カスカニカスカナリ 15
使庁の渡殿で、高欄に凭れて中原成澄は我知らず嘆息を吐いた。
叡山のみならず京師一円、〈鹿〉と〈六〉が頭に付く寺社に通知して敷地内を隅々まで探索するよう要請して今日で二日。
今は唯、その結果を待つだけである。
それ以外動きようがなかった。
昨日まで、自身、体を張ってやるだけのことはやった。
寺に限らず、例えば、六波羅蜜寺の東にもう一つ〈六〉の付く六道珍皇寺というのがある。その門前は〝六道の辻〟と言い習わされているが、念のため成澄は配下の放免を用いて辻一帯を掘り起こしてみた。 それから、まさかとは思ったが、鳥羽法皇の御所さえ(勿論、こっそりとだが)調べた。〝六条殿〟と呼ばれているからである。
「中原殿!」
肩を叩かれて我に返る。
振り向くと同僚の検非遺使、源為義が立っていた。
「こちらであったか、中原殿! いやあ、探したぞ!」
僥倖に胸が高鳴った。とうとう自分宛の特別な連絡が入って、この親子ほど年の違う検非遺使が内密に知らせに来てくれた……!
実際、為義の息子、義朝と成澄は幼馴染である。少年の頃、都大路小路を遊び散らした仲だ。
だが、その義朝は、実父の為義に廃嫡され、遠く坂東の地に逼塞して久しい──
「今度は、中御門富小路だそうだぞ、中原殿!」
「は?」
義朝との遠い日々を胸に蘇らせつつ見返した成澄。
源為義はさも可笑しくて堪らないという素振りで告げた。
「また投石らしい。別当殿が中原殿を差し向けるようご指名だぞ」
どうやら、今や使庁に置いて、〈投石〉と言えば成澄担当と定まった感がある。
ままよ、仕事をしている方が気が晴れる。大刀を鳴らして成澄は勢い良く立ち上がった。
「諾!」
その中御門富小路は藤原宗忠邸。
言わずもがな一町家を誇る大邸宅の門前に牛車が止まっている。貴人の乗る網代車だ。
邸の内外ではがなり合い、罵り合う、舎人や郎党、雑色の群れ。
成澄にとって、もはや見慣れた光景である。 ※一町家=120m四方
「あ、検非遺使様だ!」
「それ、検非遺使様がお着きだぞ!」
「覚悟しろよ、この無作法者どもめ!」
「おまえ等こそ……!」
一通り両者の訴えを聞き終えると、牛車に近寄って簾を跳ね上げる。
そこに座していたのは藤原忠延──
だが、今回はそれだけではなかった。
その横に、なんと、〈橋下の陰陽師〉、有雪がいた。
貴人の若者が真っ青になって震えているのは前二回と同様であるが、こうなるとどちらに驚くべきか成澄は迷った。
「おまえっ! 有雪? 何故、こんな処にいる? しかも、また? 乗人は忠延殿かよ?」
「あくまでも今回は確認したかったまでじゃ」
〈橋下の陰陽師〉は悪びれずに言った。
「こう何度も投石に会うのは良からぬ〈魔〉がこの忠延殿に憑いているせいである。そのこと、身を持ってご理解していただきたく今日は外出してもらった。結果は──ご覧の通り!」
肩の白い烏をこれ見よがしに撫でながら、勿体ぶって有雪は言うのだ。
「だが、もう大丈夫! ご安心なされよ! この京師一の陰陽師・有雪がお傍にいる限り二度とこのような恐ろしい目にあうことはない。我が人智を超えた絶大なる呪力で貴殿に取り憑いた魑魅魍魎、見事打ち祓ってしんぜよう!」
「お、お頼みします、陰陽師殿っ!」
公達は涙を流しながら有雪に抱きついた。薄汚れた白衣に目にも雅な濃装束が重なる。何とも奇妙な光景だが、有雪は澄ました顔で更に続けた。
「勿論、それなりのご覚悟は必要ですぞ? 古来より〈魔〉を退散させる様々な祈祷や咒文、呪い……全てこの有雪、習得しておりますが、今の世にそれらを執り行うには高額な費用が必要です」
「構わぬ! 金なら幾らかかろうと気にはせぬ! このままでは私は一生外出できなくなるもの。愛しい姫の元へ満足に通えない人生など真っ平じゃ……!」
「あの場では呆れてモノが言えなかった……全く、有雪の奴!」
その夜、久々に訪れた田楽屋敷の座敷で、酒を酌み交わしながら成澄は悪罵した。
「一体、いつの間に毎度の投石の被害者、藤原忠延殿の身元を探り当てたものやら」
「フフン? 金蔓と見ればあやつは逃さぬからな」
「それにしても、憐れなのは忠延殿だ。まあ、若いから仕方ないが、まんまと有雪の口車に乗せられて──あの様子では一体どれだけ金品を毟り取られるかわかったものじゃないぞ?」
剛毅で高潔な成澄は憤りが納まらないらしく頻りに頭を振った。
「あんなのは〈魔〉でも何でもない。単なる〈投石〉に過ぎないのに……」
「いいじゃないか」
反対に上機嫌の狂乱丸。検非遺使の盃に波波と酒を注いで、
「有雪も自分で自由に酒代が工面できるとなれば、もうここへは現れなくなる。ああ、清清した! あいつの胡散臭い薀蓄を聞かずに酒が飲めるんだから」
「まあな。ところで──相変わらず婆沙丸は留守か?」
検非遺使の問いに狂乱丸は微妙な笑みを浮かべた。
「婆沙丸なら……いるさ」
「にしては、静かだな?」
「ずっと不貞寝をしてるのさ。例の〈蛇女〉に見事にフラレたそうだ」
「ああ、なるほど」
成澄は蛮絵の懐から朱塗りの笛を取り出した。
「そういうことなら、いざ、この曲を捧げんかな……!」
そして、嫋嫋と奏で始めた。
日頃の田楽の賑やかな曲調とは全くかけ離れた調べ。
成澄自慢の〈想恋譜〉である。
染み入るような、密やかで切ない音色が田楽屋敷を満たした。
可愛らしい顎をツイッと上げて狂乱丸が訊く。
「おい、成澄、それは誰に捧げての曲じゃ? 恋に破れた婆沙丸か? それとも……叶わぬ恋に身をやつす俺のため?」
成澄はニヤリと笑っただけ。
「さあなあ?」
が、すぐに、唇を尖らせてそっぽを向いた田楽師の、帳よりも濃い漆黒の髪に顔を寄せて囁くのだった。
「拗ねるなよ、狂乱丸? 俺は明日は非番なんだ。だから、今宵は思う様飲み明かして……明日の朝は存分に朝寝が楽しめるというもの……」
だが、二人が楽しみにした朝寝は叶わなかった。
翌朝、空が白み始める前に、激しく門戸を叩く音で成澄と狂乱丸の夢は無残にも打ち破られたのである。
「中原様! 中原様! 大変です! 叡山にて禍事が出来しましたっ!」
声に聞き覚えがある。源空だ。
東塔西谷に住まう接待役が声を限りに叫んでいる。
「即、同道願います! 中原様っ!」




