かつての顎 かつての牙
「お譲りになってしまったのですね」
去っていくアルト達を眺めている老人に、ケントワルドが声を掛けた。
老人は、にこやかに黙って頷いている。
「強かったから…ですか?」
今度は、黙ったまま首を横に振った。しかし、その顔には笑顔が浮かんだままだ。
先だって、アルトと戦ったときに浮かんでいた顔の険はすっかり流れ落ちている。つき物が取れたかのように、ただただ好々爺という風情だ。
「では…」
なぜです?とは、ケントワルドは続けなかった。それが自分でも説明が付かない事なのではないかという、確信にも似た予感があったからだ。仮に、何らかの言葉で説明されたからと言っても、それで納得がいくとも思えなかった。
「お前が望むなら、彼奴から受ければよい…とは行かぬだろうなぁ。歳が近すぎる、それに、あの孺子は返しに来そうな…」
「予感がする、と」
コクリ
静かに頷いた老人の顔はやはり穏やかだ。遠くを思うように、何かを待ちわびるかのように、しかしそれをさも寂しげに。
「私は彼に弟子入りします。恐らく、簡単には許してくれないでしょうが、そこは意地でも弟子になります。そして、あなたの元に返った剣を受け継げるようになります」
淡々と話す。
そう、演技をするケントワルドに、目を合わせることなく老人が頷く。
「またお会いした時には、進歩した姿をお見せします」
段々と声に震えが伴ない、その拳は強く握られていく。
「ですから…ですから…その時まで、どうか御健勝を」
「ああ、楽しみにして置く」
振り返り、己の騎獣リアンに跨ったケントワルドは、騎上リアンを走らせながら叫んだ。
「今は、おさらばです!曾お爺様、どうかご自愛なさって下さい!」
朝焼けの中を駆け出していく若者達を見るかつての英雄の顔は、今は何処までも優しい。
幾つかの枷を脱ぎ、1人の老人として在る今を、老人は喜びと小さな寂しさの中で生きる。
大陸の北方。激戦渦巻く南方とは違い、平穏の名に相応しい大国、ローデラシア。その大国に残る救国の英雄「竜の顎」。
竜の上顎、シェドバルト。
その生まれもっての剛力と、卓越した剣技を持って周囲に敵を寄せ付けぬ剣の結界を持つ極限の剣士にして軍師。
竜の下顎、リューイ。
双剣に炎を纏、呪式強化した速度で戦場を疾駆する最高の剣士にして、衆郡もろとも灰燼と化し泥濘のそこに沈める呪式の極み。
かつて乱を治め、現在の平穏を祖国に作り上げた英雄2人。
シェドバルトは、すでに天空の住人となり、地の底で眠っている。
そしてリューイは、アルケオニムと完全同調した上での呪式開放により、呪を受けた。
呪式を使う誰しもが知っていながら、気付かなかった事、あるいは、意識的に見ぬふりをしてきた事。
呪。
なぜ呪式と呼ばれるのか。
かつて魔法と呼ばれたものから生まれた力、魔法の忌み子。
呪式。
呪、あるいは祝福。
それをどう受け取るのだろう?それは人によって違うのかもしれないし、万人共通の、真理の様なものがあるのかも知れない。
しかし。
病に朽ち行く友を救わんと、放った呪式により受けた反動。
延命。
寿命の長化。
老化の抑制。
権力者の希求、王者の本懐、覇王の究極の野望、全ての人間が一度は望むであろう事。
その祝福を受けたリューイは生き。
病の中でシェドバルトは死んだ。
リューイは権力者の目から逃れるため、名を捨て亜人の里で隠遁している。
かつて、その半身と武器を手に入れた場所。
半身の眠る地を離れ。
家族の下を去り。
尋ね来る者もいない。
そして、半身と己の武器を手放した今。
名前を名乗らぬ老人は、1人静かに笑う。
読んで頂きありがとうございます。
一応、タグにもありますが。なんなんでしょう、このご老人方の多さ。
老人の過去や、考え方を想像するのは物凄く楽しいです。
男はやっぱり50を越えてから。
今も昔も、私のヒーローは秋山小兵衛です。