分け抜け
半歩前に踏み出した右足は、猫科の猛獣のように撓められ、地を踏みしめる。
背筋から連なる軸足となった左足は、緩やかにその重みを支える。
背を軽く曲げ、両手は重力から解き放たれたように自然に、円をかたどる。
左腰に差した刀の前で、その両腕がさらに大きな円を描く。
水が高きから低きへ流れるように自然に。
そのままの形を保ち、髪の毛の一筋さえも揺るがない。周囲の空間ごとまとめて凍結させたかのように、その場には動きと言う物がなかった。
「師匠……」
その完成を感じさせる雰囲気に圧され、バイエルラインはどう声をかけてよいのか分からず、へなへなと小声で声をかけた。
当然のように無視されたので、かさかさと左右に動いてもう一度声を掛ける。
「し…師匠~~」
先ほどに比べれば、はっきりと発音しているのだが、相変わらず弱弱しい。
「あの~、師匠!師匠。し・し・ょ・う」
激しく動きながら、今度ばかりははっきりと声をかけたのだが、やはりアルトは反応を示さない。如何した物かと思い悩み、ふと気が付いてここまで引きずって来たケントワルドの事を思い出す。
両者共に気絶した2人だったが、短い期間とは言えアルトにしごかれていたバイエルラインの方が復活は早かった。そのままにして置くのもなんだが、背負って運ぶのも嫌だったので、襟首を掴んでここまで引きずってきたのだ。そうした所、動かなくなっている師を発見し、気配に圧された結果馬鹿馬鹿しい行動をとっていたのだが。
「そうりゃ!」
気合と共に、引きずって来たケントワルドを頭上へ持ち上げると、そのままの勢いでアルトに向かって放り投げたバイエルライン。
その次の瞬間、投げられたケントワルドの体は、しばらく地面を削りながらこっけいな格好で停止し、アルトの姿は軸線上から消えた。
消えたアルトは、バイエルラインの両手を関節にとって極め、首を締め上げる。落とすような絞め方ではないので、単純に苦しいだけの絞め技だ。
「寝惚けているのか、馬鹿弟子」
そのまま、絞める場所を首から頭部へ変えると、今度はかなり力を込めて締め上げた。バイエルラインは声も出せず、ただ少しずつ息を外に漏らす。
そのまま、絞めたり緩めたりを数度繰り返した後、開放されたバイエルラインは、へなへなと力なくその場にへたり込んだ。
「褒めてやろうと思っていたのに、どういった了見だ。馬鹿弟子」
「こ…、声を掛けたっ、ぬお、ですが。えふっ。はぁ、反応が無かったもので」
「何時もやっている修行の延長だろうが。何をそこまでして」
やや呆れながら、ケントワルドを拾いにいくアルトへ、バイエルラインが食って掛かった。
「全然違いましたよ!その雰囲気とか、受ける感じとか。それに、その剣は」
そう聞くと、アルトは不意を突かれた様に目を開いたが、直ぐにその顔を笑顔に変えた。普段中々見ない師の笑顔に、少しばかり動揺する弟子。
「な!何です?」
「いや、弟子の思わぬ成長というのは嬉しい物だと思ってな。もう一度気が変わった、褒めてやるバイエルライン、いい勝ち方だった」
そう言ってアルトが笑みを強めると、バイエルラインは不思議そうに尋ねた。
「でも、引き分けでしたよ」
「先に気が付いたんだろう。だったら勝ちだ。それに、技では劣っている状態から分けを得たんだ。大勝と言っても良い」
勝ちと言われた事には嬉しそうだが、技で劣ると言う事に関しては不満げだ。それに気が付くと、アルトは楽しそうにバイエルラインの頭に手をやった。身長ではバイエルラインの方が高い、ややあべこべな印象は受けるが、それはそれとして子弟に見える光景だった。
「今のお前には、基礎しか叩き込んでいない。だがな、もう少しだ、そこでお前は化けるぞ。一気に強くなる感覚というものを楽しみにしておけ」
そこまで言われれば嫌は無い。
バイエルラインもただ楽しそうに頷いた。
そして、漸く気が付いたケントワルドは、アルトに抱え上げられたまま、それを聞いていた。
悔しそうに、そして、羨ましそうに。
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