カスカニカスカナリ 9 ★
興味深く覗き込んだ成澄。
だが、狂乱丸は落胆のため息を吐いた。紙片を突き返すと、
「もういいよ、成澄」
「何故だ? 新しい発見ではないか! これこそ恵噲の残した、鏡の在処を示す〝謎〟かも知れぬぞ!」
「俺もそれを期待したんだが──違った。これは北斗七星の文様だ。どうということはない」
「?」
腑に落ちない顔つきの成澄に狂乱丸は薄く微笑んで説明した。
「北斗七星は摩多羅神の象徴なのだ。だから、摩多羅神の咒文の裏に記されていても何の不思議もない。もっと別の何かだったら、特別の意味があっただろうけど」
「そうか」
納得して紙片をしまう成澄。さも口惜しそうに呟いた。
「結局、肝心の〝謎〟はこの紙片ではなかったということか? 俺たちはまんまと恵噲に一泡吹かせられてしまったようだな?」
「俺を蚊帳の外に置くからだ!」
酒の香に誘われてか、カラリと襖が開いて、肩に白い烏を留らせた白衣の陰陽師が入って来た。
勝手に盃を掴むと狂乱丸に突き出す。
「おまえ等、何でも、とんでもないお宝の行方を捜しているそうじゃないか? フフン、俺の力なしに事が進むと思うたか? 甘いわ!」
うんざりしながら狂乱丸、
「チエッ、そのこと誰に聞いた?」
「婆沙丸よ」
成澄、周囲を見廻して言う。
「そう言えば──婆沙丸の姿が見えぬな?」
いったん口を引き結んでから、渋々兄は認めた。
「朝、出て行ったきり帰って来ていない。大方、〈謎の女〉を探し回っているのだろうよ」
ハッとして盃から顔を上げる成澄。
「何だか……前にも似たようなことがあったな?」
検非遺使は遠い目をした。
「ほら、橋の上で出会った謎の女──ナミと言ったか? それに恋をして……」
「フン、相変わらず成長しない奴よ」
だが、検非遺使に指摘されるまでもなく不思議な巡り合わせ……運命めいた堂々巡りをこの兄も感じていた。
数年前、婆沙丸は橋の上で出会った素性も定かではない娘に恋したことがある──
「しかし、今回、婆沙丸はそのような恋の相手にいつ巡りあったのだ? 俺は昨日までその種の色っぽい話は全然聞かなかったぞ!」
訝しがる成澄に狂乱丸は昨晩のあらましを語った。
叡山からの帰り道、蛇に咬まれて血を流していた女のこと……
「歳の頃は十六、七か。その女がな、婆沙の言うには『ナミにそっくり』だとさ!」
「へえ! で、実際そうなのか?」
「俺にはわからぬ。婆沙丸には女の顔は皆、ナミに見えるのかも」
「いや、俺に言わせれば」
と、ここで有雪がニヤニヤしながら割って入った。
「おまえこそ、女の顔は全て同じに見えるクチではないのか、狂乱丸よ?」
「え?」
「そんなだから、いつまでたってもこんな面白味のない検非遺使ばかり追いかけるのさ! 成長しないのは弟ではなくおまえの方じゃ」
「な、何が言いたい?」
見る見る、都一と讃えられる田楽師の雪白の面に朱が射した。
「貴様……人の酒をたらふく飲んだ上に……主の俺を愚弄するとは……許さぬっ!」
狂乱丸は有雪から盃を捥ぎ取った。
「あ、こら、返せったら!」
有雪も負けてはいない。盃を取り戻そうと狂乱丸に飛びつく。賢い烏は羽ばたいて室の隅に避難している。
「何を怒ることがある? 俺は真実を言ったまでじゃ! そう、俺はいつだって真実しか告げぬ……都一の陰陽師、有雪様だぞっ!」
「笑わせるな! おまえが、いつ、真実を語ったことがある? おまえの卜占など当たった試しもないくせに」
「よく言うわ! 俺の卜占が当たるのが怖くて自分の恋を占ってもらいたがらぬのは誰じゃ? ハズレると言い切れるなら──いいとも! では、占ってやろう、おまえと成澄の行く末は如何に?」
「オイオイ、どっちも、もう止せ」
仲裁に入った成澄の袖から、飛び出したものがある。
「!」
「?」
