疑念と嘘
ベルゲインの家に帰り着くと、アルトは上着を脱いで上半身裸になる。マリッカが、後ろで顔を隠すふりをしながら指の隙間からばっちりと見ているが、今ここにはそれを気にする人間は居ない。
アルトの腕は、肘を中心に赤くなり熱を持っている。そして、所々内出血で紫色になった腕は、少し触れただけで崩れ落ちてしまいそうだ。
「師匠、大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっと無理をしただけだ。大体想像はついていたんだが、まだ不可能だったな」
アルトはそう言うと、ベルゲインが持ってきた水の張ったタライを呪式で冷やし、腕を肩口まで突っ込んだ。氷が浮かぶ冷水に腕を入れたアルトは、一瞬顔を歪めるが、段々と退いて行く熱を心地よさも感じていた。
「あ~~、これ気持ち良いなぁ。あの爺のおかげで試せたし、まぁ、良かった」
「しかし、師匠。それじゃあ武器が作れないじゃないですか」
心配そうに尋ねるバイエルラインに、アルトは負傷していない方の手を軽く振った。
「心配要らんさ、どうせ自作自演、いや、嫌な客を追い返す演技みたいなもんだ。ベルゲインさんはちゃんと作ってくれるさ」
ベルゲインは、椅子に深く腰掛けると煙草に火を点け、紫煙を吐き出した。
「何時、分かった」
「最初に番人と聞いた時から…いや、あなたがあっさりと案内した時、それと、マリッカさんが付いて来た段階でな。大体想像がついた、選定か拒否のための演技かな…と」
「ちょっと違うな。ありゃあ、あの爺の趣味だ。俺たちは基本的に断ってるんだよ、武器製作に関してはな」
ベルゲインは顔を顰め視線をそらす。
「まぁ、何らかの理由はあるんだろうがな。如何考えてもおかしいほどの警戒をしていた、むしろ最初にあんたが蹴りださなかったのが不思議だったんだよ」
ベルゲインは、唾を吐き出す。どうやら、やたらめったらキツイ葉っぱの様だ、辺りに漂う匂いは、バイエルラインが咳き込むほどだ。
「お前ら武芸者なんぞは、手が早いからな。蹴った返しに斬られたら堪ったもんじゃない」
「まぁ、それもそうかな」
「しかし、師匠は少なくともあの爺さんと分けました。いや、俺は師匠の勝ちだとは思います。約束通り、武器は作っていただけるのでしょうね」
「バイエルライン、約束はしていない。あくまでも、番人がいるから作れないと言っただけで、そこを突破すれば作るとも、作らないとも言っていない」
「そんな!」
「それが分かっていながら、何故言質を取らなかった。今だって、脅して作らせることだって出来るだろう」
「良い物がか?」
アルトは淡々と訊きながら、腕を曲げ伸ばしている。痛みはあるらしく、動かすたびに顔が細かく歪む。
「そんな気持ちで作ったどうでも良い物ならば、ドワーフに頼むまでも無い、人が作ろうがただの鉄で作ろうが」
「お前はドワーフの鍛冶を馬鹿にするのか!手慰みだろうがなんだろうが、人の作る物では比肩すら出来んわ!」
アルトの言葉を遮り、ベルゲインの怒声が飛ぶ。椅子の手摺を叩き付け、手を震わせて立ち上がる。そこへ、更に倍する迫力、いや、比べ物にならない威圧感を持ってアルトの声が返す。
「お前こそ何を馬鹿にしている!職人であれ、戦士であれ、腕に命を懸けるのが本懐。極致を目指すのに、躊躇や悩みが不要とは言わない。しかし、行動を起こさないのは、その矜持と誇りに真っ向から反する行為だ」
アルトは、震えて萎縮するベルゲインの胸倉を掴んで壁に押し付ける。
「一体何に怒りを覚える。馬鹿にしている、ああ、馬鹿にしている。理屈を付けようが何であろうが、お前が自らの職能に叛くのならば、馬鹿にされるのは必然。それの何処に怒りを覚える」
激しく詰め寄るアルトは、正しく殺気の塊で、マリッカは勿論、バイエルラインもその殺気に当てられて動けなかった。その殺気は、本来長命なはずのドワーフの寿命さえ削りそうな物理的な攻撃性を持っていた。
