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水の精 11

     


 (しとね)にきちんと座り直した狂乱丸と成澄を前に婆沙(ばさら)丸は話し始めた。

「兄者が思う通り、俺が取り憑かれたというのはある意味、真実じゃ。

 有雪の卜占で俺は戻り橋でとある娘に出会った。そのことは、成澄、おまえも知っておろう?

 俺はその娘にひと目で恋狂った。つまり、取り憑かれた(・・・・・・)のだ。

 そして、その娘こそ、他ならぬ〈水の精〉だった……」

「すわっ! そのもの、物怪(もののけ)と言うのだな? 引っ捕えてやる! 何処にいる? 名は何と?」

 大刀の柄に手をやって立ち上がった検非遺使を婆沙丸は腕を伸ばして押し留めた。

「娘の名はナミと言う。だが、待て、成澄。この者、決して物怪ではない」

「?」

 成澄は長駆を折り曲げるようにして渋々腰を下ろした。

「しかし、おまえはたった今、その口で、その娘こそ〈水の精〉だと言いきったではないか?」

「そこだ。〈水の精〉が物怪だと思うからこんがらがるのだ」

 婆沙丸は言う。

「この世に物怪などいるものか。いいか、成澄、今回あんたたち天下の使庁を悩ませている一連の貴人殺しは、〈水の精〉と呼ばれるところの生身の人間(・・・・・)がやったことなのだ」

「──?」

 一様に口を噤んだ成澄と狂乱丸。

「俺は兄者が運んでくれた夜具の中でこの二日間よくよく考えた。考えに考えて──

 遂に全ての筋道を読み取った! 

 今こそ自信を持って言うぞ。〈水の精〉は存在しない。人間である一人の娘が貴人たちを殺していたのだ!」

「で、でも──」

「一体、何故──」

「それはもちろん、恨み(・・)からだ。その娘、ナミは遊女なのだ。自分を(もてあそ)ぶ貴人どもがよほど憎かったのだろう。連中は尊大で勝手気ままだからな? その証拠に──」

 ここで一段声を低めて婆沙丸は身に纏ったままの紅匂の小袖の袖を振ってみせた。

「ほら! ナミは俺は(・・・・・)殺さなかった(・・・・・・)! 田楽師の俺は見逃してくれたのじゃ!」

 兄も検非遺使も目配せし合って異口同音に納得した様子。

「ほほう? なるほど(・・・・)?」

そういうことかよ(・・・・・・・・)?」

 〈あははの辻〉で響いた悲鳴が紛れもなくその娘の声だったこと、それを聞いた時点で〈水の精〉の正体をほぼ悟ったことを婆沙丸は眼前の二人に明かした。それ故、貴人の姿で誘い出し、確認しようと思い至ったのだ、と。

