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眠り姫 9


「?」

 布留佳樹は目を開けた。見慣れぬ天井──

 

 (しまった? 油断している間にいつのまにか、また姫の夢に取り込まれた?)


「すわっ!」

 跳ね起きた純白の袖を、こちらは同じ色とは思えぬ薄汚れた袖が押さえる。

「落ち着けよ」

「こ、ここは?」

「田楽屋敷じゃ。よほど疲れていたと見えるな?  おまえさん、酔いつぶれて寝ていたのさ」

 周囲を見廻すと、床に盃が転がっている。その向こう、座敷の中央に置かれた酒桶は、布留自らが持ち込んだ極上のそれである。

「……そうだった。私たちはここで、明日の〈追儺の祭祀)の成功を寿いで酒盛りをしていたのだったな」

 改めて、座り直すと、訊いた。

「他の者はどうした?」

「川へ行った」

「子供らと遊びにか?」

「いや、それは婆沙丸だけ。

 川は川でも、狂乱丸と成澄はもっと山の方。鞍馬の辺りへ夏の夜の風情を味わいに行ったわ」

 言葉を切って、有雪は薄く笑った。

「まあ、どんな風情かは知らぬがな」

「おまえは行かなかったのか?」

「俺? 俺はこっち(・・・)の風情の方が良い」

 盃を揺らしてみせる橋下の陰陽師。

「こんな美味い酒、滅多に飲めるわけではないからな! 流石に帝の陰陽師は違う!

