呪術師3
橋下の陰陽師は白烏が羽をばたつかせるほど肩を揺らして笑った。
「俺は、動かしたんじゃない。それらは元々そこにあったのだ」
「――」
未だ身動ぎもできずにいる田楽師と検非遺使を見つめて、
「やれやれ、まだ気づかぬのか?」
笑いながら有雪は懐から酒瓶と花を取り出した。
「おまえたちから預かったのはこっち。だから、あっちの酒瓶と花は俺が予め仕込んでおいた別物さ!」
「でも――」
浅紅色の唇を噛み締めて狂乱丸が訴える。
「酒瓶はわかる。おまえが自分で選んだんだから。だが――」
唾を飲み込んで、
「花は俺自身があの場で選んだのだ。あそこで思いついて、庭に降り、手ずから摘み取った……」
「そこよ」
「?」
「妖術ともいい、幻術とも言うこれら外術は手先のマヤカシだけでなく人の心を巧みに読み、操るのだ。いいか?」
巷の陰陽師は田楽師の胸元をとんとんと叩いた。
「まず、おまえの好み。おまえが選びそうなモノを俺は予見した。おまえは美しいモノが好きだから花に目が行くだろうと。のみならず、気づいたか? 俺は話の合間に何気なく、何度も、視線を庭へ向けた。それとなくおまえが花を見るように仕向けたのじゃ」
「そ、そうは言っても――俺が気づかず、花を選ばなかったら、その時はどうした?」
「万事抜かりはないわ」
陰陽師は北楚笑んだ。
「成澄の茵を探ってみろ」
「何ぃ? まだあるのかよ?」 ※茵=座布団
成澄が飛びのいて茵をひっくり返すと、扇が出てきた。
「おまえが選びそうなものはまだいくつか仕込んである。成澄、ついでに袖を見てみろ」
「袖?」
香染めの薄紙が出てきた。狂乱丸が好んで使う品である。
「おまえが花を選んだから、俺は『成澄の懐』と言った。おまえが選んだのが扇なら俺は『茵の下』を探させたろう。薄紙を持って来たなら『袖を見ろ』さ。どうだ?」
ここへ来て、漸く狂乱丸も納得したようだ。
「……わかったよ。今宵、俺は、どうあがいてもおまえの手の内に在ったってことか」
「まあ、そう落胆するな、狂乱丸。おまえが、と言うわけじゃない。所詮、人はそういうものなのだ。『自由に選べ』と言いながら何気なく、こう円を書くと――」
有雪は言いながら皿に盛られていた豆を床に巻き、それから指を酒に浸して豆の間で弧を描いて見せた。
「人はこの円の中からしか豆を選べなくなる。無意識に外側の豆は除外する。何気ない言葉と動作で知らぬうちに心を縛られてしまうのさ」
現在で言う暗示、催眠、マインドコントロールの類である。
「ううむ。では、昼間のあれも?」
検非遺使の問いに有雪は頷いた。
「原理は同じだ。鳥目は誰でも持っているし見た目は同じだ。仕込むには最適だ。腰紐は――」
既に理解した狂乱丸が先を継ぐ。
「観衆の中で似たものをしている女を選んだ?」
「大当たり!」
「なるほど」
検非遺使も膝を打った。
「アレだけ人が集まっているのだ。観衆の中に一人か二人は似た腰紐の女もいるだろう」
「なーんだ、そんなことか!」
種を知れば何のことはない。少々がっかりして息を吐く婆沙丸。
「外術……幻術の類とはそうしたものさ!」
橋下の陰陽師は大いに満足してまた庭へ目をやった。
一陣の風が舞って菖蒲の花が闇に戦いでいる。
「やはりアレだな、呪術より我ら陰陽師の卜占の方が遥かに真実……森羅万象に通じていると言うことさ! 卜占にマヤカシは通用せぬからな! アハハハハ」
高笑いする橋下の陰陽師。
だが、翌日、災禍は、得意満面のこの陰陽師に降りかかった――
「婆沙丸!」
東の市で名を呼ばれ婆沙丸は飛び上がった。
昼餉も早々にこっそり出て来たのだ。
「やっぱりな、おまえは今日も来ると思ったよ。またあの術を見に行くのだろう?」
行く手を塞いで立ったのは中原成澄。
今日は一目で検非遺使とわかる蛮絵の黒衣を纏っている。
「実は俺もさ。有雪に手の内を聞かされたが、ソレはソレで却って、もう1度見てみたくなった。尤も――」
検非遺使は悪戯っぽく眉を吊り上げてみせる。
「おまえは術ではなくあの可愛らしい赤毛の娘を見たいのだろうが?」
「か、からかうのはよせよ、成澄」
真っ赤になった田楽師から成澄は視線を動かした。
「おや? あいつもか?」
やや離れた処、平張の店が並ぶ往来の真ん中に橋下の陰陽師の姿が見える。
とはいえ、有雪は呪術を見物に来たのではなく己の商売をしに来たのだ。道行く人の袖を引いて卜占をしないかとシツコク誘っている。
と、次の瞬間、検非遺使の鋭い声が飛んだ。
「有雪! 後ろ――」
「?」
背後から覆面姿の一人が突進して来る。
手に光る鈍い煌めきは刃?――
「危ないっ!」
「え?」




