夏越しの祭り 9
「後悔するぞ! こんな真似して!」
「わかったから、とっとと行けよ」
あの後、祭りの代役――生贄役――を今度こそ完璧に務めるから、その代わりに友人は解き放つよう邑役たちに交渉した中原成澄だった。
この地で目にしたことの一切を口外しない、と証文を書いた上で、有雪は解放されることになった。
「京師へ帰ったら、婆沙丸や狂乱丸によろしくな。それから――」
有雪の所持品だと思われていたので、衛門太刀は無事返されて、今、陰陽師の背に括りつけられていた。
「それは形見だと言って狂乱丸にやっていいぞ。但し、俺の最期についてはおまえの弁舌でうまく取り繕ってくれよ?」
「フン。可愛い鄙の娘に篭絡されて、骨抜きになった挙句、無様な死に方をしたとはっきり言ってやるわ!」
吐き捨てて、橋下の陰陽師は去って行った。
月下、水田の広がる長閑な風景の中を足早に歩みながら有雪は毒づいた。
「クソッ!」
脳裏に蘇る検非遺使の声。
―― おまえの尽力はありがたかったがよ、有雪?
こうなっては、最早、俺一人が助かるだけではダメなのだ。
郷の人間、皆が救済されないことには……
だから? 自分の命を投げ出すだと?
バカもいいところだ!
俺はおまえとは違う。他人のために犠牲になるなんて真っ平だ!
そんな甘っちょろい考えは烏にでも喰わせてやる!
その言葉を聞いたかのように、いつの間にか肩に白い烏が舞い戻って来た。
「おまえか? 何処で遊んで来た?」
記述するまでもないが、この賢い鳥はいつも自在に飛んで災難に巻き込まれたためしがない。今回も牢に放り込まれたのは主人の陰陽師だけである。
「ったく、夜飛ぶ鳥など聞いたことがないぞ!」
それもこれもあまりにも明るい月夜のせいだろう。
「おや、何だこれは? おまえ、闇を絡め盗って来たのかよ?」
烏が足に絡めているものに目を止めて苦笑する有雪。
だが、この後、月の下で陰陽師は暫く動かなかった。
「……」
その陰陽師が去って、
朝が来て、昼になり、陽が沈み……
邪神を祀る郷にまた夜がやって来た。
満月より数えて一日目。
妙に明るい月の下で、呪われた夏越しの祭りが再開されようとしている。
昨夜、有雪を見送って後、成澄は酒――体や神経を麻痺させる薬酒の類――の一切を拒否した。
女体はもちろんのことである。
最早二度と、成澄はカサネを近づけようとはしなかった。
騙されていた前回とは違う。
今夜の祭祀は自分自身が納得して、自分の意志で受け入れたことなのだ。
心身とも潔斎して、落ち着いて、その時を待った。
そして、その時が来た。
白装束も自分で身に纏った。
介添えも断り、直立して幣の祓いをを受け、巫覡に続いて、しっかりした歩調で井戸へと進む。
これは、前夜は、成澄は知らなかったことだが。
この祭祀の一部始終は、闇の中、びっしりと丘を埋めた郷の者たちが息を殺して見守っているのだった。
この地の住民は、皆、自分たちの災厄を祓うために身を捧げる、その年選ばれた美しい男に手を合わせ続けて来たのだ。
立錐の余地もなく立ち並ぶ群衆を集めながら、なんと静謐な、無音の祭りであろう……!
と――
今宵、その何百年と続いて来た静寂が突如、破られた。
「待て――っ!」




