カスカニカスカナリ 21 ★
座敷の襖を開けて、婆沙丸は吃驚した。
そこに意外な顔を見たからである。
「天衣丸じゃないか!」
歓談していた狂乱丸が振り返る。
「おや、今頃ご帰還か? 愛しい蛇使いによほど念入りに別れを惜しんで来たと見える」
例によって兄の嫌味は無視して、婆沙丸は客に飛びついた。
「久しぶりだな、天衣丸! どうじゃ、その後、納得の行く像は彫れたか?」
「ご無沙汰しております。婆沙丸殿」
天衣丸は、元々は南都出身の仏師である。歳は若いが早彫りの達人で、以前、田楽師兄弟は持念仏の日光・月光菩薩を彫ってもらった。それだけでなく、実はこの少年仏師の技で命を助けられたこともある。
が、それはまた別の物語──
「皆さんが急遽南都へ向かわれると、有雪殿からお聞きしました。それで──」
「餞に来てくれたのか! 嬉しいぞ!」
成澄も爽やかな笑顔で頷いた。
「南都生まれの天衣丸だ。何なら案内役として一緒に行ってもらいたいくらいだが、今、製作中の像があるとか。手を離せないらしい」
「その代わりと言っちゃあ何だが──」
いつの間に座敷の中へ入って来たのやら、有雪が立っていた。
「新たにもう一人連れて行くことにしたぞ!」
襖の陰から袖を引いて引き入れたのは、覆面をした人物だった。
顔を隠しているので何処の誰ともわからない。着ているものは有りふれた狩衣である。
検非遺使尉、仰天して、烏帽子に手をやる。
「だ、誰だ、そいつ? 俺は聞いてないぞ! 大殿や、今回の旅の長である頼長殿に報告もなしに……勝手な真似は許さぬ!」
「そこを何とか頼む、成澄。こいつは俺の弟子なのだ。おい、皆に挨拶をしろ!」
小突かれて覆面男はぎこちない動作でペコリと頭を下げた。
双子が声を揃えて叫ぶ。
「おまえに弟子がいるなんて──」
「──今日の今日まで知らなかったぞ!」
「この旅において、こいつは絶対、役に立つ。俺が保証する。だから──いいだろ? 頼むよ、判官殿、この通りだ!」
「うっ……」
日頃やたらと頭の高い陰陽師にしては珍しい低姿勢だった。
拝まれて成澄は渋々承諾した。
ところでこの朝、珍客はもう一人いた。
愈々出立とばかり皆が出揃った田楽屋敷の門前、飛び込んで来た一騎。
手綱を撮るのは僧形──源空だった。
叡山は東塔西谷より馳せ参じたらしく、馬も、源空自身も流れる汗が朝日に燦いている。
「南都へ向かわれると聞いて……ぜひお見送りしたいと阿闍梨様に無理を言ってやってまいりました!」
「源空……」
こういうところ、僧にしておくには勿体ない機敏さだと内心成澄は苦笑せずにはいられなかった。
「わざわざの見送り、感謝するぞ」
「くれぐれもお気をつけて、中原様。無事のご帰還を祈っております」
「ハハハ……大丈夫さ! この成澄、滅多なことでは死なないよ!」
豪快に笑い飛ばしたものの、若い僧の不安に満ちた眼差しに胸が締め付けられた。
(……勢至丸は父をこんな目で送り出したのだろうか?)
