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春の巻 拾八

 気難しい姫宮だと、陰口を叩かれるところに居合わせたことがあった。

 物心がついた頃だろうか。時期も相手の顔も、もう覚えていない。


 「貴女、あっちへ行って。わたしは、宮さまと二人で遊ぶの」

 どこの娘だったのだろう。あるとき、貴族の娘が上総に向かってこう言い放った。

 太政大臣に取り入る者たちの娘が、入れ替わり立ちかわり華宮に引き合わされたことがあった。母のいる藤壺を出て、別の場所に自室を得たばかりのころで、良い女官候補を探す只中にあった。頼れるのは母が遣わした上総だけ。その母と上総の仲に憧れるものの、果たして望むような娘は現れなかった。

 「宮さま、今日は何をいたしましょう?先日私の父さまが―――」

 おそらく生家では我侭放題に育てられた娘ばかりだったのだろう。父の自慢、見え透いた媚、なにより、上総を「所詮はしがない身分の従者」として軽んじ、遠ざけようとする姿がひどく気に障ったことを覚えている。

 「帰ってちょうだい。あなたと居る気はないわ」

 当時の華宮は良い物言いを知らなかった。頑なに娘達を遠ざけ、母を祖父を上総を心配させ、いつしか気難しい姫宮と思われた。長じるにつれて表面を取り繕うことはできるようになったが、そのたびに心のどこかが《かつ》餓えるのを感じた。


 「お兄様の所へ遊びにいらしたのなら、わざわざ私のところへ寄っていただかなくても結構です!」

 幼馴染である橘中将と、軽い仲違いをしたのもこの頃だった。

 兄弟(はらから)は仲良くすべしとの祖父の方針から、華宮は咲宮と分け隔てなく愛情を受け育てられた。実際、母を同じくする兄弟のなかでも、かなり仲の良い方だったと思う。後に小夜と義姉の不仲を聞いて、己は幸せな子供時代を過ごしたのだと痛感するほどである。

 その仲の良い兄にさえ、橘中将という竹馬の友が居た。それが羨ましくて妬ましくて、橘中将に言いがかりをつけた。自分を案じて顔を見せてくれたのを、卑屈になって遠ざけようとした。それを諌めてくれたひとが居て、別に気になりませんよと笑い飛ばしたひとが居て。この出来事が自分を少し変えたと思っているから、苦いけれど大切な思い出なのかもしれない。

 それ以来、兄とも橘中将ともそれなりに良好な関係でいる。妬ましい気持ちがあっても、うまく隠して気にしないことを覚えた。


 母の局を訪れれば、表情に乏しい上総までもが笑顔になった。他の妃だけでなく、時には政敵となる殿上人たちとも強かに渡り合う母中宮が、上総を見て安らいだ表情を見せた。その様を、何度も眺めては憧れて羨んだ。羨むだけでは道は開けないと知っていたが、ずっと為す術がなかった。

 こちらの娘を女官として所望するならば、あちらの娘も重用しなければ均衡が取れない。身分が高いということは、それだけ人間関係で雁字搦めに縛られるということである。立場として申し分ないとしても、うまが合わなければ信に至るはずもなく。華宮の周囲は、母中宮のもとから連れてきた年かさの女官ばかりだった。

 高望みだとは思っていた。けれど、妥協するつもりはなかった。どの道を選ぼうと、今後華宮がこの窮屈な都でしっかりと生きていく為には、信の置ける従者が必要なのだと子供心にずっと思っていたから。


 それだけ必要としていた存在が、思わぬ紹介から手に入った。渡りに船だと思った。

 唯一無二の友であり従者であれる者。世間知らずで自信に欠けるが、大事なことに自立心があった。何より優れた女官として在ろうという意識があり、また上総を尊敬していた。不思議と気性が合って、嬉しくて仕方なかった。口止めさえなければ、早くから全部打ち明けて、もっと心の底から信頼できる仲になろうと思うのに。

 尚のこと、手放したくはなかった。望みも小夜も、どちらも選べないなどと言っている場合ではないはず。

 (罰でも当たったのかしら)

 我侭は許さない、と母は言った。違える気はないが、黙ってやり過ごすのは苦しい。誰かに相談して和らげたいけれど、果たして、誰に?迂闊にも吹聴されてしまえば、自分以上にあの人が終わる。相談相手など、口止めをされても小夜しかいないのだ!

 ああ、どうしてこんなときに限って、くだらないことで八つ当たりなどしたのだろう。上総に諌められるまでもなく、小一時間前の自分を呪いたい。小夜は言葉では厳しくとも、根は優しい子だから、きっと赦してくれるのだろう。けれど、それだけで良しとするかどうかは、自分の矜持の問題。

 見慣れた(しとみ)()が見えてきた。小夜が帰りを待つはずの部屋は、もうすぐだ。騒々しく駆ける足音を聞いて、きっと驚くのだろう。そして先ほどのことなど最初からなかったかのように、急ぎ現れた自分を心配してくれるのだろう。

 小夜の優しい気持ちに報いるには。それから、母と上総のような関係に、互いに信を置ける仲になるには。

 (全部、打ち明けよう)

 口止めなどこの際知るものか。そもそも、このことを先んじて報せてくれなかったあちらが悪い。

 小夜がこの内裏に呼ばれた理由。自分が小夜を欲する理由。些細な八つ当たりの原因も、なにもかも。きっと、それしかないのだろう。


次から、ようやく小夜視点に戻ります。

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