 いつも、こんな極上の酒を味わっているのか?」

「羨ましいか?」

「当たり前だ。大いに羨ましいよ!」

「……変わってやっても良いぞ」

「え?」

 次の瞬間、帝の陰陽師は立ち上がると純白の水干を脱ぎだした。

「おわっ! なっ? ま、待て! さっきのは冗談じゃ、俺は──」

 たじろぐ有雪に構わず、アッという間にカザミまで脱いで上半身を曝す布留佳樹。

「見ろ」

「酔っているな? だが、これはやり過ぎ──」

「いいから、見ろ! 何が見える?」

「え?」

「鱗が……あるだろう?」

「!」

 確かに。背中の中央にびっしりと鱗が広がっている。

 (かさ)の一種なのかも知れないが、見れば見るほど、〈鱗〉としか言い様がない。

「これが、全ての元凶よ」

 帝の陰陽師は哂った。

「俺は布留家の正当な血ではないわ。

 その俺が、嫡男の義兄(あに)を差し置いて今の地位にあるのも、この呪われた鱗のせいじゃ。

 見たろう? 先刻の必要以上に恭しい布留一族の態度を。

 俺は年がら年中、あんな冷血な連中と過ごしているのだぞ。布留の邸は宛ら氷の邸じゃ」

 布留家は代々陰陽師を生業にしているが、最高位・帝の陰陽師=蔵人所陰陽師の座にあるのはこの佳樹だけである。

 それ故、日々、下にも置かれぬ丁重な扱いを受けているものの、そこには微塵の情愛もなかった。

 むしろ、憎悪と嫉妬が蜷局(とぐろ)を巻いている……

 なまじ人の心が見える分、佳樹には辛かった。

「こんなもの──」

 背の鱗に爪を立てて布留は言う。

「授からずに生まれていたなら、俺はいつまでもノンキに母者の元におられたものを。

 そうだな、そうしたら今頃は俺も、おまえと同業の〈巷の陰陽師〉になっていたかも」

 自分は何もいらなかったのに。位階も、名も、家も、力も。

 布留佳樹は吐き捨てた。

「布留の家にはな、遠く神代の頃から、この鱗を持った人間が生まれつくのだそうだ。

 必ずしも嫡流に生まれるとは限らない。だが、一世代に必ず一人、現れる。

 布留家では、その〈鱗持ち〉をその代の長とするのが習わしじゃ。

 しかも、始末の悪いことに、見た目だけじゃない。〈鱗持ち〉には必ず強い霊力が備わっている」

 布留は嘆息した。

「俺の母者は白拍子だった。だから、父など何処の誰かわからないものを……」

 この鱗を持っていたばかりに、それを聞きつけた布留家の家司がある日やって来て、有無を言わさずに本家の邸へと連れて行かれたのだ。

「5歳だった。あの日以来、母には会っていない。まあ、いいこともあるか?」

 自嘲気味に喉を鳴らした。

「俺の中で、母者はいつまでも、別れた5歳の日に見た、若い姿じゃ」

 盃に新しい酒を満たしてやりながら、有雪が言う。

「おまえさん、他人の夢にはズケズケと押し入るのによ? ほら、成澄の時のようにさ。

 そんなに会いたいのなら、何故、母の元へ行かぬ? 母の夢に入ればよかろう?」

 言った後で、笑った。

「おっと、こりゃ、愚問か。現実は知りたくない。悪夢以上に恐ろしいものな?」

 帝の陰陽師は意外にも、素直に頷いた。

「母が死んでしまっていたら? もうこの世の人でなかったら? 夢を探って、それを知るのが辛いのだ」

「……死んだばかりの人の夢なら入れるぞ」

 唐突に言う有雪だった。

「まだ、その思いの残滓が残っている間は、な。だが、死んで、長く時が経った者では無理だ。

 死んで久しい者は、もう夢も見ないから、夢には入れぬ道理じゃ」

 今度、相手の盃に酒を注ぐのは布留佳樹だ。

「ほう? 何故わかる?」

「何度も試みたから。無理だった」

 満たされた盃を一気に飲み干して、橋下の陰陽師は口を拭った。

「俺の母は河原で俺を産み落とすとすぐ果てた。

 それで、物心つくと母に会いたくて、夜毎探ったが──静かな無に行き当るばかりじゃ」

「そうか。だが、霊たちは見えるだろ? あいつらだって死んでいるのによ?」

「見えるな。煩くやって来る霊たちは、あれさ、恨みつらみを有している者なのさ」

「ああ、やっぱりな。おまえもそう思うか?」

 また継ぎ足して、蔵人所陰陽師は首を振った。

「見たいものは見ることができず、見たくないものは見える……こんな力いらなかったなあ」

「同感」

 掲げ合った盃に何かがツイッと煌めいた。

 顔を上げると、座敷の天井近く、明滅する小さな光。

 二人の陰陽師はくぐもった声で笑い合った。

「なんだ? 誰かの魂かと思ったら……」

「迷い蛍かよ……」



「流石に日も暮れたな! 今日はこれまでじゃ!」

 ここ、一条橋の河原でも闇が流れ出した。

 婆沙丸が声をかけると、遊び尽くしたのか、子供たちも素直に頷いた。

「またねー、婆沙丸!」

「明日も遊ぼう!」

 三三五五、連れ立って帰って行く。

「おう! 気をつけて帰れよ!」

 自分も帰るべく踵を返そうとして、そっと袖を引かれた。

「あれ? おまえは──」

 この間、目隠し鬼をして遊んでいた時、間違って婆沙丸が捕まえた少女だった。

「あの、あの……」

 頬を染めて、懸命に少女は何か言おうとしている。

「こ、この間は……私を……仲間に入れてくれて……ありがとう」

「なんだ、そんなことか! 礼を言うほどのことでもない。それより」

 見ると、帰りかけた他の少女たちが足を止めて手招きしている。

「すずー! おいでよー!」

「早く、早くー!」

「一緒に帰ろー、すず!」

「すず、と言うのか、おまえ?」

 婆沙丸は可笑しかった。

 今、こうして声をかけられるまで、少女が一緒に遊んでいるのに全然気がつかなかった。

 つまり、そのくらい打ち解けてすっかり馴染んでいたのだ。

「じゃ、また次も、一緒に遊ぼうな、すず?」

 指切りの小指を出す。

「うん!」

 すずも満面の笑顔で小指を絡めた。

 そうして仲間の待つ土手へと駆け出した。

「おや?」

 少女の薄紅の袂から何かが落ちた。

「あの日一人で遊んでいた、玩具じゃないか」

 婆沙丸が拾い上げた時、闇に吸い込まれて子供たちの姿はもう何処にも見えなかった。

「きっと、母者の手作りだな? 大切なものだろうに……」

 

 まあ、いいか。明日、返してやろう。





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