鄙の怪異 10
「おまえだな? 受領一家を殺したのは?」
暫く誰も動く者はいなかった。
川風が吹き過ぎて行くばかり。
「な、何を突然言い出す?」
我に返って声を上げる成澄。
有雪は犬飼の方を向くと訊いた。
「アヤツコ、この邑で最近続いた人死は三人ではないだろう?」
「え?」
吃驚する犬飼に、畳み掛けるように、
「受領一家の他に、もう一人、殺された者がいたはず」
目を細めて、有雪はその姿形をすらすらと再現した。
「……歳は十七、八くらいか。ほっそりして、優しげな顔立ち。左の目の下に黒子があるな?」
「さわか!」
思い当たって犬飼は叫んだ。
「それは、さわのことだな? 確かに、ひと月ほど前、その娘は死んだ。だが、あれは殺されたのではない、事故だった。さわは川に落ちて溺れ死んだのじゃ」
「いや、殺されたんだ。なあ、飛騨丸?」
呼びかけた有雪の目を真っ直ぐに見返して、飛騨丸。
「その通りです、陰陽師様。
さわは殺されたんだ、受領一家に」
そして、あっさりと認めた。
「だから、さわの無念を晴らすために――俺自身の無念を晴らすために、俺が殺しました」
両親が死んで身寄りのなかったさわは、今の受領が赴任してすぐ下働きとして雇われた。
その野の花のような可憐さに受領が手をつけた。
邸で働く者も、邑人たちも、そのことは知っていた。
だが、誰も、口を出す者はいなかった。
唯一、口を出せる者――奥方が最近になってそのことに気づき、悪いのは自分の夫なのに、誘惑したと詰って、折檻して、山へ捨てた。
そのままならさわはそこで果てたかも知れない。
助け出して介抱したのが飛騨丸だった。
しかも、それは、ある意味、さわと飛騨丸にとって天の恵みであった。
受領の邸に仕える二人はお互いを好きあっていたから。
とはいえ、受領が目をかけている限り、夫婦にはなれなかったのだ。
これで遠慮なく一緒に暮らすことができるようになった。
飛騨丸はさわを母の家に隠して養生させた。
だが、幸せな日々は長くは続かなかった。
その日、時間を見つけて、さわに会いに戻った飛騨丸は、受領の息子がさわを無理やり連れ出すのを目にした。
「すぐに私は後を追いかけました。山奥の川縁で資盛様はさわに言い寄った。『親父殿の女だったのだから、俺の相手もできるだろう?』と」
「なるほど。それで?」
成澄が沈痛な声で質す。
「おまえが止めに入ったのだな?」
「いえ、違います。俺は引き返そうとしました。さわの居所が見つかって、所望された以上、もう仕方ありません。所詮、私たちは舎人の身ですから……」
そう思って、諦めてその場を離れた時、飛騨丸はさわの声を聞いたのだ。
きっぱりと拒絶するさわの声を。
―― お言葉でございますが、お相手できかねます。私は、今は飛騨丸の妻なれば。
―― 私は受領の嫡男だぞ? それでも嫌と言うか?
「資盛様は怒り狂いました。でも、さわはその手を掻い潜り逃げ出しました」
―― 受領の息子より牛飼いが良いとは、馬鹿な女じゃ!
―― お許し下さい! 私の腹にはややが……
―― こいつ……
―― いやっ! 触らないで! あっ?
「俺は、資盛様がさわを川へ突き落とすのをはっきりと見ました。
すぐに、俺も飛び込んだのですが、上流の流れは早く、さわは見る見る流されて――」
「翌朝、下流で上がったさわの亡骸を俺も見たよ」
静かな声でアヤツコが言った。
「集まった邑人たちが身寄りのない娘だと言っていたが……
では、あの後、遺骸を引き取ったのはおまえだったのか、飛騨丸?
