夏越しの祭り 4
カサネは成澄の体に身を摺り寄せた。
薄い小袖の下で若い熱と形がくっきりと伝わって来る。
抱きついたまま、囁いた。
「何かお礼がしたくて。私にできるのはこんなことぐらい……」
「よせ」
身を引いたのは成澄だった。
「こういうやり方は俺は好まぬ。そんな男と思われているなら、すぐ出て行くぞ!」
「でも」
「妙な気は使わぬことだ。俺は純粋に、困っているおまえさんを助けたいと思っただけだ」
娘は悲しそうに俯いた。
「……都に待っておられる方がいらっしゃるのですね?」
「あ、いや、そういうことではなく」
「都の女の方々はさぞ、皆様、お綺麗で、洗練されていらっしゃるのでしょうね?
私など比べ物にならないくらい……」
「比べるも比べないも――なんか、根本的に違うような……」
一瞬脳裏を過ぎったのが美しい田楽師だったので、慌てて首を振って、
「いや! だから! そういうことではなくてだな、俺が言いたいのは、もっと自分を大切にしろ、ってことだ」
腕を組みながら成澄は言った。
「だいたい、こう言っては何だが、おまえの兄も兄だ。逃げるなら、おまえも連れて行くべきだぞ。
残されたおまえがどんな辛い目に合うか考えなかったのだろうか?」
「私は残っても、生きていけるから……」
不思議な笑い方を鄙の娘はした。
「私なら生き延びられるから。でも、兄さんはそうはいかない――」
「ほう? 強いんだな、おまえは? 見た目とは大違いじゃ」
「私はどういう風に見えます?」
「え? どうって……それは……」
「田舎育ちの――鄙が似合いの猿?」
「馬鹿な!」
今度は成澄が笑った。
「野の白百合のようさ」
「!」
カサネはしがみついた。検非遺使のたくましい胸に顔を埋めて、くぐもった声で言うのだ。
「やっぱり、抱いてください! 今生の……思い出に……
でないと、私……一生後悔する……」
「こ、今生? いや、そうまで言われると……」
先刻の威勢はどうした、中原成澄?
しっかりしろ!
おい、成澄!
「うわっ、たっ?」
夜具を掴んで跳ね起きる成澄。
「ゆ、夢かよ?」
だが、乱れた床を見て、改めて首を捻った。
「あれ? どっちが夢だったのだろう?」
勿論、夜具の中に既に娘の姿はなかったが。
カサネはとうに起きて、水を汲み、菜を摘み、汁を煮、飯を炊いて……
甲斐甲斐しく立ち働いていた。
「――……」
改めて横になって、夜具を被って、それらの音を聞いている時、成澄はとある思いに囚われた。
―― 悪くないものだな、この感じ?
今生の思い出に、とあの娘は言ったが。
いなくなった兄の代わりに、一生涯、ここにいても、それはそれで、俺は幸せかも知れぬ。
―― そう、もし、あの娘がそれを望むなら……
代役を請け負った祭りを明日に控えて、その日一日、成澄は娘とのんびりと過ごした。
朝餉の後で、洗濯に行くという娘。
見れば、籠に抱えているのは自分の装束である。
代わりに持ってやって、一緒に川まで行く。
そこは大河ではないが美しいせせらぎだった。
「そう言えばここらは水の豊かな土地だなあ!」
この種の小川をいたるところで目にした。
「はい、それが自慢です。この郷の者は水に困ったことがない」
成澄の装束を濯ぎながらカサネは笑顔を零した。
「私たちの祀っている神様は水の神です」
「なるほど」
草の上に寝転がる。
「ああ、いい気持ちだ!」
ふと、思った。笛を持ってくれば良かったな?
流石に今度の旅では一条堀川の田楽屋敷に置いて来た。
無意識に懐を探って、そこが空であるのを知って、急に落ち着かない気分になった。
思えば、太刀同様、あの笛も常に自分を守ってくれた。
(〝護符〟のようなものだ……)
色々な騒動の中で、今日まで無事だったのは、あれのおかげのような気もしないではない。
まあ、そこまで大袈裟でなくとも、今ここに持っていたなら、娘に聞かせてやれたものを。
惜しいことをした。
と――
耳元で響く優しい音色。
娘が吹く草笛だった。
「ほう? 上手いものだな!」
鄙には鄙の笛があるのだ。鄙には鄙の暮らしがあるように――
「兄さんが教えてくれたのよ」
「どれ、俺にも、教えてくれ……」
「唇を……こう当てて……あ、ダメ、そんなに強く吹いては。草が破れてしまうわ。
もっと、優しく……」
「こうか?」
「こう」
草を吸う代わりに娘が触れたのは成澄の唇。
成澄も吸い返した。
「……」
草笛を鳴らしながら、二人は帰った。




