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検非遺使秘録 §伝説の『白蛇天珠の帝王』とコラボ作あり§  作者: sanpo
カスカニカスカナリ〈全27話〉
118/222

カスカニカスカナリ 27 ★

「そうでもないさ」

 狂乱丸は、この点では頑として譲らなかった。

 あの凄まじい飛礫(つぶて)の中で、決して臆することなく頼長を護り抜いたのは成澄だったし、白昉が現れた時、一番早くその正体を察知して行く手に立ちはだかったのは婆沙(ばさら)丸だった。

「言ってやれよ、婆沙丸! どうしておまえは白昉が危険だと悟った? あれはおまえの手柄だぞ」

 斬られた腕を縛って肩から下げている痛々しい姿ながら、婆沙丸は笑った。

「匂いさ。香の匂い。忠延殿のは沈香だと兄者が教えてくれたが。近づいて来る白昉から匂い立つそれははっきりとわかった。あれは……水葉が纏っていた匂いと同一だった」

 言った後で小首を傾げる。

「もっと早く気づいていたら良かった。俺は白昉とそれ以前にも会っている。その際、何故、わからなかったんだろう?」

「……会った場所が場所だった」

 思い出して有雪が指摘した。

「おまえが蛇使いの娘と知り合った後で──つまり、娘の香を嗅いだ後で、白昉と会ったのは何処だった? 恵噲(けいかい)の屍骸を安置した堂宇だったろう? 腹を裂かれた屍骸の前ではどんな香も嗅ぎ分けられぬわ」

 成澄も頷いた。

「うむ。それに、あの場面では白昉自身、香を焚き(・・・・)経を誦していたしな」

 改めて婆沙丸は狂乱丸を振り返った。

「白昉と水葉の香の名を俺は知らない。兄者なら何という香か名を言えるだろう? 教えてくれよ」

 兄は珍しく首を振った。

「いや、あの匂いは俺も初めて嗅いだ。何だろうな? 物凄く古風で……高貴な香りだったが……」

 もう一つ、一同がどうしても知りたかった謎がある。

 それは、蛇使いの娘の犬嫌いのわけだ。

 何故、水葉はあれほど犬を嫌うのか?

 狂乱丸たちはそれについてもその翌日、娘自身の口から、その悲しい理由を聞くことができた。



 俯きながら水葉は明かした。

「まだ幼かった頃のことです。人買いの連中と旅をしていた時、野宿したことがあって。

 その夜、人買いどもは里へ酒を飲みに降りたのですが、我等は木陰に残されました。その際、逃げないように互いを縄で縛られました。

 夜が更けて、山犬が襲って来た。偶々(たまたま)、隣りの子が食いちぎられて縄が解けた私は素早く木に攀じ登って助かりました。でも、その夜、一晩中、私は木の上で、逃げられなかった子達が食われる音を聞いていたのです。

 以来、犬は……ダメじゃ……」



 左大臣・藤原頼長の温情ある裁断で蛇使いの娘は〝都払いの刑〟──〝追放〟と決まった。

 水葉は白山の地へ帰ると即答した。

 例の、大切な香木の袋と一緒に、白昉の骨を収めた袋を首に掛けて、検非遺使や田楽師兄弟、そして橋下の陰陽師が見送る中、蛇使いの娘は旅立って行った。

 小さくなるその後ろ姿を眺めながら、思い出したように狂乱丸が囁いた。

「おまえの勝ちだったな、婆沙丸? おまえはあの娘の命を護った……」

「どうだか」

 哀しげに婆沙丸は首を振るのだ。

「一時はそうも思ったんだが──違うな。水葉の心の中には、俺は一度たりとも存在しなかった。水葉は俺など欲していなかった。だから……俺とは無関係だから(・・・・・・)あの娘は命が助かったのさ」

