ウィルス(上)
「オマエサエ、イナケレバ……。オマエサエイナケレバ……。オマエサエ……イナケレバ!」
繰り返される拓斗の言葉。俺の目の前には、涙を流し続ける拓斗の姿がある。ただ俺は拓斗を慰めようと、手を伸ばした。しかし不意に現れた紗依さんに俺の手は掴まれる。
「ワタシニタスケテモラッテ、アナタハ、ドンナキブン?」
区切られたその言葉は俺にとって非常に重い。すると突如、紗依さんは屍となり唸り声をあげる。
思い通りに動かない俺の体を食い始め、徐々に足がなくなり、手がなくなり、あっという間に首元に近づく。
「 」
口は動いた。だが声が出ない。そのまま抵抗できず首元を食いちぎられ、真っ赤に染まったその液体は見事に噴き出す。そして、最後に拓斗がこう言った。
「オマエヲ、タスケナケレバヨカッタ」
****
じんわりと汗をかきながら、目を覚ます。視界に映る光景は先程と変わらない。少し頬が痛む。
周囲を見渡すと、拓斗がちょうど注射を打っていた。拓斗の服は引っ掻かれて一部破けており、足や腕に噛まれた傷がある。
「(……夢、だったのか)」
ポケットから携帯を取り出し時間を確認すると、十四時三〇分を回ったところだ。気絶して、およそ一時間と十分経過している。
両手で体を支えながら立ち上があり、それに気がついたのか拓斗が威嚇の目で睨んできた。
拓斗の目は真っ赤で、さほど恐怖は覚えない。
注射を済ましたようで注射器を地面へと叩きつける。その衝撃で注射器は壊れた。
「ちょ……拓斗。俺の分は――――」
言い切る前に、地面に転がっている注射器を見つけた。中は空っぽで既に使用済みであろう。そう、俺は助かった。
先程、拓斗が注射していたあれこそ『ウィルスを殺す注射』である。
紗依さんのお父さんが勤める会社で、極秘に取り扱っていた抗ウィルス剤だ。
「区宮さん。貴方は今、こうして生きていることが嬉しいですか?」
一瞬、紗依さんが喋っているような感覚がした。しかし、今ここにいるのは俺と拓斗だけであり、それは“ありえない”。それでも拓斗は話し続ける。
「区宮さん。貴方は今、こうして生きているのは何故ですか? 区宮さん。……いや、人殺し野郎様。てめぇは俺の親友を殺してまで、生きてる価値があるのですか?」
その言葉は俺に向けられた非難の声であった。
確かに俺は助かった。けれどそれには、犠牲が必要になってしまったのだ。あの時、選択を間違っていなければ紗依さんが笑顔でここにいたかもしれない。礼儀正しく、凛としており、こんな見ず知らずの俺を助けてくれた恩人を、殺した。この結末になる数時間前のこと、俺たちがこの会社へ辿りついた時にさかのぼる。
****
住宅密集地から遠く離れた、ある高層ビルへと着いた。
紗依さんは呼吸を整え「着きました。ここが父が勤める会社です」、と微笑みながら紹介した。それを見た拓斗は、顔を真っ赤にし見惚れ、俺がニヤニヤ見つめると気づいて顔を叩き始めた。そんなことをしていて、これまで感じていた恐怖は忘れている。
まるで帰宅中の男子たちのようなノリで社内へと入っていった。
社内に入ると一直線の通路の途中に左右の両方一つずつにドアが見える。奥には左右のルートにわかれた道があり、『ウィルスを殺す注射』を探すのは大変そうだ。しかし此方には、紗依さんという社内のあらゆる情報を持つ少女がいる。
在処を知っていると言っていたからスラスラ進めるだろう。
「紗依さん。『ウィルスを殺す注射』はどこにあるんですか?」
「あ、それは……」
そこで何故か口ごもる紗依さん。
「紗依さん、まさかと思いますが……」
「すみません! そのまさかです……。私は父の会社にあるということは知っていますが、社内へは一度も足を踏み入れたことはありません。ですから、隅々まで探すしか……」
季節は冬だというのに、手から汗が出てくる。口の中には唾液が溜まり、無意識に飲み込んだ。
「あ、安心して下さい。ここは屍ウィルスについて研究している会社です。社内にいる研究者たちは噛まれていないでしょう」
「屍ウィルスの研究? 紗依さん、どういうこと何ですか?」
「あっ……」
急に拓斗が舌打ちをした。そして紗依さんを庇うように前に立つ。
「おい区宮、これ以上は何も聞くんじゃねぇ。人間に秘密の一つ二つはあるもんだろう?」
人差し指を突き出し、俺に向けてそう言い放つ。ところが紗依さんが「いいの」、と一言拓斗にささやき、拓斗を止めた。その後は何もせず、ただ引き下がった拓斗。
胸に手を当てた紗依さんは、一度深呼吸をした後に語り始める。
「ここの会社では極秘に死者を生き返す蘇生薬を作成してました。しかしことごとく研究は失敗、マウス実験で蘇生薬を試したらしいですが成功の報告は聞いておりません。ところが何度も何度も調合をしていった結果、ある薬が完成しました。それが屍となるウィルスです。
彼らはその薬を改良していき、どうにか理性を保てるようできないか試行錯誤しました。
結果は、抗ウィルス剤の完成までしか至らず、それも理性のある状態で感染後二時間以内のマウスにしか抗ウィルス剤の効果は現れませんでした。しかし今回、ウィルスが漏れた理由が不明なのです。
カプセル状の薬として頑丈に密閉してあるウィルスなので、誤って飲んでしまうことも考えられなくもありませんが……」
やはり理解し難い。
考えて話しても説明が下手なのは変わらない紗依さん。それでもある程度のことはわかった気がする。
結論から言えば、ここの会社が屍ウィルスを作り、今は原因不明だが、ウィルスが漏れた。そういうことだ。
「話してくれてありがとう、紗依さん。とりあえず、俺は屍にはなりたくない。だから、その抗ウィルス剤? を早く手に入れよう。予備があれば噛まれた時、すぐに治療もできるし」
紗依さん含め、八人の男女が一斉に頷く。その中で一人、拓斗だけはそっぽを向いていた。
紗依さんに止められたのがショックだったのだろう。
俺は心の中で笑い、紗依さんが先頭で再び歩き始める。
10/17 修正
12/02 修正