馬に乗ろうとして鐙に足をかけてから成澄は動きを止めた。
引き返して、源空の前に戻ると、言った。
「なあ? あれから考えたんだが──俺も息子が生まれたら、自分と同じ道を歩ませようとは思わないかもし知れない」
源空はハッとして顔を上げた。
「おまえに預けようかな? だから、それまでに、せいぜい偉いお坊様になっておいてくれよ!」
ヒラリと馬に乗る。
それを合図に一同乗馬し、集合場所である高陽院へ向けて出発した。
「一体何の話だ?」
田楽屋敷の門前に立って、ちぎれるように手を振っている僧を振り返りながら狂乱丸が問い質した。
成澄はただ黙って微笑むばかり。
源空は一同の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
「憶えておきますよ、中原様! あなたのご子息は……私の弟子に頂きます……!」
藤原頼長には四名の、見るからに彼好みの凛々しい随身が従った。
成澄一行は、田楽師兄弟と陰陽師の有雪、そして、飛び入りの〈謎の弟子〉。
以上、総勢十名の騎馬の旅である。
朝露が燦めく中、一行は南都へ向けて出立つした。
一行は馬を変えながら、飛ばせるだけ飛ばした。
その道中──
成澄は有雪の〈覆面の弟子〉と、それから有雪自身が背負っている大きな包が気になって仕方なかった。
この橋下の陰陽師は、日頃肩に乗せている白い烏に代えて、今日は何やら嵩高い荷物を布に包んで背に結わえ付けていた。
(まさか、あの中に烏をいれているわけでもないだろうに? あれは何なのだ?)
例によってやることなすこと全く先の読めない、胡乱な男である。
頭を振りながら空を仰ぐと、街道沿いの暗い木立の中から、一声、烏の鳴き声が響いた。
一方、婆沙丸は──
途中、休憩の度、有雪の〈覆面の弟子〉に近づいては頻りにその様子を探っている。
片時も有雪の傍を離れずピッタリと寄り添っているこの男、身なりはさほど上等ではない。いかにも貴人の家司然とした装束だが、仄かに香が匂った。
(よもや、水葉の小屋で会った男ではあるまいな?)
覆面というだけで婆沙丸にとっては気にかかる。
さり気なく唯一出ている双眸を観察するものの、やはりそれだけでは判然としなかった。
香の方も水葉のそれと同じものかどうか、婆沙丸の鼻では明確に断言できない。
それで、何度目かの休憩の際、思い切って兄に訊いてみた。
「香の種類だと?」
鼻の利き過ぎる狂乱丸は普段、極力〝匂い〟を無視する癖を身につけていた。
「あの覆面の、さ。嗅いでみてくれ。何の香だろう?」
「……沈香だな。だが、それがどうした? 沈香は貴人好みの香だからな。あやつ、どこぞの貴人邸ででも働いているのだろう。移り香だろうよ」
兄の答えに婆沙丸は失望した。
「……そうなのか」
「相変わらず垂髪が似合っているなあ!」
いきなりの声に兄弟揃って顔を上げる。
近寄って来たのは頼長の随身の一人だった。
美丈夫揃いの四人の随身の中でも水際立って端麗である。
照り渡るような唐撫子色の狩衣の袖を揺らして、妙に馴れ馴れしい口調で囁いた。
「おまえたち、二人して人魚の肉でも食ったのか? あの頃と少しも変わっていないぞ! この俺を見ろよ。もうどうしたって垂髪は無理だ」
笑いながら髻を結った頭の、烏帽子を叩いてみせた。
その仕草には、立派に元服した誇らしさが溢れている。
生涯童装束を定められているおまえたち、〈異形の族〉とは自分は違うのだ……!
「おや、そうでもないだろう?」
狂乱丸は負けていなかった。すかざず言い返した。
旅の目的を考えて、この日、田楽師が選んだ水干の色目は地味な薄桜である。
それが却って漆黒の髪や雪白の肌を燦めかせて、幾度、擦れ違う旅人たちの胸を疼かせたことか。
「髪型はともかく──その声なら、まだ十分に『茨小木の下でこそ』を歌えそうじゃないか?」
にこやかに微笑んでいた秦公春の顔が引き締まった。
「やはり、俺のことを憶えていたな?」
「何のことだ? 天下の左大臣・藤原頼長様の随身を我等、田楽師風情が見知っているはずはないが? 我等が知っているのは、星の名を持つ童さ!」
「兄者?」
「そら、それならおまえも憶えているだろう、婆沙? 何年か前、七夕の頃に会った星の名の童。ホント、嫌な野郎だったな!」
「ふん」
微苦笑して美しい頼長の随身は去って行った。
これが、南都への道中であったおおよその事柄である。
☆当時流行の覆面スタイル 絵巻からのイメージ転写です。
何か楽しそうだな……




