春の巻 拾六
執筆当初はここで閑話が入る予定でしたが、時系列がなんだかおかしいので後回しします。
今回は華宮視点。
藤壺に程近い控えの間に、華宮は通された。母である藤壺中宮は、来客の為人払いをしているという。娘でさえ遠慮無しに立ち入れる訳ではないのは昔からで、最早それが哀しいと思う心もない。そもそも、小夜を振り切るようにやってきてしまったので、待ち時間が生じるのはやむをえなかった。ただ、沈黙を貫く自分が少し退屈だった。
所在なく待っていると、ゆったりとした足取りで控えの間に上総がやってくる。渋い顔をしていた。
「宮さま、少々おいたが過ぎませんか」
「……」
言われるだろうな、とは思っていた。それを素直に認めたくなくて、華宮は明後日を向き口を尖らせる。
「お忘れですか。小夜はもともとこの宮中で拠り所を持たぬ身。宮さまにそっぽを向かれては、あの者はほんとうに宮中での行き場を失うのですよ」
「行き場なら、あるじゃないの。小夜が望むなら、さっさと行ってしまえばよいのだわ」
「宮さま」
咎めるような上総の一言に、はたと華宮は己を恥じた。売り言葉に買い言葉とは言うものの、望んでも居ないようなことを口走れば、それは真事となって己に返ってくるのが世の常だ。ひとはそれを言霊と呼ぶ。
言ってしまった、とおそるおそる上総を振り返ると、目を合わせて彼女は呆れたように嘆息した。華宮に反省の色を読み取ったようだった。
彼女はもともと、母中宮に使える女官だった。受領階級の夫がいたが、夭折したそうだ。後添えにという縁談もいくつかあったと聞くが、全て断り中宮の傍を離れなかったという。
子供のない上総には、華宮も、咲宮も、よく叱られた――それこそ、母中宮以上に。躾けの親と言っても過言ではない。それが煙たいこともしばしばだったが、同時に愛情も感じていた。
「わたくしは宮さまの目指すことに異議を唱えるつもりはございません。ご自分のことを良くお分かりになったうえで考え、結論を出されたことなのですから。だからこそ、一時の短慮でふいにしてはなりません」
ほんとうに上総はよく支えてくれたと思う。政治向きのことに関わるのは祖父や叔父たちで、今上のただひとりの姫宮といえど進む道は思うままにならない。ならない中でせいいっぱいのことをしようという華宮を、上総は黙って導いてくれていた。
「………わかっているわ。ちょっと、八つ当たり」
あの場に、自分だって立ち会いたかった。あのひとの姿を見られたかもしれない機会など、いつぶりだっただろう。声を聞けただけでも幸せであるはずなのに、姿を見たいなんて、自分はとんだ欲張りだ。
尤も、その思いを遂げるためにいま、自分はあれこれと頑張っているところなのだけれど。だからといって、小夜に八つ当たりして良いはずがない。あのとき、見たことも無いくらい青ざめた顔色をしていた。見ているこちらの心が苦しくなるほどに。
「戻ったら、謝るわ」
よろしゅうございます、と頷く上総はいつもの仏頂面。けれど、少しだけほっとしたような雰囲気があった。酷いことを言ったなら、謝る。喧嘩をしたなら、仲直りをする。それはきっと当たり前のことなのだろうけど、その「当たり前」をできる相手などこれまでいなかった。だから、きっと自分は小夜の存在に感謝するべきなのだろう。
藤壺の間へと通される道すがら、華宮は上総に問うた。
「ねえ、上総は母さまと喧嘩ってしたの?」
「そりゃあ、しましたよ。回数なんてもう覚えてもいませんね」
賑やかしく話をしながら藤壺に通される。通してくれる女官もみな母の配下だから、にこにこしながら話を聞いている。
「ただいま戻りました、母さま――」
いつものように御簾をかきわけて中に入ると、母中宮が厳しい顔をして座っていた。
華宮だけでなく、背後で上総までもが驚いて立ち止まった気配がする。呆然とする一方で、ああ、先ほどの小夜はきっとこんな心持ちだったのだ、ほんとうに申し訳ないことをしたなぁ、と頭のどこかで華宮は考えた。