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春の巻 漆

 三月になった。(*1)

 桜の葉の緑は陽射しとともに日々鮮やかさを増し、人々のまとう衣の色調も躑躅(つつじ)や藤など、次の季節の色彩へと移り変わりはじめていた。

 小夜が賑々(にぎにぎ)しくも橘中将との体面を済ませてから、三日と経たぬある日のこと。華宮のもとへと、宴の知らせと招待を告げる文が届いた。

 書状は、みずみずしい若葉を思わせる薄緑の和紙に、美しい筆跡()でしたためられていた。こんな大変に趣味の良さそうなもの、一体どこから届くのだろう。小夜が疑問に思う横で、華宮が書状を読みながら眉間にしわを寄せた。小声で毒づく。

 「……そりゃあ、ぼろを出したって全部は口走って帰れないはずだわ」

 近々、とうっかりこぼしてしまった橘中将のことらしい。彼はそんなにも上位の方から口止めをされていたのだろうか?

 「誰がこんな馬鹿らしいこと言い出したか知らないけれど、それに乗ってしまうおじいさまもおじいさまだわ」

 ため息をもらす華宮は、宴の趣旨が気に入らない様子。なぜだろうと小夜は頭をめぐらせる。えーと。

 華宮の生母は藤壺中宮。その父、つまり華宮の祖父と言うと……手紙の主は、太政大臣だろうか?


 宴の場所は、宮中からも程近い、二条にある太政大臣邸。宴の趣旨はというと、「親王咲宮が東宮に選ばれることを祈願するためのもの」なのだそうだ。

 「ええと……権門の華やかな方々は、どんなことでも宴に変えて楽しいことへと転じさせてしまわれるのですね」

 そんな仕様もないことで宴を開くのか、とは流石に小夜も言うことができず、なんとかそれだけを言った。なにせ催し主は、自分が仕える華宮の祖父なのだから。

 「小夜の選ぶ言葉にしては、耳あたりがひどくやわらかね」

 「ええと、その……いえ、ご勘弁ください」

 「冗談よ。わたくしでさえ、この宴を『馬鹿馬鹿しい』と切り捨てることなどできないわ」

 苛立たしげに、扇を開いたり閉じたり。眉間を押さえてみたり、こめかみを押さえてみたり。華宮は大層おかんむりの様子だ。

 しかし小夜にとってみれば、太政大臣はとても恩ある人物。政治での父の後ろ盾であり、なにより華宮へ仕えよと推挙して下さった方だ。その太政大臣が呼んで下さる以上、疎かにはできないし、むしろ喜んで琴の音を献上するべきなのだろう。

 筝の琴を、練習しなくては。

 心中焦る小夜をよそに、上総が華宮へ声をかけた。

 「それより、宮さま。小夜の衣はいかがいたします?」


 華々しく執り行われる宴であれば、皆美しく着飾って訪れるもの。

 しかし小夜にはそれに相応しい衣装がなく、また実家も頼れなかった。残念ながら父の趣味はイマイチである。義理の母の趣味は確かだが、本当に良い衣装を送ってくれる保障は全く無い。ぼろか、季節外れの流行遅れを宛がわれるのが関の山だろう。

 そう思っていたところ、華宮が(実際には上総が)小夜の衣装を手配してくれるという。彼女が選んでくれるのならば間違いはないだろう。

 「小夜には藤色が合うと思っていたのよ!ねえ上総、これに合う浅葱の(ひとえ)はないの?」

 「浅葱では、少々おとなしすぎやしませんか?宴なのですから。いっそ生成りを通して萌黄に変えてはいかがでしょう」

 「そうねぇ。ただ、小夜は肌が白いから、緑のような濃い色合いも似合うのよね。そう、そちらも羽織って見せて。……ねえ、小夜はどんな色がいいの?」

 「………宮さまに、お任せいたします」

 自分が気後れしてしまうほど良い衣を用意してくださること(宴には良いだろう)、そして上機嫌に変わった華宮の着せ替え人形になることを耐え忍ぶことを除けば、小夜には願ってもないことであった。


 「宴に正式に招かれたのであれば、ご挨拶に伺った方がよろしいのでしょうか?」

 ひとしきり小夜を着せ替えて満足した表情の華宮に、小夜は訪ねた。筝の琴を練習しなければ、と用意していたときのことである。

 「そうねぇ……あら、そういえば、お兄様に会ったことはなかったのよね」

 小夜が挨拶に回ったのは、華宮の母、藤壺中宮のみである。宴の主役である咲宮には、まだ会ったことがない。そしてこの不可思議な宴を催す、太政大臣にも。

 「おじいさまはいいわ、きっと今頃、忙しそうにしているから。わたくしが行ってもほとんどお会いできないのだし。宴の席で顔合わせとする他ないでしょうね」

 太政大臣ともなれば、政務に私事に忙しいのだろう。自由のままならない孫娘が会いに行っても、会うことが難しいだなんて。小夜には想像も付かない。

 「それなら、宴の前に一度、お兄様のもとへ行きましょうか。小夜がどんな子か、気にしているようだったし。琴の音を聞かせて欲しい、とも言っていたわ」

 「……そんな大層な腕前ではないかもしれませんが、とお伝えください」

 これは軽い練習で済まされる場合ではなさそうだ、と小夜は慌てて絃を整え始めた。


*1 2007年を例に取ると、4月1日(およそ桜の咲く頃)は旧暦2月14日。旧暦3月1日は4月17日とのこと。桜の葉が本格的に芽吹いて益々暖かくなる、過ごしやすい季節を想定してください。

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