戦場単騎
「爺」
「何だ孺子」
「俺は、言葉の難しさと言うものを目の前にしているわけだが、どう思う」
「呆れ果てて言葉も無い」
「同感だ」
アルトと老人の目の前には、二組の騎士がいる。
1人はバイエルラインで、今回旅に使った馬に、借りた鞍を載せてグレイブを構えている。本来付いていた鞍は、旅用で柔軟性には富むが、武装の装着や細かい馬の取り回しには向かないので、専用の物を借りたからだ。
もう1人は無論ケントワルドで、こちらはきちんと自前の鞍で長騎剣を構えている。別名を斬馬刀とも言い、騎乗者を馬ごと切裂けるほどの長さと重さを持った剣だ。
さて、お互いに長物を持ち、馬にまたがっているのはいいのだが、二人の間には大きな隔たりがあった。
簡単に言えば、ケントワルドの馬は宙に浮いているのだ。
羽の生えた馬を見た時、アルトはペガサスを連想し、その想像図との差異に少なからず困惑した。
形はやや小柄な馬なのだが、全体を長毛犬種のように長い毛が覆っており、垂れ下がった毛で、全体が隠れて特に目は埋もれている。そして、その翼は羽ではなく、蝙蝠の様な飛膜に毛が生えたもののようだ。
「飛んでるな」
「珍しい物を持ってやがるじゃねえか」
「あれは、何だ?」
老人がなにやら知っていそうなので、アルトは尋ねた。老人は、軽く目を細めると、思い出すように額に手を当てて答えた。
「確か、エルフどもの使っている、リオンだかリアンだか…馬のようには見えるが…確か竜に近いとか、何とか」
「じゃあ、馬じゃないって事でいいな」
「羽の生えた馬はいねえよ」
どうやらこの老人も、ケントワルドがこのような物を持っているのは知らなかったらしい。鼻を鳴らすように答えたのを聞くと、アルトは2人の間に入り、声をかけた。
「止めろ、止めろ、騎馬同士というから経験と思ってやらせてみようと思ったが、これは予定外もいい所だ」
老人のほうも、興がそがれたようで、アルトの後ろで頷いている。
「何を言うか、騎戦にはなんら変わりないだろうが」
ケントワルドは、頭上から返答を返したが、バイエルラインのほうも
戦えと言われたり、一方的に止めろと言われたりで、少しばかり心象よろしくないようだ。不服そうな顔をしている。
「しょうがないな」
珍しく、困った顔をして腕を組んでアルトが考え込んでいると、後ろから声が掛かった。
「素手でやらせてみるのも面白えかもな」
そう、言うやいなや老人の手から4つの飛礫が飛んだ。それは、2人を馬から落とし、同時に得物を手から弾き飛ばした。
「お互いに、素手で殴り合って決着つけてみろや。そんな事も、たまには楽しめるってもんだ」
一瞬呆気にとられた2人ではあったが、直ぐにお互い向き合うと、拳を突き出し構えを取った。羽の生えた馬と、生えていない馬はなにやら分からないまま上に乗る荷物が無くなったので、その場に留まったまま動かない。
「いくぞ!」
「応!」
ケントワルドの足が伸び、バイエルラインの太ももを蹴る。バイエルラインはひざで受け、上半身をひねるように肘をケントワルドの胸に突き入れようとする。ケントワルドの拳が、同時に突き出され、お互いに胸と頬を打ち合い分かれる。
互いが、互いの拳にあたり、ひざを打ち、肘を叩き付け、脚が払い、足がふむ。技巧を凝らしたと言うものではない、ただ、当るに任せた稚拙な立会い。
「良いねぇ。若いもんは、こんな物も楽しいじゃねえか」
老人が、アルトに向き直ると、アルトは老人がはっと驚くほど苦く、そして寂しげな顔をしていた。
「孺子、お前…名前はなんと言った」
急に名前を聞かれたアルトは、不意を突かれたこともあり、素直に答えた。不意を突かれただけではなく、他の心の動きもあったろうが、その事を簡単に表面に出したりはしない。それでも、苦い顔をしていたのは、老人なればこそ見抜けたもので、常人であれば、平呑な表情にしか見えはしない。
「アルト・ヒイラギ・バウマン」
「そうか……ちょっと、そこで待ってろ」
老人は、一言そう言うと、何処かへと歩き去った。アルトの目は、2人の戦いから離れはしない。焼き付けられた光景のように、杭で貫かれたかのように凝視している。
殴り合い。
子供のけんか。
子供達の戯れ。
知らない。
そんなもの、知らない。
した事も、見た事も。
殴るとき、それは相手を殺すため。
攻撃は、殺意を持って。
相手に必殺の一撃を。
相手に死の道を作るため。
アルトにとって、攻撃とは、確殺の力を手に持ち、殺意を胸にするもの。
相手を殺さない時には、情けをかけるわけではない。
更なる情報を、何らかの利益を得るために殺さないようにする。
もしくは、ただ殺すよりも、大きな痛みと恐怖を与えるため。
バイエルラインのケントワルドの2人の応酬は、子供のじゃれあいと言うには力が強く、いっそ獅子の決闘のようですらあったが、アルトにとっては子供の喧嘩のようにしか見えなかった。
それが、アルトの心を締め付ける。
俺にはあんな事はなかった。
敵と、拳を交える時。殺すか殺される時。
訓練で拳を交わす時。幼年の時は一方的にやられ、後年は一方的に。
応酬?
知らない。
知らない。
知らない。
感傷と言うならばそうなのだろう。
他の要因から傷つきやすくなっている事も事実だ。
しかしながら、その光景はアルトの心を深くえぐった。
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