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小蕾 4


 

 春の夕間暮れ。

 今は住む人もいない高雅な邸。

 その〈(ひさし)()〉に姫君が一人座っている。

 朧な月よりもさらに朧に烟る夢見るような眼差し。

 腰に流れる射千玉(ぬばたま)の髪、円らな瞳、紅い頬。

 莟紅梅(つぼみこうばい)(うちぎ)がなんとよく似合っていることか……!


 やがて、広い庭を突っ切って足を引き摺りながら現れたのは美しい田楽師(でんがくし)である。

 こちらは普段よりむしろ地味な色目の水干姿だった。

 嬉しさと恥ずかしさで、姫は掠れた声で言う。

「……御出でくださったのですね?」

「俺を待っていたのだろう?」

 ハナから噛み合わない会話。

(まあ、いいさ。)

 狂乱(きょうらん)丸は思った。諦めさせるために、姫の心を(くじ)くために俺は来たのだから。

 お姫様の未来の思い出話……将来の武勇伝……

 そんなのに〈異形の(うから)〉がそうそう付き合っていられるものかよ?

 田楽師には見える気がした。

 遠い未来、やはりこんな朧な月の夜に、廂に出て娘たちや女房等に得意げに昔語りをなさっている姫君の姿が。


 ── 若い春の日にな、田楽師と一夜、逢引したことがあるのじゃ……


「あの、お怪我は大丈夫なのですか?」

「河原での落馬の件か? 弟の芳心(ほうしん)丸から聞いたか。フン、無様だろう?」

「いえ、田楽舞いに支障が出ては大変だと心配しております。春のお祭りも近いですから。その日の貴方様のお姿を楽しみにしている者がこの都中、どんなにいることか……」

 燃え立つような紅い頬。

「私もその一人でございます」

「この程度の怪我、直ぐに治るさ」

 田楽師は周囲を見回して苦笑した。

「それにしても──勇気があるな、姫? まさか、本当にお一人か? それとも、お供の者たちは奥に隠れているのか?」

 乾いた声で、

「童形とはいえ、俺とても男だぞ? 姫を取って食うかも知れぬのに?」

「まあ!」

 姫はコロコロと笑った。

 鈴を鳴らすように? 玻璃の器を重ねるように?

 いずれにせよ、田楽師には天上の天女たちのさざめきに聞こえたが。

 天女が笑ったらこういう調べを響かせるのだろうよ。

「取って食われたらどんなに幸せか……」

「!」

 やれやれ。どこまで本気なものやら。

「しかし、こうして見ると、姫は弟に似ているな? ま、他人のことは言えぬが。俺も弟に似ているからな」

「……」

「姫の弟の名は芳心丸だったなあ?」

 刹那、冷たいものに触れでもしたかのようにヒヤリとした顔になった姫。

「その〝芳心丸〟という名は海棠(かいどう)の蕾から取ったに違いないと博覧強記のウチの|陰陽師(おんみょうじ)が言っておったわ。本当なのか?」

「そ、そのようですね?」


「  芳心を愛惜す

   (かろがろ)しく(ひら)くこと(なか)れ  」


「?」

「今宵、俺が言いたいのはそれだけじゃ。背伸びなんかするのはよせ。

 本当に──無理して咲くことはない。

 ゆっくり日々を楽しめよ、姫君? 

 そうしていれば、その内に、姫を幸せにする真実の愛物(こいびと)が現れるさ」

 姫は暫く黙っていた。むしろ、頬の方が紅いと感じる、白い唇を噛んで、

「……私の恋心を(たしな)めていらっしゃる?」

「さあなあ? 嗜める、と言うよりは──馬鹿だと(なじ)っているのさ!」


   小蕾(しょうらい) 深く蔵す数点の紅


「その美しさを……貴重さを自ら知らないとは、姫は大馬鹿だとな!」

 大切に育てられた深窓の姫君なら、このキツイ物言いに泣き出すだろうか?

 田楽師はチラと窺った。

 意外にも、姫の瞳に涙はなかった。

 唯、虚空を見つめて、言う。

「蕾のまま終わる花もありましょう? その蕾はきっと、せめて誰かにその色なり、形なりを見てもらいたいと願うはず。まして、その誰かが、初めて恋した御方ならどんなに幸せか……」

「姫?」

「私がその蕾であったなら、もっと言うことができる。蕾のままでも良い。どうぞ、その御手で摘んで欲しいと……」

「姫──」


 どちらが先だったろう?

 月さえも知らないこと。

 夜風にさえ言えないこと。

 

 二つの唇が重なった──


 だが、長くは続かなかった。

 姫の円らな瞳が一層大きく見開かれる。

 抱き寄せた肩に回された田楽師の右の小指。そこに嵌っている赤い玉の指輪。

「……貴方様は?」

 田楽師は姫から体を離した。

「バレたか。流石は俺……じゃない、兄者の崇拝者だけのことはある」

 田楽師は右手小指の指輪をクルクル回した。

「迂闊だった! やはり、外すべきだったな? そう、これ(・・)をつけてるのは狂乱丸ではなくて婆沙(ばさら)丸だものな?」

 姫は低い声で訊いた。

「何故? このような真似を……」

「俺は断ったさ! でも、狂乱丸が、どうしてもと──」


 ── どうしても、俺の(むご)さを姫にわかからせなければならない。

   そのためにはこうする(・・・・)のが一番だ。そうだろう、婆沙丸?


 それ以上、姫は何も言わなかった。

 唯、見開かれた瞳を逸らすことなく、眼前に立つ田楽師の、自分を抱きしめた手と、重ね合った唇をじっと眺めていただけ。

 指輪を回しながら田楽師は思った。

(何だよ? 『(ひど)い!』『よくも騙したな!』と言って泣いてくれた方がまだ良かったな……)


 足を引き摺りながら、帰った。



 



 そういうわけだから、、翌日、田楽屋敷へやって来た芳心丸の姿を見て婆沙丸は驚いた。

「……もう来ないものと思っていた。あんなやり方をして──姉君は怒っていたろう?」

 意外なことに芳心丸の表情は明るかった。

 今まで見たことがないほどの澄み切った笑顔だ。

 厄介な役目を終えることができるせいだろうか、と弟の田楽師は思った。

「今日が最後です。姉上に文を託されて。狂乱丸様は何処ですか?」

「兄者ならいない。留守じゃ。何やらお偉い人からの特別の呼び出しとかで──早くから検非違使が迎えに来た」

「そうですか。では──狂乱丸様のご自室に直接置いて来てもよろしいですか?」

「ああ。構わないよ」



 縁を巡って芳心丸は狂乱丸の室へ入った。

 文机の上にそっと文を置く。

 何気なく見ると、机の端に小さな袋が乗っていた。

「?」

 有雪(ありゆき)倭姫(やまとひめ)の話をした時、田楽師兄弟と一緒にこの芳心丸も傍で聞いていた。

 だから、思い当たって、興味を覚えると、そっと袋へ手を伸ばした──





 

 

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