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鄙の怪異 3

 



 緑濃い山があり、蕩蕩と川が流れ、早苗は風に靡き……

 広がる青田を縁取るように今盛りの菖蒲、躑躅、夾竹桃の花々が咲き競っている……


 犬飼の住む(ひな)は絵に描いたごとく長閑(のどか)で美しい土地であった。


 ところで、有雪は、見え隠れしてついて来る娘の姿が気になって仕方なかった。

 (むら)に入ってから、ずっとまとわりついて、傍を離れない。

 だが、そのことは敢えて口にしなかった。


「ここじゃ、ここじゃ」

「ほう? こりゃまた物凄い邸だな!」

 成澄が感嘆の声を上げるのも無理はない。

 受領(ずりょう)の住まいは鄙の邑とは思えない堂々たる四つ足門の豪邸だった。

 門を潜ると舎人と思しき一人が飛んで来た。装束から見て牛飼い童だ。

 この時代、牛飼いは〝童〟と呼ばれるが、成人である。

 この職種もまた烏帽子を許されず、禿(かむろ)頭の童形と定められていた。 ※禿=おかっぱ

 《御堂関白記》や《左経記》、《中右記》等、当時の貴族の日記には、群衆の喧嘩の場面に必ず登場する牛飼い童。荒々しく血気盛んな性格の者が多かったようだが、眼前の青年は優しげな風貌だった。

 年の頃は二十二、三か。

「あ、これは、犬飼殿!」

「おう、飛騨(ひだ)丸! 今戻ったぞ! 

 資遠(すけとお)様に頼まれた、都で名高い陰陽師、無事お連れした。

 すぐにでも会わせたい。取り次いでくれないか?」

 飛騨丸と呼ばれた牛飼いは顔を曇らせた。

「ご主人様はお留守でございます」

「え? 〈呪詛〉が恐ろしいとあんなに怯えて引き篭っていたのにかよ?」

「はい、急な客人を迎えに安芸(あき)丸を連れて牛車で出て行かれました。

 私は留守を仰せつかっております」

「どうする? 出直すか?」

 問う有雪にアヤツコは首を振った。

「せっかくだ。出直すのも何なので──おまえには先に、奥方が亡くなった(へや)を見てもらおう。上がらせてもらうぞ、飛騨丸!」

「あ、はい」



「おお、これは凄まじい……」

 犬飼が導いたそこは邸の西の対屋(たいのや)

「奥方の亡骸を運び出した後、悪霊が潜んでいるのではないかと恐ろしがって、誰も入ろうとしないのじゃ。だから、何も手をつけていない」

 錦を散らしたごとく床に散乱した(うちぎ)の波。

 豪壮な邸も然ることながら、これら装束を見ても、いかに受領が裕福かわかるというものだ。

 これでは妬まれて、呪われても不思議ではないかも。

「この衣装の数! どこぞのお姫様だな!」

 成澄が隻眼の目を瞠った。

「まさか、装束の重みで息ができなくなったわけでもあるまい?」

 有雪らしい、これは皮肉である。そう言いながら室内をザッと一瞥した。

 床に重なる装束は既に見た。それ以外の諸々(もろもろ)──

 几帳、二階棚、屏風等、家具調度の類から、貝桶、唐櫃、伏せ籠、漆塗りの角盥(つのだらい)

 都の貴人宅にある物は遜色なく揃っている。

 琵琶から(そう)の琴の楽器に至るまで……!

 改めて、鄙に住むとはいえ、受領の雅びな暮らしぶりに思いを馳せる陰陽師と検非遺使だった。

「で、奥方はどんな様子で息絶えていたのだ?」

「飛騨丸に聞こう。最初に死骸を見つけたのは下仕えの女だが、俺が受領に呼ばれた時には既に実家へ逃げ帰った後だった。呪詛の巻き添えを食ってはと、他の舎人たちも同様に暇を取ってしまって──

 だから、詳細を知るのは残っている牛飼いたちだけじゃ」

「牛飼いたちは豪気だからなあ!」

 妙に納得する成澄。

 犬飼は縁に出て飛騨丸を呼んだ。

「奥方様が亡くなっていた時の様子をできるだけ詳しく、この陰陽師殿に話してやってくれ」

「はい。下仕えの浅茅(あさぢ)様の叫び声を聞いてすぐ、私と安芸丸は駆けつけました。

 そして、袿に埋まるようにして倒れている奥方様のお姿を見ました」

「それで、どうした?」

「ご主人様がいらっしゃるまで、ここに控えておりました」

 ここ(・・)とは、今、牛飼いが膝を突いている場所、縁のすぐ下の庭のことだ。

「上には──邸には上がらなかったのか?」

「はい、もちろんです。私どもは許されておりませんから」

「それでは、この者に話を聞いても何もわからぬなあ」

「そんなことは俺が判断する。弟子のおまえはいらぬことを言わなくても良い。おとなしく控えていろ、ナリユキ(・・・・)

「グッ」

 歯噛みする検非遺使を笑いを殺して眺めつつ、有雪は腕を組んだ。

「ふうむ、飛騨丸とやら。おまえたち牛飼いが駆けつけた時、奥方の室の襖は開いていたのか?」

「はい。浅茅様が開けられて、それで、惨状を発見されたようです」

「では、その召使が開けるまで室は塞がれていたのだな?」

「多分、そうだと思います」

「そりゃそうだろ! 犬飼も最初に言っていたじゃないか。『奥方は物忌の最中なのに新しい袿の試し着をされていた』と。そんなのこっそりやるに決まっているから、見られないように室の襖は閉じてて当然だ!」

「おまえは黙ってろ、ナリユキ」

「これは何事じゃ? おまえたち、人の邸で何をやっておる?」

 ここで足音荒く入って来た人物があった。

「あ、これは資遠様? ご要望の都の陰陽師です。連れてまいりました!」

 破顔して告げる犬飼だったが──

「おまえか? アヤツコとかいう奴は? 犬飼風情がでしゃばった真似をしたものじゃ!」

「?」

 (あるじ)の資遠を押しのけて前に出たのは狩衣姿の青年だった。



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