を挟みたがる判官(ほうがん)殿にしては珍しいな? そろそろ呪術師の化けの皮が剥がされる刻限だぞ」

  陰陽師の辛辣な物言いに成澄は大息を吐いた。

「俺は行かぬ。法師どもは、縛り上げたアシタバを引き回して使庁まで練り歩くそうだ。ハナからそれを今回の一番の見世物としている。そんな胸糞悪い余興に誰が立ち会いたいものか」

「フン、文字通りの〝晒し者〟だな? ――何の音だ?」

 突然耳元を()ぎった音にギクリとした有雪。

 もちろん、鐘の音ではない。

 音の出処は田楽師の兄だった。盃を(あお)る有雪を掠めて勢いよく庭に飛び降りたのだ。

 風になびく菖蒲の端に朝からずっと佇んでいる弟の傍らへ行く。

 ひょっとして、と婆沙(ばさら)丸は考えていた。マシラが助けを求めて駆け込んで来るのではないか? 

 だが、夕刻のこの時間になっても遂に呪術師の妹は姿をみせなかった。

「……行って見るか、婆沙?」

 意外な言葉に顔を上げる。

 思ったより近くに兄は立っていた。

「兄者?」

「俺もさ、何処にいても落ち着かぬ。ならば、結末をこの目でしっかりと見た方がマシと言うものじゃ」

 目配せして付け足した。

「のう? 俺達の方がよっぽど〈念〉の力を有す〈真実の呪術師〉かも知れぬな? お互いに行きたい処、したい事、その全てがわかるのだから。これでは隠したい思いも筒抜けじゃ。双子とは不便なものよ」

「いや、違う。俺はそうは思わぬ」

 婆沙丸は首を振った。

「双子とは――頼もしいものさ! ありがとう、兄者!」

 

 いつも、誰よりも、わかってもらえる。

 その喜びも、悲しみも。


「馬を引け!」

 間伐入れず検非遺使尉(けびいしのじょう)が叫んだ。

「真実の呪術師アシタバの〈術披露〉の場所へ乗り付けるぞ!」

「どっこいしょ」

 白烏(しろからす)が羽をバタつかせる。盃を置いて有雪が重そうに腰を上げたせいだ。

「馬は二頭なんだろ? 例のごとく狂乱丸が判官(ほうがん)の鞍に乗るなら――仕方がない、婆沙は俺が乗せてってやるよ」  ※判官=検非遺使尉の別称



 

 既に陽は山の端に懸かっている。

 血のように濃い京師の夕焼けの始まりである。

 前回は喝采の坩堝(るつぼ)と化した神泉園大池の(ほとり)

 目を閉じ結跏趺坐(けっかふざ)してピクとも動かぬ呪術師アシタバの姿があった。

 その真ん前には取り外された撞木(しゅもく)。化け物の骨のごとく白々とした光を放っている。

「やはり、撞木は動かぬままか……」  ※撞木=鐘撞き棒

 思わず漏らした婆沙丸の声に観衆の中の一人が振り返った。

「あいつがマヤカシだってことはもう充分にわかってるさ! それなのに――往生際の悪い男じゃ」

 隣の一人も頷いて、

「『撞木など関係ない』と山法師に言い放ったんだぞ。今回はもっと凄い術を披露するのだと!」

「それは?」

「『〈念〉の力だけで鐘を鳴らしてみせる』だとさ! だから、撞木は動かなくてもいいのだそうだ」

 方々で上がる嘲笑の声。

「馬鹿らしい! 言い逃れにもほどがある」

「本当はモノを動かす力なんぞないくせに!」

「見ろ! 今まで粘っても、あやつはとうとう撞木を飛ばすことが出来なかった!」

「全く、いい面の皮じゃ」

 鐘のある廃寺の方向、衣笠山の緑の稜線は静まり返っている。

 このまま陽が沈みきって(かがり)に火が入ったら、その時こそ、アシタバが縛される瞬間だった。

 今、この場に集まった大勢の都人(みやこびと)は、もはや、〈真実の呪術師〉の〈念〉の力が見たいのではない。〈マヤカシの詐欺師〉が縛される、その場面を見逃すまいと固唾を飲んで待ち構えているのだ。

 アシタバの周囲を取り囲んだ山法師たちがアシタバを縛り上げる荒縄を準備し始めた。

 と、その時――



「ーーーーンンンン……」


「?」

 

 耳が痛むほどの静寂を突いて微かな音が響いた。

 いや、気のせいだろうか?