それは、盃を掴んで揉み合っている田楽師と陰陽師の鼻先を掠めて、床に落ちた。
──小石だった。
「何だ、これは?」
興味深げに拾い上げて有雪が訊く。
「あ、昼間の投石騒ぎの──礫か。気づかぬ内に袖に入っていたと見える」
「投石騒ぎ……?」
訳が分からず妙な顔をしている二人に成澄は語って聞かせた。
「今時、珍しいだろう? 今日、三条堀川で、門前を通過した牛車に投石があったというので大騒ぎさ」
思い出しながら成澄も苦笑した。笑うと頬に片笑窪が浮かぶ。
「昔ならいざ知らず、今の世に〈投石〉だと! 可哀想に、乗っていたのがやんごとない若君たちで、そんな体験したことがないからブルブル震えていたよ」
「ほお? そりゃ……面白いな?」
有雪も笑って小石を見つめた。それから、自分の白衣の袂に無造作にそれを放り込んだ。
「さあ、機嫌を直せよ、狂乱丸?」
成澄は優しく狂乱丸の袖を引っ張って座らせると、自分の盃を持たせて酒を注いでやった。
「明日、俺は再び叡山へ赴くつもりだ。不浄説がハズレだった以上、また一から謎解きをやり直さねばならない。勿論、おまえも一緒に来てくれるだろう? おまえがいないと俺は寂しいぞ?」
「成澄……」
田楽師が花のように微笑む傍らで、勝ち取った盃を高々と掲げて有雪が叫んだ。
「明日は俺も一緒に行こう! おまえたちだけでは無理じゃ。この都一の陰陽師が見事に謎を解き明かせて見せよう……!」
婆沙丸は夜が明ける頃、帰って来た。
疲れきって泥のように眠っている。
そんな弟は残して、翌朝早く、狂乱丸は成澄、有雪とともに一条堀川の邸を出た。
成澄はいったん使庁に顔を出してから合流すると言って愛馬に鞭を当てて駆け去った。
派手に言い争った昨日の今日である。叡山への道すがら、狂乱丸も有雪もむっつりと押し黙ったまま歩き続けた。
やがて──
背後から近づく蹄の音。嬉々として振り返った狂乱丸の顔が一瞬で曇った。
手綱を取るのは見知らぬ衛士だった。別にもう一頭、馬を引いている。
「伝言です! 成澄様は今少し遅れるとのこと。代わりに私が叡山までお送りします」
「何かあったのか?」
さっさと空馬の方へ攀じ登った有雪、ぞんざいな口調で訊いた。
「はい。八条は東洞院大路で騒動が起こって……成澄様は別当様の命にて、そちらへ向かいました」
「フン、相変わらず忙しい男よの? 官位持ちはこれだから嫌だ」
「騒動とは──それは一体どのような?」
心配そうに尋ねた田楽師を自分の鞍に引き上げながら、頬を染めて若い衛士は答えた。
「それが、またしても〈投石〉があったとか……」
その、またしてもである。
場所は八条東洞院、藤原長実の邸である。
貴人の牛車が門前を通った途端、邸内から礫がドドッと降って来た。
牛車に付き従っていた舎人や雑色、邸の家司、郎党、両者入り乱れて喚き合っている。
「静まれ、静まれ──っ!」
騎馬で乗り付けた成澄、流石に蛮絵の黒衣を目にして群衆は一瞬で静まった。
「検非遺使様に申し上げます! 我等、ここを通りしな、いきなり邸内より投石が……」
「かくのごとき乱暴狼藉……許されるべきではございません!」
「言いがかりも大概にしろ! 我等はそのような無作法な真似、しでかした覚えはないわ!」
「そうだ、そうだ!」
「当邸の我等が御主人・藤原長実様は賢人の誉れ高くていらっしゃるのだぞ! 投石などと言う時代遅れで不埒な振る舞い、こちらが叱られる……」
各陣営、問答も、宛ら昨日の再現である。
だが、成澄をもっと驚かせたのは投石を受けた牛車の乗人である。
昨日同様、簾を跳ね上げて、思わず叫んだ。
「……藤原忠延殿?」
「あ、これは昨日の頼もしき判官殿? た、た、助けて! 私はまたしてもこのような恐ろしい目に……!」
次は婆沙丸のターン!
〈謎の女〉を探し出すことはできるのか……?




