眠り姫 8
〈帝の陰陽師〉布留佳樹が姿を現したのは五日後のことだった。
「待ちかねたぞっ!」
成澄、有雪、両名が、宛ら旧友を迎えるごとく駆け寄ったのは言うまでもない。
無論、懐かしさからではなく、安堵の思いからである。
実際、この蔵人所陰陽師の帰還をどんなに心待ちにしていたことか。
幸い、姫が目醒めたのも、その夢に二人を引き込んだのも、あの日一度きりではあったが、御帳台の傍らに侍り続けた二人の精神状態が如何ようであったか──
想像するに難くない。
「で、玉は手に入ったのか?」
「勿論だ。だが──」
布留は、姫に聞かれたくないとでも言いたげにチラリと御帳台の方へ視線を奔らせた。
「ここでは何だ、これからのことについて少し込み入った話がしたい。場所を変えよう」
「それはいいが、姫の警護はどうする?」
訊いたのは成澄。
続けて、有雪、
「普通の人間では、とても務まらんぞ?」
二人の、本心からの言葉だった。
「貴殿らも、この五日間、大変だったな?」
気づいて、労うような口調で布留が言う。
「休息が必要であろう? 姫の警護については、交代の者を連れて来たから安心しろ」
見ると、背後に五、六人従えていた。
全員、純白の水干姿の若者だった。
「布留の一族である」
口早に布留芳樹は告げた。その後で、クルリと体を反転させ、一番前に立つ若者に言う。
「では、今日一日、よろしくお頼み申す」
「勿体無いお言葉。我らは貴方様あっての身。
貴方様に比べ、至らぬ力とはいえ、今宵一晩、命に代えても姫をお護りいたしましょう」
深々と頭を下げたその男は布留佳樹より年長に見えた。
「こちらこそよろしくお願いします、兄上」
同じくらい深々と頭を下げる帝の陰陽師だった。
こうして、三人は場を田楽屋敷へと変えた。
「狂乱丸、婆沙丸と言ったな? おまえたちにも同席してもらいたい」
座敷に入るなり、布留は田楽師に声をかけた。
「〈眠り姫〉覚醒のための、〈追儺の祭祀〉には、おまえたちの力も必要なのだ」
「喜んで!」
満面の笑みで狂乱丸は応じた。
「座長は兄者じゃ。俺は常に従うまでさ!」
婆沙丸も瓜二つの笑顔で頷いた。
「おお!」
布留が取り出した玉を見た一同の感嘆の声である。
五つの玉が、今、一条堀川の、通称〈田楽屋敷〉の座敷の床に並べられている。
翡翠と黒曜石。
「現在、我が国で手に入る最高の〈玉〉だ」
順に扇で指し示しながら布留は説明した。
「翡翠は、越の国。頸城郡沼川郷から。
黒曜石は、信州、坂東、そして、伊豆の神津島から。
いずれも帝の名によって、急遽取り寄せた最高の〈玉〉だ」
「だろうな」
思わず唾を飲む橋下の陰陽師。玲瓏な容貌に全く似合わぬ仕草である。
「ここまでの玉は見たことがない! そもそも〈玉〉と言えば、翡翠を指すようになって久しいが──」
一同も久々にこの男の薀蓄を聞いた気がするが。
「それも、何故、翡翠という名が付いたかといえば、その玉が翡翠の羽の色をしているからじゃ……!」
眼前の玉は、まさにそれだった。
緑の中に赤や茶色……微妙なグラデーションを含んでキラキラ輝いている。
まさしく川縁りに遊ぶ翡翠の翼の色……!
だが、黒曜石の方も素晴らしい。
そちらも息を呑む美しさだった。
一口に〈黒曜石〉と言っても、実は〝黒〟ではない。
漆黒の中に白い波紋を有すもの。
吹雪の夜の如き雫を点々と散らしたもの。
「こっちも? おい、こっちも黒曜石なのかよ?」
成澄が驚くのも無理はない。
赤一色のものと、薄い茶色の縞模様のものもあった。
「うむ。黒曜石の方は産出する地域ごとに色々と種類があるそうで──その中でも、各地で一番美しいものが届けられたのだ」
双子が声を揃えて讃美した。
「これだけ揃えば、〈眠り姫〉も満足なさるだろうな!」
「全くだ! 俺が姫なら、直ちに目を醒ますぞ──痛っ!」
ちゃっかり玉の方へ伸ばした橋下の陰陽師の手を、検非遺使が素早く叩いた。
「こら、有雪! 気安く触れてはならぬ。それにしても──」
改めて布留佳樹の方へ向き直って成澄は言う。
「姫の言った〝たま〟という言葉で、ここまで完璧に揃えるとは、流石、蔵人所の陰陽師は違うな!」
「……蔵人所も橋下も関係ないさ」
有雪の方へ目をやって布留は不思議な微笑を洩らした。
「?」
有雪はハッとした。何だ? あの笑い方?
挑発? 皮肉? それとも──
共感?
(いや、共感だけは有り得ぬな……)
「念には念を入れて、万事抜かりなきよう準備する。それこそが陰陽師の職と心得ている。
何故なら、我等が必要にされる時は、常に人の命がかかっているからな。
そうであろう、橋下の陰陽師よ?」
「!」
有雪が言葉を返す前に布留は語を継いだ。
「さて、私が用意したものはこれだけではない」
布留は一同の面前に別の物を置いた。
真っ先に反応したのは成澄だった。
「これは……矢?」
真っ白な矢羽根の二本の弓矢である。
「その通り。だが、ただの矢ではない。
桃の木を削って作らせた破邪の矢だ」
古くから桃は〈魔〉、〈悪鬼〉〈悪霊〉に効力があると言われている。
黄泉の国から逃げ出す際、追って来た伊佐那美に伊邪那岐が投げつかたのも、桃だ。
「これはおまえに渡す」
成澄の目を真っすぐに見て、布留は言った。
「おまえはこれを使って、姫を射て欲しい」
「げっ」
「安心しろ。鏃をよく見てみろ」
「む? これは……犬射蟇目の矢?」
射的とするものに傷をつけない、鏃を真綿で来るんだ仕様の矢をこう呼ぶ。
「その通り。だから、当たっても姫に害はない。
要は命中させることが肝心なのだ!」
蔵人所陰陽師の計画はこうである。
欲しがっていた玉で姫の注意を逸らし、その隙に霊験あらたかな桃の矢で姫を射る。
その瞬間、姫の身体に取り憑いている〈穢悪しき疫鬼〉は霧消霧散する──
「但し、一発で仕留めること」
矢を指差して布留は念を押した。
「万が一を想定して──さっき言ったろう? 念には念を入れるのが我等陰陽師と。
だから、矢はこうして二本用意した。だが、あくまでも、姫を射る機会は一回だ。
二回目はないと心得よ」
「諾!」
力強く頷く成澄。
傍らで、兄の田楽師が笑った。
「それなら大丈夫さ! 仕損じるものか! なんたって、我が検非遺使は弓の名手だもの!」
「ドサクサに紛れて、聞き捨てならぬな、兄者?」
弟も笑った。
「〝我が検非遺使〟だと? 〝我等〟ではなく? それ、一体、いつからだよ?」
「チッ、おまえは黙ってろ、婆沙丸。それより──」
弟を押しのけながら、兄は訊いた。
「我等は何をして協力すればいいのだ?」
「うむ。おまえたちには大いに舞い騒いで、姫の気を引いてもらいたい。
おまえたちはある意味、〈生きた玉〉だ。期待しているぞ?」
「諾!」
後は〈追儺の祭祀〉本番の明日を待つばかりである。