 と、思うまもなく


「ーーーーーンンン……」


「鐘だ!」

「鐘の音だ?」

「か、鐘が鳴った……!?」


 カッと目を見開くアシタバ。

「……まさか?」


「まさか……」

 呪術師と同じ喘ぎを法師の真済(しんぜい)も漏らした。

「ウソだろう?」

「聞き間違いではないのか?」

 居並ぶ法師仲間が口々に呟く。

 そのさざめきに重なって、また鐘の音は響いた。


「ーーーーーン……」


「そんな馬鹿な……」

 フラフラとアシタバが立ち上がる。

 この場にいる誰よりも一番信じられないと言う顔つきだった。

何故(・・)だ?)



「有雪、これはどういう訳じゃ?」

 首を傾げて訊く婆沙丸に有雪も首を傾げて答える。

「ソレはこっちが聞きたいわ」

「だが――」

 狂乱丸が促した。

「とにかく――廃寺へ行ってみよう、成澄!」

「うむ!」

 身を翻した検非遺使の姿をアシタバは見逃さなかった。

「判官様っ!」

 人垣を割って蛮絵の袖に飛びついた。

「お、俺も! どうか、俺も、連れて行ってくれ! 何が起こったのかこの目でみたいのです!」

「貴様、逃げる気か!」

 駆け寄った真済とその仲間を成澄は一喝した。

「鐘は鳴った! 計三回も! 貴僧等も聞いたであろう?」

「うっ」

「今回の〈術披露〉はこれまでじゃ! 呪術師アシタバは検非遺使のこの中原成澄が借り受ける!」

 アシタバを振り返って、

「呪術師殿、馬に乗れるか?」

「田舎の出なれば、裸馬にだって乗れます!」

「誰ぞ、もう一頭、馬をこれに! よし、行くぞ!」

 狂乱丸を乗せて拍車する検非遺使尉。続いて呪術師が飛び出す。

 やや遅れて、婆沙丸を後ろに陰陽師も駆け出した。

 




 〝山〟と言っても衣笠山は標高201m。京師の西北に広がるなだらかな丘陵地である。

 大内裏(だいだいり)からも近く、清涼な風景の中に寺社が点在する別荘地として貴人に人気があった。

 尤も、平安のこの時代、当地に在った名刹(めいさつ)は仁和寺くらいのものだが。

 外国人観光客が必ず訪れる金閣寺や石庭で有名な竜安寺などはまだ存在しない。立命館大学に至っては言わずもがなである。


 さて。

 朝鮮鐘を有す件の廃寺の山門前では見張りを命じられた法師たちが蒼白の面持ちで立ち尽くしていた。

 乗り付けた成澄一行に呆然として応えて曰く、

「誰も、中にはいません。断じて、猫の子1匹!」

「それは誓って言えます!」

「今回の〈術披露〉には、我等、法師の面目がかかっております!」

「それ故、どんな不正もないよう目を光らせていた!」

「境内の見張りは万全じゃ!」

 低いが良く通る声で成澄が質した。

「それで、貴僧ら、鐘が鳴った後では? 調べたか?」

 山法師たちは全員、即座に首を振った。

「恐ろしくて……とてもそんな真似……」

 最初の鐘の音を聞いた瞬間、総毛だって一歩も動けなくなったらしい。

「だって、撞木は昨日、我等の手(・ ・ ・ ・)で外したんですよ!」

「だから――」

「どんなことをしたって〈人〉の手であの鐘が鳴るはずない!」

「となれば、あれは――」

 法師たちは震えながら声を揃えた。

「アレはまさしく〈念〉の力だ!」

 高下駄を鳴らし僧衣を翻してアシタバの前にひれ伏す。

「疑ったことをお許しください! 貴方様こそ、真実の呪術師です!」

「ええい、どけ!」

 成澄は法師たちを蹴散らして山門を潜った。


 


 夕焼けの残滓が煌めいている境内。

 鐘は黒々と静まっている。

 門前の法師たちの言葉通り、撞木は外されて、それを吊るす縄だけが虚ろに垂れ下がっていた。

 まさにそれ、持ち出されたその撞木を今日一日、眼前に見つめ続けたアシタバ。喉を震わせて息を吐いた。

 ゆっくりと鐘楼(しょうろう)の内へ入って鐘を見上げる。

(本当に? この鐘が鳴ったのだろうか?)


 鳴ったのはこの鐘(・ ・ ・)なのか?


 成澄と有雪が後に続く。

 鐘楼内で検非遺使の黒衣と陰陽師の白衣が交差した。成澄が長躯を折り曲げて鐘の真下に屈み込んだのだ。

「む? これは何だ?」

「?」

 有雪も膝を折って地面に顔を寄せた。

 鐘の下の土に転々と赤黒い染みが散っている――

「ああっ!」

 同時に叫び声を上げた双子の田楽師。

 日頃の艶やかな歌声とはかけ離れた、掠れて重い響き。

「あそこ……!」


 鐘楼の背後、生い茂るシキミの繁みの中、白い足が見えた。





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