春の巻 拾弐
匿ってほしいと言った公達は、身じろぎひとつせず息を潜めた。御簾の外では衛士たちが返答を待っている。
もし、誰も居ないと見なされれば彼らは通り過ぎていくだろうか?――まさか。間違いなく部屋に踏み込まれる。衛士が一人なら文の使いの可能性も高いけれど、騒がしく現れたのは数人。おそらく公達を探しているのだろう。
「私が」
小声で伝えて御簾から顔を出す。ひょこりと現れたのが少女であったことに、男たちが軽んずる気配がした。負けてなるものか、と胸の内で声がする。
「何事で御座いましょう」
低く落ち着き払ったような声を出した。松明の揺れる夜闇にその声が響き渡る。男たちが一瞬沈黙し、ややして先ほどの声の男が話し出した。
「先ほど屋敷に曲者が侵入したらしいのです。宴の夜に曲者を許したとあっては、主様の名折れとなりかねぬ事態。中を検めさせていただきたく存じます」
「それはできませぬ」
静かに言い放つと、男たちがかすかに鼻白むのがわかった。それに怯えたくなる自分を叱咤する。
「――ですが」
こんな時にいちばん頼りになるのは誰だろう?小夜の知る限りでは、おそらくそれは上総だ。その上総が自分に乗り移ったと自己暗示をかけて、小夜は必死に虚勢を張った。
「たとえ曲者が屋敷に入ったとて、夫君や父君でない殿方に婦人の寝所を検めて頂くわけには参りません。まして、身分ある方の寝所であれば尚のこと」
(本当は、身分ある方の寝所とは隣のことなのだけど)
その高貴な女性に付き従う者へ与えられた部屋なのだから、言わば主の部屋も同然なのだ。と、思うことにしよう。
多くを語ることは、却って嘘を暴く種になることがある。だから、中で休むのが誰かなんて詳細は告げない。けれど多くの人が集まる宴の夜に、対屋に寝所を与えられるのは、ごくごく限られた者のみ。太政大臣と縁ある高貴な女性……となれば自ずとその正体は知れるもの。
衛士たちは、ここが誰の部屋か思い当たったようだった。ざわめきが少し小さくなる。困惑と――諦めのような空気がかすかに漂う。しかし主格と思しき男は言いつのった。
「身分ある方の寝所であるからこそ、危険がないか確かめるべきではありませんか?」
そう来ると思った。彼の言葉は確かに正論であり、また隙も少ない。権門の二条邸を守る衛士としては、大変に適任で信用できそうだと小夜にも思えた。しかし今はそう言っていられない。
「私の主様は宴でお疲れの様子で、今しがた御休みになられたばかり。眠りを妨げることはできかねます」
宮様、と言いそうなところをなんとかぼかして、小夜は反論する。
「二条様の屋敷ならば安全とお考えのうえで、この奥でお休みなのです。二条様*1とて、ご心配をおかけになるようなことは避けたいと、きっとお考えのことでしょう」
内親王という身分のため、華宮は宮中に閉じ込められた生活を続けている。そんな彼女に許される数少ない外出先が、この二条邸なのだ。そして様子を見ていれば、太政大臣が華宮を大切にしていることなどすぐにわかる。曲者の侵入があったことが知れ渡り、二条邸への外出が差し控えられる…といった事態など、華宮にとっても太政大臣にとっても避けたいことに違いない。
「何より、曲者は宴の客には秘密裏に捕えねばならぬ筈。無用な騒ぎを招いては、二条様にとって良いことではありません」
都には娯楽に飢えた貴族たちが山ほど棲んでいる。ゴシップが政界追放を招いた例もまた、飽きるほど存在しているのだ。太政大臣が根も葉もない噂ごときで権力を落とすことはないだろうが、危険性は避けるに越したことはない。
「ですが……」
衛士の頭と思しき者は、いまだ釈然としない顔をしている。
部屋の奥に休む婦人だけでなく、太政大臣の立場も慮ることで、小夜たちが彼らの敵ではないと伝わればいい。ただそれだけでいいのだけれど、果たして目の前の衛士はそれで引き下がるだろうか?どうにも、今ひとつ決め手に欠けるようで、それが小夜には歯がゆくてたまらない。部屋の捜索を頑迷に拒むほど、不審さが増すのもわかっているから尚更嫌になる。
暗闇で息を潜めた、あのとき。自分が何とかしなくては、と思ったのだ。もしも自分に何かできることがあるのなら、その何かを果たしたいと思ったのだ。
勢いに任せて飛び出したはいいけれど。
一体、どうしたらいい?
混迷を極める小夜の耳に、そのとき声がした。
「あの、すみません。西の対屋に、賊が――」