「さあ、これでわかったろう? 今回の〈水の精〉騒ぎは、冷泉院(れいぜいいん)やら貴人やらとたまたま偶然(・・・・・・)重なった(・・・・)までだ。

 だが、これら(・・・)は全て説明がつく。

 つまり、冷泉院からその向かいの神泉苑一体は遊女である娘の仕事場(ナワバリ)だし、その商売相手の貴人を内心では憎むあまり……顔を削ぐという殺し方を繰り返したのさ」

「これはしたり!」

 膝を打った成澄。

 一方、狂乱丸は美しい眉を上げた。

「待て。もう一つ(・・・・)重要な謎が残っているぞ? 毎回死体の傍らに落ちていた()はどうなる?」

 そのことが解き明かされない限り納得はできない、と狂乱丸は言い切った。

 目端が利き頭の回転が早い上に冷徹な兄らしい指摘だと、婆沙丸は歯噛みした。

「そ、それは──」

 婆沙丸が口篭ったのは答えに窮したからではない。

 それについて語るのが辛かったからだ。できるならこのこと(・・・・)は言わずに済ませたかった。

「……成澄は検非遺使だから重々承知しているだろう? 見目好い少女たちを(かどわ)かして京師(みやこ)に集め遊女に仕立てて稼ぐ〈不善の輩〉が存在するのを?」

「まあな」

 成澄は曖昧に相槌を打った。

 その手の話は枚挙に(いとま)がない。浜の真砂のように京師に溢れている。そのくせ、取り締まるのは不可能に近かった。

 何故なら、その種の〈不善の輩〉の元締めは都の権門としっかり気脈を通じていて、季節の付け届けも怠りなく使庁でも目溢(めこぼ)ししているのが現状である。

 元々が明法(みょうほう)系の家筋の成澄はそこら辺の事情を知り過ぎるほど知っていた。

 拐かされた子女を京師へ運ぶ者が貢納物を運京する地方官と同一であったり、かと思えば権門の徴物使が影でその役を担っていたり……

「あのな、俺のナミも幼くして拐われた娘なのじゃ」

 美しいナミの体のただ一箇所、左足首に醜い部分があることを、あの夢の夜の中で婆沙丸は知ってしまった。

 最初は指先で、その後、細い月の光の下、その目ではっきりと見た。

 異様に擦れて固く、ドス黒い痣となっているその部分の意味するところは何だ?

「その種の哀れな女たちは仕事を終えて住処(すみか)──ナミは(たち)と呼んでいたが──に戻った後は逃げ出さないように縄で繋がれているのではないのか、成澄?」

「俺は知らん。だが、クソッ、あり得ることだ……」

「何てこった!」

 狂乱丸が息を呑む音が聞こえた。

 この兄は冷徹であるのと同じくらい繊細でもあった。弟の言葉を待たず、自ら結論づけた。

「つまり、結んだ縄(・・・・)は自由を奪われている我が身を嘆く印……遊女の無言の訴えであると?」

「ええい! 胸糞悪いっ!」

 烏帽子に手をやりながら検非遺使は吐き捨てた。

「今回の騒動、怪異でも何でもない。結局行き着いて見れば、やり場のない遊女の怒りが引き起こした復讐譚ってわけかよ?」

「俺はもうこれ以上、あの娘に人を殺めさせたくはない」

 膝の上で握っていた拳から目を上げ、婆沙丸はきっぱりと言い切った。

「俺が勘づいたんだ。このままではやがてあの娘の仕業と知れ渡って……それこそ、秘本に記された〈水の精〉同様、検非違使に絡め取られる日が来る。だが、俺はそんな結末は絶対嫌じゃ! 

 だって、これはあの娘だけの罪か? 娘をそこまで駆り立てたもっと悪辣で罪深い連中は野放しのくせに、ナミだけを罰するのはおかしいじゃないか!」

「おまえの気持ちはわかるがな」

 成澄は大きく息を吐いた。

 毎日毎日、清目(キヨメ)を率いて京師に山なす死骸を処理しているのも他ならぬ自分たち検非遺使である。大路小路、幾種類もの屍を見て来た。

 ある者は病いで、ある者は飢餓で、そしてそれ以外は暴力に因って無惨に朽ち果てている。

 そうかと思うと、ある日は賊を追い、駆けつけた権門勢家の邸内でその豪奢な暮らしぶりに触れ、蔵に溢れる貢物の品々を目の当たりにするのだ。

 背叛する世界を(ふたつ)ながら見続けている検非遺使の中原成澄は、自分がこの先、喩え使庁の別当に上り詰めたところで、今ある現状を変えることなどできはしないととうに悟ってしまっていた。

 だからこその(・・・・・・)、田楽なのだ。

 胸に降り積もる虚無感(やるせなさ)を、歌い踊り、浮かれ騒ぐことで散華させるのみ。

 この世は夢よ、ただ狂え……

「諦めろ、婆沙。俺たちに何ができる?」

「できるさ!」

 婆沙丸は勢いよく立ち上がった。

「俺があの娘を逃がしてやる!」

「そんなことは不可能じゃ」

 理論派の兄も虚しく手を振って、

「相手は衛門府や使庁でさえ手を出せない連中だぞ?()だけじゃなく 商売道具である遊女たちの逃亡を見張る家司や郎党を大勢抱えているはず」

 狂乱丸は頬に笑窪(えくぼ)を彫って微苦笑した。

「それこそ、昔話集の〈水の精〉ではあるまいし、その娘を(たらい)の水に溶かして消してしまうようなわけには行くまいよ」

「そうかな?」

 弟はへこたれない。自信ありげにニヤリとして、こちらも笑窪を燦めかせた。

「そりゃ、()に溶かすわけには行かないが……俺たちの力で()になら……どうだ?」


 

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