夏越しの祭り 7
有雪が予想していたよりも早く、成澄は戻って来た。
「どうした? 装束は見つからなかったのか?」
成澄は濡れた祭祀用の白装束のままだった。
「ああ」
「まあいい。歩いているうちに乾くさ。では、行こう」
「……ああ」
だが。
邑境には何十人もの邑人が待ち構えていたのである。
「あ! これは――」
有雪は歯噛みして、傍らの検非遺使を睨みつけた。
「おまえ? あれほど俺が注意したのに……見つかったな?」
「違う、見つかってはおらぬ」
成澄は首を振った。
「明かしただけだ」
「何?」
「一緒に来ないかと……一緒に逃げようと……誘ったのだ、カサネを」
「馬鹿が!」
流石に有雪は激怒して成澄の胸ぐらを掴んだ。
「それで? 拒否されたのだな? 挙句に? 見ろ、通報までされたんだぞ!」
激しく揺さぶりながら陰陽師は罵った。
「人の好意――奮闘をむざむざ台無しにしおって!
今日という今日は……俺は……おまえのその〝優しさ〟を呪ってやる!」
「違う」
「何が違う? この虚け検非遺使!」
「優しいんじゃあない。弱いんだ……」
「!」
邑人の一群がドッと駆け寄る前に検非遺使はその場に膝を折った。
「弱い人間なのだ、俺はよ……」
今度押し込められたのは崖を削って作った岩牢だった。
郷内で罪を犯した人間を閉じ込める場所だという。
太い樺の木で組んだ格子の扉が取り付けられている。
今度こそ、容易には逃げられそうになかった。
「我々、郷の者はこの習わしを連綿と続けて来た。たった一度を除いてはな。
だから、今年も完遂する。逃げ得は許さない。
おまえが、トウヤでないことなど、もはや問題ではないわ。
おまえが、一旦身代わりを引き受けた以上、最後までやり遂げてもらうまでじゃ!」
牢の中の成澄に向かって邑長は蹶然と言い切った。
「明日の夜、もう一度、祭りを執り行う」
「待て!」
一緒に放り込まれた有雪が格子に飛びついて呼びかけた。
その背に衛門太刀はもうなかった。取り押さえられた際、流石に没収されてしまった。
尤も、この状況下では、剣などあったところでどうしようもなかったが。
「邑長とやら! 今、『たった一度を除いては』と言ったな?
その、祭りを執り行わなかった年はどうなったのだ?」
暗く笑う邑長。
「知れたこと。蛇神様の怒りに触れて、郷内一帯、凄まじい災厄に見舞われた。
何万という蝗が襲来して……空を黒く塞ぎ……稲を食い尽くした……」
邑長はカッと双眸を瞠って道破した。
「我々は二度とあのような恐ろしい目に合いたくはない……!」
「くそっ! それは運の悪い偶然じゃ!」
格子に取り付いて、なおも叫ぶ有雪。
「聞けよ、邑長! そんなのは偶々〝生贄を捧げなかった年〟と〝虫害〟が重なったに過ぎぬ!
そんなこともわからぬのかよ? これだから鄙人はモノがわからないと言われるのだぞ? おい!」
都の陰陽師の言葉が虚しく響く中、振り返ることなく邑長と郷内の邑役たちは去って行った。
「成澄様! 成澄様!」
邑長たちが消えて行った闇の中から時を置かず声がした。
カサネだった。
美しい邑の娘は駆け寄ると格子に縋って泣き崩れた。
「お許し下さい、成澄様! 私にはああするしか術がなかった――」
成澄は、背を向けたまま。牢の奥、岩壁を凝視して動かない。
「帰ったほうがいいぞ、娘さんよ?」
薄く笑って有雪は警告した。
「この男が、どんなに人が良いとはいえ、流石に今度ばかりは許す気にはならぬだろうからな」
肩を竦める陰陽師。
「だいたいよ、今更、謝ったところで何になる?
こいつは、真心から、おまえを助けたいと思って呼びに戻ったのに。
拒絶するのはともかく、せめて、何故、黙って邑から逃すことができなかった?」
「それは……同じ過ちを繰り返すことはできなかったからです」
震える声が返って来た。
「さっき、お聞きになったでしょう?」
「何のことだ?」
「一度だけ、祭りをしなかった年のこと。
あれは、私の母のせいです。母が、父を逃がしたから……!」




