夏越しの祭り 8
牢の中で二つの頭が揺れた。
成澄と有雪が振り返って、真っすぐに娘の顔を見た。
「……父が、その年の〈神の従者〉に選ばれた時、私は乳飲み子、兄は三歳でした。
父も母もまだ若い盛り――深く、愛し合っていたんです。
母はどうしても父を殺したくなくて、それで、父を逃しました。
物心ついてから、私に母は明かしました。どうせ、ただの言い伝えに過ぎないと思ったと。
だから、そんな古い因習に大切な人の命を差し出す謂れはないと。
でも、それは大きな間違いでした」
鄙の娘は細い体をぶるっと震わせた。
「恐ろしい災厄が郷を襲って……
三年前、息を引き取るまで、母はずっと郷内の人々に迫害され続けました……」
「――」
「その母の苦悩を目の当たりに見続けたからこそ、私……」
カサネの声の調子が変わった。
「正直言って、私……今年、兄が選ばれた時、ホッとしたんです」
―― これで解放される……!
「逃げた父と逃がした母の罪を、兄を差し出すことで消し去ることができるって。
何故、兄は黙って逃げたか、妹も一緒に連れて逃げるべきだと、成澄様、貴方様はおっしゃいました。
あの時、それを聞いて、私ゾッとしました。
兄さんが何故、そうしなかったのか、思い当たったんです」
息も継がずにカサネは一気に言った。
「兄は気づいていたんです。兄を犠牲にして、漸く肩の荷が降りた、自由になる、と喜んでいる妹の思いが。
だから、兄は黙ってさっさと逃げてしまった。私に知られたら、密告されるとわかっていたから」
唇を噛んで言葉を止めた。
「兄にとって私は蛇神様と同じに見えたかも知れません。
だって、命を取ろうと目を光らせて狙っているんですもの。
恐ろしかったでしょうね? もはや、一日足りとも一緒に暮らすことができないくらい……」
暫く黙った後で、視線を成澄に向けるとカサネはきっぱりと言った。
「血を分けた兄さえ差し出した、そんな私が、どんなに愛しいと思ったところで、旅人である貴方様を差し出さないわけには行きません」
身を揉むようにして、更に続けた。
「貴方様を深く愛してしまって……この体が引き裂かれるようだったけれど……
その痛みこそ、私に与えられた罰なのだと、私は思いました。
蛇神様に試されているのだ、とも。
今夜、貴方様が差し出した手を取って逃げていたら、どんな禍々しい災厄がこの郷を襲うことになるか、それこそ、予想もつきません。
だから、やっぱり、ダメ! 私一人が幸せになんてなれないんです!」
「おいで、カサネ」
牢の格子の間から手を出して成澄は娘を呼んだ。
「辛い思いをしたんだなあ、おまえ、カサネ?」
優しく頭を撫でて成澄は言うのだ。
「だが、安心しろ。今年も災厄は来ない。
何故なら、今年も、無事、祭りは決行されるから」
「成澄?」
「成澄様?」
「それからな、これだけは言っておくぞ、カサネ?
これはおまえの役目ではなくて、俺の役目なんだよ。
だから、おまえが苦しむ類のことではない。おまえが負い目に思う必要はないんだ」
もう一度、娘の髪を撫で上げて成澄は言った。
「これからも、おまえは堂々生きていけばいい。わかったな?」
「なんてこった! おまえ、では、この悪習を受け入れると言うんだな? 邪神の祭りに身を捧げると?」
有雪が両腕を振り回して喚いた。
「成澄! やはりおまえは強い男じゃ! それは認めてやる! だが、それ以上に、おまえは馬鹿じゃ!」
「何とでも言え! 俺はもう決めたんだ!」
成澄は有雪の肩に手を置いた。
「それによ、こうなってはもはや、俺一人が助かったところでどうしようもないのだ。そんなこと、おまえだってわかっているだろう?」
成澄は言い直した。
「いや、賢いおまえこそ、一番わかっているはずだ。
おまえは骨を折って俺を助けてくれたが、俺だけではダメなのだ。
皆が助からなければ何にもならない。
だとすれば、後は簡単な勘定ではないか?
俺一人助けても幸せにならないが、逆に、俺一人の命で、カサネ始め、この郷一帯の人々の安泰が得られるのなら――それでいい」
悪習であろうと、邪神であろうと……
橋下の陰陽師から手を放すと検非遺使はクルリと身を翻した。
太い格子を掴んで大声で叫ぶ。
「おーい、祭りの責任者! 邑役殿よ! 来てくれ、話がある!」