「思ってもいねえ事を、良くもまぁ言いやがる。孺子も俺もそんな殊勝な人種じゃねえだろうに」
いつの間にか現れた老人は、入り口の壁に寄りかかり、つまらなそうに中を覘いている。
「爺が、恥ずかしそうに外で悩んでいやがったから機会を作ってやったんだろうが、それにまるっきり信じていないわけでもない。勝手に爺と一括りで纏めるな」
殆ど吐き捨てるような形でアルトは言った。彼自身が自覚しているかどうかは別の問題かもしれないが、彼は自身が職能的な戦闘屋であることを、どこかで疎ましく思っている。しかし、同時に自分の技量に誇りも、自信も持っている。そうでなければ、戦場の中で今まで生き残っていない。しかし、その相反する感情は、どこかでアルトを不安定にしている。
自身の能力を扱うと言う事について、それを外的要因に、いわば責任を預けた形で回避しようとするベルゲインと、自分を何処かしら重ねたのかもしれない。
「そりゃすまねぇな。孺子」
どちらかと言えば、技術屋に近しく、自身の能力に疑問を抱かないこの老人でも、どこか察するところはあったのだろう。彼は素直に謝辞を述べた。
「それで何の用だ。爺」
アルトは、瞬時に殺気を解くとベルゲインを開放した。途端に呼吸の事を思い出した様に深く息を吸い込み、その場にへたり込む。顔からは血の気が失せ、球のような汗が浮かんでいる。
「爺は優しく扱え、それでも俺より年寄りだぞ」
「爺が言うな」
ドワーフやエルフは通常人間の倍の寿命がある。初老ほどに見えるベルゲインだが、常の人間の歳はとっくに越えているだろう。
「それでは、爺が爺を助けに来たと言う事で良いんだな。あれは軽い冗句だからさっさと帰れ。身体直したら再戦で良いだろう」
「馬鹿やろう、やるんだったら万全な状態でやらなきゃ意味がねえだろう」
「それは何か?お前が1回死んで復活してからか?何時まで待たせる気だ、爺」
「縁起でもねえな、おい。爺には敬意を払え」
「死んだら砂はかけてやるぞ」
何処まで冗談なのか、または威嚇なのか。周囲の人間は、一体何が始まるのか、戦々恐々としているが2人は、やや気だるげに話を続けている。
「ひ孫が尋ねてくるまでは死なねえよ。孺子に訊いておきたくってな」
「構わんが、その横で俺を睨んでいるのは何だ?弟子か何かか」
老人の横に立つケントワルドは、槍を構えてアルトを睨み続けている。今にも襲い掛かりそうだが、最初は中から感じたあまりにも大きな殺気に意思を反らされ、今は2人の会話で間を外されている。
「馬鹿にするんじゃねえ。弟子ならもう少し出来る」
「家の弟子は、こんなもんだぞ」
「え?俺で?え?」
いきなり話の中に出されたバイエルラインは、とっさの事に反応も出来ずに混乱する。
「まぁ、ボチボチじゃねえか?育ちが良すぎる気はするがな」
「素直で良いだろう」
「しかし、覇気は有っても詰めが甘そうだな」
「そこは俺も気にしているな」
「どうせ、弟子にとって間もねぇんだろ。これからって所か」
「そうだな」
突如始まった弟子の品評会話にバイエルラインは緊張するが、アルトは勿論老人の意見も決して否定的ではないと知って安心する。少なくとも、素直とは褒められたので嬉しそうだ。
反面、自分に意識が向いたかと思いきや、一転話がそれたケントワルドは、良い面の皮である。持った槍をカタカタと震わせて、怒りを顔に表している。
「貴、貴公に試合を申し込む!」
「良かろう、しかしまずは弟子がお相手する」
槍を突きつけアルトに一騎打ちを挑んだケントワルドの槍前に、アルトがバイエルラインを引きずり込む。
「俺?」
急な出来事に、バイエルラインは混乱のしっぱなしだ。
「俺?」
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