 それを認めるのは、恋した婆沙丸にとってはこの上なく辛いことだった。

「また、俺は愛しい娘を失くしたな……」

「いずれにせよ、これで良かったのじゃ!」

 人の心の機微を全く解せぬ陰陽師が言い放った。

「あの娘には白山の地が似合っている。知っているか? 白山にはそこにしか棲まぬ美しい蛇がいるそうな。透き通った赤い蛇で、他所では見られぬからその名もハクサンヘビ。それから、白山にしか咲かぬ花もある。これは黒百合と言って……」

 また講釈が始まった。兄の田楽師は小さく舌打ちをした。

「チエッ」


 結局、一同は南都に三日間滞在した。



 京師(みやこ)に戻ってから、前関白・藤原忠実の催した慰労の宴を成澄と田楽師兄妹は鄭重に辞退した。

 表向きは、現関白・藤原忠通との関係をこれ以上(こじ)らせたくないからだったが、本当の理由は──狂乱丸の持ち前の悋気のせいである。

 狂乱丸はしっかりとあの日、法華堂の前庭での成澄と秦公春との会話を聞いていたのだ。

 都随一と讃えられる田楽師はあえかな眉を吊り上げて検非遺使尉(けびいしのじょう)を睨んだ。

「おい、成澄? よもやおまえ、俺からあっちの、左府殿の邪悪な随身に乗り換えるつもりではあるまいな?」



 その代わり、と言うのでもないだろうが。

 後日、忠実から、今回の働きを賞賛して賜り物が届けられた。

「何だよ、この硝子玉はよ?」

 目を剥いて尋ねる狂乱丸に成澄が神妙な顔で説明する。

「我が国の至宝だそうだ。かの東大寺の大仏開眼の法会で大仏を飾った瓔珞(ようらく)だと。 ※瓔珞=首飾り

 紐が朽ちて落ちたものを、流石、摂関家! 宇治の平等院建立に当たり貰い受けたのだそうだ。今回、貴重なそれを特別に分けてくださった。見ろよ、かの光明皇后が御自ら飾った珠なのだぞ!」

「俺は硝子玉なんぞより、黄金の方が良かった……」

 有雪は鼻も引っ掛けなかった。

「俺もいいや」

 婆沙丸も手を振った。

「ほら、俺はもう持っているもの。珠なら、やっぱり俺は赤がいい。でも──ちょうどいいじゃないか。兄者がもらっとけよ。これで青い腕輪ができるぞ? 他人が我等を見分ける格好の〈印〉になる」

「フン、そんなものなくても──ちゃんと見分けられるよな、なあ、成澄?」

 答えは聞き取れなかった。

 既に検非遺使は、朱塗りの笛を軽やかに奏で始めていたので。





 今回の物語を閉じるに当たって、遂に一同が見逃した謎が一つある。

 成澄が最初に目をつけた、咒文が記された紙片。あの裏側にあった七つの丸印──北斗七星について。

 摩多羅(またら)神を象徴するこの星の位置に、もし狂乱丸なり成澄なりがもう少し注意を払っていたなら……

 もしくは、もう一方の、恵噲の手紙でも良い。

 この手紙の乱雑な書き方に彼らはもっと注目すべきだった。

 叡山の英才とも思えぬ乱れた墨跡、行が飛び乱暴に書かれた置き手紙に、もう一枚の咒文の星座を重ねると──七つの星印の中に浮かび上がる文字がある。

挿絵(By みてみん)



 一連の騒動の全てを企て、主導したのは白昉だった。

 〈玄旨灌頂(げんじかんじょう)〉の授者が自分だと確信した白昉は〈八葉鏡〉を早い段階で盗み取っていた。これを正式に授者が発表された夜、自ら恵噲の宿坊へ持参したのである。恵噲は持って逃げれば良かった。そして、指示された通り南都は法華堂の不空羂索観音ふくうけんじゃくかんのん像の足下に隠した。二対の曼荼羅も事前に作成してあったものを当夜、同様に白昉が持ち込んだのだ。