俺はてっきり、雇い主の受領かと思っていた」
「俺以外の誰が、あいつを弔ってやれましょう?」
牛飼いは微笑んだように見えた。
「俺が埋めてやりました。山のもっと奥……
今度こそ、俺しか知らない場所に……
俺しか会いに行けない場所に……」
風がまた吹き過ぎた。
「そ、それにしても――」
検非遺使が烏帽子に手をやりながら呻いた。
「どうやって殺したのだ? 受領の殺し方はわかるが。
先の二人、息子と奥方はまるで死に方が違っていたじゃないか?」
「いや、一緒さ」
有雪が答える。
「実は、受領も含めて、三人とも同じもので殺されたんだ」
有雪は川縁りに続く夾竹桃の並木を指差した。
「あれだ」
「!?」
驚愕する検非遺使と犬飼。
有雪は淡々とした声で説明した。
「夾竹桃は毒の木じゃ。
河原で一人で飲み食いしていた息子に近づき、おまえは魚を焼くのを手伝った。
その際、魚を突き刺したのが、夾竹桃の枝を削った〝串〟だった。
串から染み出した毒の魚を食べ、息子は悶絶した」
「だっ、だが、奥方は?」
「奥方は魚など食べた気配はなかったぞ?」
口々に問う二人に、
「毒の使い方は色々ある。おまえたちも憶えているだろう? ほら、奥方の室にあった〝伏せ籠〟を」
「あ!」
「あれか?」
尤も、伏せ籠は貴人宅なら何処にでもある生活必需品である。
伏せておいて上に衣類を掛ける。籠の中には香炉や火鉢を置いて、香を焚き染めたり、暖めたりするのだ。
「おまえは人目を盗んで奥方の室へ忍び込み、伏せ籠の火鉢に夾竹桃の串を入れておいた。
香と一緒に燃えた串は毒の煙を燻り出した。閉め切った室でそれを吸って、奥方は絶命したのだ」
有雪は続けた。
「そして、最後に、受領の番が来た。あの仏間にも香炉があった……」
頷く牛飼い童。
「その通りです。俺は最初、受領様も奥方同様、香炉に串を仕込もうと思っていたのです。でも」
「でも?」
「実際、邸に侵入して、その姿を目の当たりに見たら……激しい怒りが湧いて来て……
気づいたら、喉に直接串を突き立てていました……」
「知らなかった。日頃、目にするこの木がそんな猛毒を持つ恐ろしい木だったとは……!」
風に揺れる雪洞のような可愛らしい花を隻眼で眺めやって、成澄は言うのだ。
「それにしても――おまえは、どうしてこの木が毒の木だと知っていたのだ?」
「それは」
飛騨丸は薄く笑って答えた。
「牛飼いなら誰でも知っております。牛がこの木を食って狂死する話が伝わっているんです。
ですから、俺たち牛飼いは注意して、この木には牛を近づけないようにしています」
飛騨丸は両手を差し出した。
「どうぞ、絡め取ってください。俺はもうこの世で思い残すことはない」
「おまえが、心優しい男だということは知っているよ」
有雪は誰に言うともなく呟いた。
「あの子に、絵を描くための筆を、わざわざ枝を削って作ってやったのもおまえだろう?」
熱心に絵を描いている少女を振り返って見つめる。
「おまえはそれには夾竹桃は使わなかった。ちゃんと別の木でこさえてやった」
「――」
「もしおまえが、復讐に目が眩んだだけの殺人鬼なら、迷わず検非違使に突き出せたものを。
俺を、悩ませるなよ、飛騨丸」
つくづくと息を吐いて橋下の陰陽師は頭を振った。
「そうだな、取り敢えず、さわを埋めた場所に、別れの言葉を言いに行って来いよ。
おまえを絡め取るのはその後にしよう」
「え?」
「どうせ、これから行くつもりだったのだろう?」
流石に飛騨丸はひどく驚いた。
「陰陽師というものは凄い! 何もかもお見通しなのですね!」
それから、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。それでは、すぐ行って、戻ってまいります!」
駆け出して行く牛飼い。その後ろ姿を見ながら成澄が堪えきれずに訊いた。
「何故だ? 何故、あの男が、大切な娘を埋めた場所へ行く途中だとわかったのだ?」
「知れたこと。魚を下げていたからな」
「だったら、余計、そんな場所へ行くとは思わないだろう?」
目を剥く成澄。
「埋葬地に生臭物を供えるなど、聞いたことがない」
「それはおまえが都人だからさ」
「え?」
「鄙ではなあ、亡くなった者を埋めた場所に、敢えて魚――生臭物を供える習慣がある。
成仏させないためにさ。特に、赤ん坊が死んだ時、それをやるな。
この世で充分に生きられなかった命が、またすぐ帰って来ることを望んで」
有雪はポツンと言い添えた。
「……悲しい習俗じゃ」
思い出したように犬飼も頷いた。
「さわの腹にはややがいたのだったなあ……」
「これで、おまえの犬の死んだ理由もわかったろう?」
やや明るい声で有雪は指摘した。
「おまえの犬は山に分け入って、飛騨丸がさわに捧げた魚を食ったのだろうよ」
「あ!」
犬に生魚は禁物である。
「さあて、全ての謎が明らかになったから、俺はここを去るとしよう。
達者でな、アヤツコ! また会おう!」
すたすたと歩き出す有雪だった。
「って、飛騨丸を待たないのか? 戻ってから絡め取ると言ってたじゃないか?」
「それは検非遺使の役目じゃ。俺ではなく、検非違使に問え」
「俺? 俺か?」
突然、名指しされて成澄は大いに慌てた。
「え? ええと…… そう! 俺も今回は検非遺使ではなく、ナリユキであった!
し、師匠に遅れるわけにはいかない。では、さらばだ、アヤツコ!」
一目散に駆け出す成澄。
「おう! 二人とも、道中、気をつけて帰れよ!」
気を取り直して犬飼はちぎれるように手を振る。
有雪は一度だけ振り返った。
川縁りに佇んで、いつまでも見送っている幼馴染と、その傍へやって来て、同じように手を振っている少女が見えた。
だが、村に入って以来、あれほどつきまとって離れなかった娘の姿はもはや何処にも見えなかった。
―― この決着のつけ方で満足か、さわさん?
「……本当に呪い殺されてはたまらんからな」
「どうした、何を見ている? 何か変わったものでも見えるのか?」
「おまえは黙っていろ、ナリユキ」
いつの間にか、白い烏が肩に戻って来ていた。
―――― 了 ――――
☆続けて旅編、行きます!
都への帰路で成澄が大変な目に合います。情緒・情愛系です。




