春の巻 玖
小倉百人一首に、次のような和歌が収められている。
『みかきもり 衛士の焚く火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそおもへ』
みかきもりとは御垣守、つまり宮廷の門を警護する者たちのことで、衛士もまた同様である。夜間の警護には衛士たちが火を焚いたが、これが漆黒の闇にひどく映えたことは想像に難くない。
現代人がイルミネーションを眺める感覚に似ているのであろうか。この「衛士達が門のそばで焚き続ける火」に、見とれる者は多かったと思われる。
眠れず、あるいはふと目覚めてしまった夜半に、御簾や蔀から門を眺めれば、何も見えない闇の中に、安堵をもたらす明かりが灯っている……というのは、雅を愛する平安の世において、大変に風流かつ心躍る光景であったのだろう。
門を守る火焚きは、和歌の題材だけでなく、心躍るような物語の舞台でもあった。
衛士は様々な地方から京へと集められる。武蔵国から来た一人の若者が、火の番をしながら故郷の歌を歌っていると、それを耳にした姫宮が大層興味を抱いた。やがて、自分を連れていって欲しいと頼み込みむようになった。これに了承した若者は、姫宮と手に手を取り合い、東国の郷里へと下った。二人はいつしか恋仲となり、無事に武蔵国へと辿りついた。追っ手が遣わされるも、若者とともに生きたいという姫宮の意志は固く、ついには帝もお許しになったという。
「更級日記」にて語り継がれる、竹芝の伝説である。
その焚き火を背にして、小夜は目前の人影に驚くしかなかった。まばたくことさえ忘れて、その者の目を呆然と見つめた。
◇
太政大臣邸にて催される、宴がやってきた。
まだ明るいうちから紙燭に火が灯され、酒が酌み交わされて、あちこちで人々が笑いさざめく。流石は権門の一族が催す宴というべきだろうか。贅を尽くした内容に、集まる人の顔ぶれも華やかで、小夜はただ恐縮するばかりである。もっとも、いちどきに多くの人々の名前と顔(あるいは風体)を覚えきれるはずもなく、「あの方は」と華宮に問うてばかりいた。
一方の華宮は実に慣れたもの。挨拶に来る者たちを適切にあしらいつつ、小夜を引き連れて祖父(太政大臣)への目通りを果たした。小夜にとれば太政大臣は大恩人であり、ここでもただ恐縮するしかなかったのは言うまでもない。
「権中納言が次女、小夜でございます。この度は素晴らしい宴にお招き頂きまして……」
舌を噛まなかっただけ、ましだと思った。それぐらい、緊張していた。ここでとちったら、自分はおろか父の首まで飛びかねない……!などとさえ考えていた。
答える太政大臣は好々爺といった風情、その笑顔にはどことなく藤壺中宮や華宮、咲宮に通じる面影がある。
「ああ、堅苦しい挨拶は無用。まだ宴が始まって半時も経たぬのに、同じ台詞ばかりで聞き飽きてしまったよ。どうぞ、楽になさい」
「はぁ……」
「そもそも、宴とはハレの場、楽しむべきもの。厳格に過ぎる礼儀作法は、このような場では少々野暮ではないかね?」
この台詞に、小夜の背後で挨拶の機会をうかがう者たちが呻くようなため息を漏らした。太政大臣派において、この宴に招かれることは出世に繋がる大きなチャンスである。どうにか懇意になるため、せめて名を覚えてもらうため、しっかりと挨拶を……と思っていた者たちはさぞ多いことだろう。
なるほど、先程の太政大臣の台詞は小夜を気楽にさせるだけでなく、その背後に待つ者たちを牽制するものでもあったのか。簡潔な言葉なれど、実に含蓄の多い台詞であることか。
小夜はまず言葉通りの意味に同感であったが、その含蓄を感じ取り、改めて感心していた。一方の華宮はただ黙って苦笑するばかり。
当初は「咲宮が東宮に選ばれることを祈念する」ために宴を開くなんて馬鹿馬鹿しい、と思っていた。選ばれたことを祝う宴ならわかるけれど、まだ正式に決まったわけでもないのに、と。
けれど経緯がどうあれ、始まってしまえば楽しいのが宴というもの。建前の理由はお粗末であるが、太政大臣は切れ者であるようだから、何かしら目的があるのだろう。小夜のような小娘には計り知れない、政治向きの何かが。
宴に招かれるとわかったとき、「何かが動いている」と感じることはできた。それが何か見極めたいと思ったが、叶わなかった。
流れを作るのは自分ではない。だから、ただ流されるままに赴くしか仕様がないのだろう、と小夜は思おうとした。
流されるままに、生きる。
その生き方は、北の方や義姉に疎まれ蔑まれて暮らすことを、ただ甘受していたあの頃と変わらない気がして、心のどこかが軋むような痛みを覚えた。