 唯一、恵噲がこっそり紛れ込ませた謎が置き手紙と咒文だった。

 置き手紙を残すよう指示したのは白昉だが、恵噲が仕込んだ細工については気づいていなかったようだ。

 いずれにせよ、こちらを解読していたら成澄たちはもっと早く真実に辿りつけたはず。惜しいことである。

 畢竟、悪左府・藤原頼長の言葉は正しかったのかも知れない。

 成澄始め、この主人公たちは謎解きには向いていない──



 前代未聞の叡山の騒動、〈玄旨灌頂〉の秘宝〈八葉鏡〉盗難の詳細については一切公式文書に記されなかった。勿論、絵巻にも。

 これら一連の経緯が、謎を解いて宝を取り戻す〈冒険譚〉ではなく、真偽のほどはどうあれ藤原家の血脈に関わる〈因縁譚〉と化したことが忌諱され、抹消されたのがその理由と推測される。

 唯一、今回のできごとを事実として立証できる〝物〟があるとすれば──

 それこそ、天衣(てんね)丸が彫った〈犬〉である。

 現在、京都・栂尾(とがのお)・高山寺に伝わる犬の置物は、今回、東大寺・法華堂前庭の〈結界〉に使用された内の一匹なのだ。

 猶、記述は前後するが、天衣丸とは若き日の運慶である。

 そして、もう一人。

 接待役を無事こなした源空は、この年、皇円の元を離れ、より深く仏道を修行すべく西塔深奥の黒谷へと移って行った。

 この若い僧が回心して名を法然と改め、承安五年(1175)、浄土宗を開宗するまで、更に二十五年の歳月を必要とする。




          -


「いい加減に泣き止んだらどうだ? そして、飯を食えよ」

 泣いている少女に少年は囁いた。

「おまえの気持ちもわかるがな。諦めろ。どうしたってもう二度と家へは帰れないんだから」

 少女は泣くのを止めなかった。

 もうこうやって──買われて来てから三日間、日に夜を継いで泣き続けている。流石に一座の長も呆れ果てていた。

「それにさ、慣れればここの暮らしもさほど悪くないぞ?」

 言って、傀儡の少年は溜息を一つ。

 相も変わらず泣きじゃくっている少女の頭にそっと手を置いた。

 途端、少女の泣き声が止んだ。

 少女の目は少年の細い手首を見つめたまま動かない。

「海がある……」

「え?」

 少年は驚いて自分の手首を反した。

 生まれた時からつけている腕輪──代々譲り受けてきた大切な父祖の形見──の青い石が陽の光に反射してキラリ、燦めいた。

「ああ、これか。これが?」

 少年は笑って少女の顔に手首を寄せる。

「おまえは海の傍で生まれたのか? 俺はまだ一度も見たことはないが。そうか、海とはこのようなものか?」

 その時から、少女は泣かなくなった。

 海を有している少年がやって来るのをじっと待つようになった。

 少年が姿を見せると、その手首に顔を寄せて懐かしい故郷の海が波打つのを飽かず眺めている。

 そうして──

 やがて少女は気づく日が来る。

 いつの頃からか、自分が待っているのは少年の腕の青い玉ではなくて、少年自身であることを。

 自分が耳を寄せて聞きたいのは遠い潮騒ではなくて、少年の胸の内の鼓動であることを。


 カスカニカスナリ……

 ハルカナルムネ……




        《  了  》

 

 


 最後までお付き合いくださってありがとうございました!

 長い話の次は恋の話など如何です?

 誰のって……?


 ◆本編が長くなったため、参考文献をここに記します◆

 異神 山本ひろ子(ちくま学芸文庫)

 中世寺院の姿とくらし・国立民俗博物館編(山川出版社)

 法然と極楽浄土 林田康順監修(青春新書)

 殴り合う貴族たち 繁田信一(角川ソフィア文庫)

 院政期社会の研究 五味文彦(山川出版社)

 田楽考 飯田道夫(臨川選書)

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