表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/20

春の巻 拾

 宴は和やかに続いていく。気づかぬうちに、春の宵は更けて。

 「先ほどの琴をしかと聞かせてもらったが、いや実に素敵な――これ、同じ年頃の娘さんはこんなにも大人びているぞ。其処のおてんば姫宮も見習ってはいかがかな」

 「もう、おじいさまったら!」

 前半は小夜に、後半は華宮に向けられた台詞である。軽いお説教のような口ぶりだが、目元には笑い皺が寄っている。華宮はほんとうに、あちこちで可愛がられ、大切に育てられてきたのだなぁ、と少しだけ羨ましい気がした。と同時に、そんな方にお仕えすることを誇りに思う気持ちがした。

 「ははは、そうやって怒る間はまだまだ子供である証拠。君もそう思わないかね?君のことはよく聞いているが、仲睦まじい様を見て安心したよ。これでも大事な孫娘だ、これからもよろしく頼む」

 楽しんでいくといいと笑顔で言い残して、太政大臣は瞬く間に人ごみに消えた。地位が地位だ、受けるべき挨拶は山ほどあるのだろう。現に、去っていくと同時に周囲の人ごみも動いて、太政大臣の後を追ったほどだった。

 (大山……っていうか、嵐が去った……)

 笑顔の朗らかな人物だったが、野心や企てはその奥に巧妙に隠していられるようだった。存在感に飲まれないように気を張っていたら、気づかぬうちに消耗していたらしい。

 ふう、とため息をつくと華宮が笑った。

 「疲れたでしょう、お兄様へのご挨拶は明日にしましょうか。きっと今頃、おじいさまより長い行列を抱えてうんざりしているから」

 宴の主役である咲宮へ、挨拶に行く人数は太政大臣の比ではないだろう。声を掛けて頂くよう、何度でも並ぶ者だって居るはず。

 「……そうですね」

 ほっとして小夜は笑った。緊張が解けて、途端に眠気を感じる。現金なものだ。



 宴であるからには、夜通し酒を飲み交わして騒ぐ者たちがいる。酒に強くない者は、広間や縁側などで酔いつぶれて眠ることもある。

 太政大臣の計らいにより、華宮と小夜は屋敷の東側に休む部屋を宛がわれた。自宅や宮中以外に泊まることは、外出経験の乏しい小夜には初めての体験である。ひそかに心躍ることであった。

 一方の華宮は、母方の実家とあって何度か訪れたことがあるという。

 夜も更けて暗いため、部屋や調度をじっくりと眺めることはできない。それが残念だとこぼすと、「大したことはないわよ」とさらりと流されてしまった。きっと良いものを見慣れた華宮ならではの台詞だろう。太政大臣からの文はとても趣味の良いものであったことを思い出して、明朝が楽しみになる。小夜のわくわくが減ることはなかった。

 華宮の身の回りの世話を果たし、自分に与えられた部屋へと戻る。釣殿や、屋敷の西の手がにわかに騒がしくなる。衛士たちも酒を飲み交わし、楽しく騒いでいるのだろう、と思っていた。


 バサッ。


 何かが御簾にぶつかって、御簾が一度大きくはためいた。振り向きざまに見えたのは、月明かりの下ひるがえる人影がひとつ。何事だろうと端近に寄って行くと、ぐいと腕を掴まれて何者かに引き寄せられた。

 「――!」

 誰か、と叫ぼうとするが声にならない。その何者かが手で小夜の口をふさいだためだった。ふさがれた口元まで恐怖心がこみ上げる。必死にもがいても腕は手は離れなくて、力では到底かなわなくて。


 一体誰なのだ、こんなことをするのは。かつて小夜に恋文をしたためた者達のひとりだろうか?小夜がその誘いをすべて断っていたのは、その気がないのもさることながら、恋の駆け引きなど全く経験がないためだった。

 そう、これまでこんな風に誰か男の訪いを受けたことなんてなかった。良縁は全て義姉のもの。妾腹でも構わないという男は義母がはねのけた。下手に縁づいてしまうと後々面倒だから、というのが理由だろう。それ以前に、かつては父の出世が鳴かず飛ばずで、大した縁談そのものがやってこなかった。


 ――だから、こんなことが起こるなんて危機感は全くなかった。


 噂には耳にしたことがある。求愛の文に良い返事がないときに、居室に押し入り半ば力ずくで意中の女性を妻とする、無粋な男達もいるのだと。有名な物語では、その者は姿形が無骨なだけで、妻も子も大切にする男だと後々になって知れた。(*1) けれど現実がそんなに甘くないことは、小夜は自らの短い半生をして充分に解っている。

 宮中では守られていた、と今更気づいて臍を噛んでも遅い。華宮に咲宮に良くして頂いて、太政大臣の権力に擁護されていた。それにただぬくぬくと甘えていただけの自分が嫌になる。せめて自分の身に降りかかることぐらい、自分で何とかしなければ……と思うのに、身体が動かない。

 もがけばもがくほどに強い力で押さえつけられる。驚きと恐怖に、もう暴れる腕にも力が入らない。

 一体、どうしたら。

 怖い。誰か。


*1 これは源氏物語、玉蔓と髭黒大将の物語をモデルとしています。平安時代当時は残念ながらままあることと思われた為このような描写をしましたが、現代においては犯罪となることは言うまでもありません。身勝手な犯罪が少しでも減ることを微力ながら祈っております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