呪術師6 ★
送って行くと言って一条堀川の邸を出たものの――
婆沙丸もマシラもどちらも一言も口をきかなかった。
既にとっぷりと暮れた夜の道を二人は黙々と歩き続けた。
大内裏朝堂院の南門に差し掛かった辺り。
「何処へ行っていた? 遅かったじゃないか……」
柱の間、月光に白々と浮かび上がったのは呪術師アシタバだった。
昼間の異国風の扮装を解いて地味な水干姿である。帰って来ない妹を案じて迎えに出て来たのだろう。
軽く会釈をする婆沙丸。
「では、俺はこれで」
「本当に……何と言ったらいいのか。今日はご面倒をおかけしました」
深々と頭を下げる娘を残して、婆沙丸は踵を返した。
「ほう? 流石に都の男は垢抜けているな!」
去って行くその後姿を見つめながらアシタバが微苦笑した。
「誉めてやるよ、我が妹! おまえ、中々目が肥えている。いい男を引っ掛けたじゃないか!」
「そんなんじゃありません」
駆け寄るとマシラは兄の袖を掴んだ。
「大切な話があります」
「あいつと祝言を挙げたいのか? いいぞ、金なら山ほどある! この兄が盛大な式を挙げてやる!」
「そんなんじゃないったら!」
必死の形相で妹は兄に詰め寄った。
「真面目に聞いて、兄様! こんどこそ、都を出ましょう?」
「何?」
「マヤカシはもうやめて、邦ヘ帰るの」
赤い髪を振ってマシラは堰を切ったように語りだした。
「今日、私はとんでもないことをしでかしてしまった。今の御方は、その関わりの人です――」
「そうか、そんなことが……」
事のあらましを聞き終えると、流石にアシタバは深く息を吐いた。
「だが、何にせよ、罪を問われなくて良かった!」
皓皓と照る月を見上げて笑う。
「これぞまさに観音様のご加護だな! 母者の信心も無駄ではなかったってわけだ!」
「私も、同じことを思いました。母上様は本当に信心深いお優しい御方でしたもの……」
マシラは蕾のような胸の前で合掌した。
「さっき送ってくださった御方を始め、今日見知った方々は信じられないくらいいい人たちで……恐ろしい振る舞いをした私を許してくださいました……」
婆沙丸が去って行った道の果てを眺めながら、そちらにも手を合わせる。
「ひょっとしたら観音菩薩様が御身を変えて現れたのかも知れない」
「やれやれ、おまえのその神仏カブレは母者譲りだな? だが、神仏に祈るのはもうよせと言ったろう?」
荒々しくアシタバは手を振った。
「さっきのは、皮肉さ。神仏に頼ったところでどうにもならん。おまえだって、見たはずだ。信心深くて優しかった母者がどんな目にあったか」
「……」
「あの母者の最期を見てから、俺は決めた。金輪際、神仏になど手を合わせるものか! 所詮、頼れるのは己の才覚のみじゃ!」
「兄様――」
「世の中に騙す人間と騙される人間がいるのなら、俺は騙す人間になってやる! 騙されて泣くのは阿呆なのさ!」
妹の肩を掴むと瞳を覗き込んで言った。
「だから、よく聞け、マシラ! 俺は故郷ヘ引き上げるつもりなど毛頭ない。金儲けだって、まだまだこれからじゃ! 俺の術を見たくてもっともっと……都中の人間が押し寄せる。そいつら全員から金を巻き上げてやる! こんな機会を見逃す気はないからな!」
「そんな……」
「おまえこそ――」
ここでアシタバの口調が変わった。
「そうだ、何か、欲しいものはないのか?」
兄らしい優しい響きが篭る。
「金さえあれば何だって手に入るんだ。 おまえも父者が死んで以来、ずっと苦労続きだったものな? ここらで息抜きしてもいい。せっかく花の京師にいるんだから、好きなだけ着飾って――さっきの美しい男に可愛がってもらえ。おまえの欲しい物くらい何だってこの兄が買ってやるからな?」
「私は何も欲しくない。兄様さえ元気でいてくれたらそれでいい」
兄は顔を背けた。
「またくだらんことを」
「お願い、お願いです!」
マシラはアシタバの背中にしがみついた。
「私は兄様のことが何よりも大切で――心配なんです」
涙を溜めた瞳で必死に懇願する。
「マヤカシで人の目を欺いて……このままただですむはずはない。兄様の身に災いが降りかかるのではないかと私はソレが恐ろしくて……たまらない」
「フフン?」
アシタバの端正な顔が歪む。嘲笑の笑みが刻まれた。
「母者の言うところの〈罰〉ってやつだな? 馬鹿らしい!」
「どうか、これ以上、嘘で人を欺かないで!」
必死に妹は食い下がった。
「興行を続けたいなら、ならばせめて外術だと知らせるべきです。念力や神通力を操る呪術師などと触れ回らないで!」
震える声で付け加えた。
「兄様は呪術師なんかじゃないんだから」
「もう遅い」
「え?」
「もう遅いと言ったのさ」
月光の降る中、アシタバの冴え冴えとした声が響く。
「今日、おまえはその場にいなかったから知らないだろうが。実はな、俺の術を見に来た法師と〈術比べ〉をやることになったのだ」
「?」
遡って、今日の白昼、東の市。
件の呪術を披露するアシタバの前へ進み出た一人。
寡頭姿で、高下駄を履き、僧衣を纏っている。
一目でわかる山法師だった。
元々、法師とは自分の寺を持たない修行僧を言う。これに対し、剣を佩き薙刀を持って武装した僧侶の集団――後の世に〈僧兵〉と呼ばれる一群をこの時代、延暦寺系は山法師、三井寺系は寺法師と呼んだのである。
反目しあう寺に焼き討ちをかけたり、帝や摂関家に対して強訴を繰り返すなど、獰猛で傍若無人な振る舞いで恐れられた。
後に白河帝などは自分の意のままにならない物の喩えに「鴨川の水、双六の目、山法師」を上げている。
その山法師の出現である。
吃驚して音を失くした観衆の前で法師はゆっくりと言葉を放った。
―― 大層な見世物だな? 芸としては誉めてやろう。
だが、所詮、芸は芸。
披露したいなら、
〈念〉などと法螺を吹かず〈外術〉と断って行うべきだ。
―― お言葉ですが法師様、私の〈念〉の力は本物。
私は真実の呪術師です。
法師様こそ羨ましいなら正直におっしゃったらいい。
―― 何だと?
―― ご自分に私のような〈真実の力〉がないから、
このような言いがかりをおつけになるのでしょう?
衆目の面前で術のことを嘲弄されては、俺としても後へ引けなくなったのだ、とアシタバは言った。
「そ、それで、〈術比べ〉を?」
「そうだ。ならばどちらが本物の呪術師か黒白をつけようと言うことになった」
後になってアシタバは知ったのだが、その山法師、名を真済と言って、〈神通力〉があるとして、昨今、京師でそれなりに名を知られている人物だった。
「法師の方は雨を降らす術を披露すると言う」
いわゆる〈祈雨の術〉。
古くは弘法大師空海が得意とした伝統ある〈呪術〉である。
「対して俺は〈念〉で勝負するぞ! しかも、鳥目や紐、餅などというチャチなモノを動かすのはやりつくしたから、この際、別の物――もっと目を剥くモノを動かしてみせると言ってやったわ!」
「そんな……ウソ……!」
マシラは小さく叫んでその場に膝を突いた。
☆ 自称〈真実の呪術師〉アシタバ




